一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした
茶会の場所にはすでにリカルドがいた。
マリアンヌは、はにかみながら空いている席へと座る。
「遅くなってすまない」
「いいえ、庭を散歩していたのでお気になさらず。リカルド様こそお忙しいのに来ていただきありがとうございます」
ふと目線を外せば、いつもと違う侍女がいた。その視線に気づいたリカルドが、侍女を紹介する。
「イーリアスという。いつもの侍女が風邪をひいたので、今日は彼女を連れて来た。茶会には不慣れゆえ、失礼があるかも知れないが大目に見てやってくれ」
「畏まりました」
マリアンヌはイーリアスに向け小さく頭を下げた。それを受け、イーリアスも慌てて腰を折る。
年はマリアンヌと同じ頃だろうか。そういえばリカルドも二十五歳だったなと思う。貴族にしては晩婚だ。
「遅れたお詫びにこれを」
「ありがとうございます」
出されたのは、王都で流行りの焼き菓子と花束。マリアンヌはさっそくリリを呼び皿に取り分けるように頼んだ。
そのあとは、いつものように穏やかな会話が続いた。しかし、リカルドの様子がいつもと違うように思う。いつもより落ち着きがなく視線を彷徨わせることが多い。
「リカルド様、お茶のおかわりをご用意致しましょうか?」
「あぁ、そうだな」
カップが空になっていたことにも気がついていなかったリカルドは、少しバツの悪そうな顔をした。マリアンヌはリリを呼ぼうとしたのだが、花束を花瓶に活けているのか姿が見えない。
すると、イーリアスがティポットを持ってきてくれた。リカルドのカップを満たすと、マリアンヌにもおかわりが必要か聞いてくる。
「お願いするわ」
カップを出して、琥珀色の液体が注がれるのを何とはなく見ていると、先程までと空気が変わった気がする。あれ、と思いながらカップを手にした時、小さな虫がマリアンヌの手元を飛んだ。
それぐらい気にはならないマリアンヌに対して、イーリアスが慌てた。カップに虫が入らないようにと伸ばした手と、マリアンヌの手がぶつかる。
淹れたての湯気が立つカップが宙を舞い、マリアンヌの手にかかった。思わず「熱い」と口に出すと、向かいに座っていたリカルドが慌て立ち上がった。
「大丈夫か? イーリアス」
マリアンヌはその言葉に熱さも忘れ顔を上げた。
(イーリアス?)
聞き間違いかと思ったけれど、熱い紅茶で赤くなったイーリアスの指先を、リカルドはハンカチで押さえている。イーリアスは狼狽えるリカルドを呆然と見た後、はっと気づいたように慌ててリカルドから手を引くと、自分のハンカチを取り出した。
「申し訳ありません、エスティーナ様」
イーリアスより赤く腫れたマリアンヌの手にハンカチを当てる。その手が震えているのをマリアンヌが見逃すはずがない。
「大丈夫よ。でも、リリを呼んできてくれるかしら?」
「はい。お水もご用意いたします」
イーリアスは改めて頭を下げるとその場を立ち去っていった。残されたリカルドは今更ながら自分の失態に気が付いたようで、青い顔で目を彷徨わせている。
「あ、その。エスティーナ、大丈夫か。すまない、イーリアスは不慣れで、その」
「リカルド様、お気になさらず。熱いとはいえ、口にできる温度です。跡は残りません」
マリアンヌは努めて平静にその場を取り繕う。もちろんそれは本来ならリカルドの役目であるし、苦し紛れでも言い訳のひとつでもすべきところ。しかし、マリアンヌは何も見なかった、聞かなかった振りをする。それでいて、イーリアスを心配して立ち上がったリカルドの顔を思い出していた。
(何処となく落ち着きがなかったのはイーリアスが側にいたからなのね。それにあんなに心配するなんて)
そして何よりも決定的なのは、婚約者よりイーリアスのもとに駆け寄ったこと。
(エスティーナ様はこのことを知っているのだろうか)
リカルドの思いに気づき、傷つき、庭師に相談するうちに二人の間に特別な気持ちが生まれたのか。それとも、気づくことなく駆け落ちしたのか。
(知ったところで、どうにかなるものでもないわ)
経緯はともかく、エスティーナは未だに帰ってこない。それが事実だ。
冷水を張った桶を持ってリリが走ってきた。マリアンヌはそこに指をつけながら、今日のお茶会は終わりにしましょうと微笑む。食べきれなかったお菓子を包み、「気にしないで」とイーリアスに渡し、リカルドにはいつもと変わらず、また手紙を書くと微笑んだ。
エスティーナの仮面をつけながら、マリアンヌの心ばざわざわと揺らぐ。どうしてこの世に身分などあるのだろうか。
エスティーナと庭師。
リカルドとイーリアス。
そして、ジークハルトと……
そこまで考えてマリアンヌは首を振る。それ以上考えないように。