一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした

予期せぬ訪問者


 色づいた葉はすっかり枯れ落ち、曇天からは今にも雪が降り出しそうだ。昼間とはいえ、屋敷内に届く陽の光は頼りない。

 マリアンヌはリビングの暖炉に薪をくべ、指先にはぁ、と息を吐くとそのまま絨毯の上に座った。別邸内で令嬢らしく振る舞う必要はないと、暖炉前にクッションを幾つも重ね陣取ると、風刺画と文字が一面に書かれた紙を手に取る。

 最近王都で流行っている活版印刷の技術を使ったもので、世の中のあれやこれを詳しく、時には面白く書いてある。

(『劇団碧い星』が酷評されている)

 マリアンヌは眉間に皺を寄せながら、文字を目で追う。いい気味とは思わなかった。でも。

(自惚れかも知れないけれど、いつかこういう日が来ると思っていた)

 レーナは美しいし、華がある。舞台に立てば観客の目を惹きつける魅力がある。でも、それだけでは看板女優はできない。
 マリアンヌは、自分のあとをレーナに継いで欲しいと思っていた。だから、その指導にもより熱が入った。

(レーナにとっては、目の上のたんこぶ、お節介でしかなかったようだけれど)

 しっかりと実力をつけたのち、その地位に着いたなら、もしかしたらマリアンヌを超える女優になっていたかも知れない。でも、時期尚早だった。記事はレーナの実力不足を酷評し、マリアンヌを引き合いに出しコキおろしていた。

 マリアンヌはそれをぎゅっと握りつぶすと、暖炉に投げ入れた。大好きだった劇団を揶揄する文章なんて読みたくない。

 タッタッタッと足音がしてマリアンヌは扉を見る。先程、買い物に出かけたリリが、珍しく足音を立てて走っている。

 ノック音がして、マリアンヌの返事とほぼ同時に扉が開いた。

「どうしたの?」

「マリアンヌさん、その……門の所に、『ここでマリアンヌが働いているはずだ、会いたい』って言う男性がいたのです」
「私に会いたい?」
「はい、門番はマリアンヌさんがここに居るのを知らないので、そのような名の使用人はいない、と答えていたのですが、絶対いる、会えるまで帰らないって……」
「それでまだ門にいるのね」

 リリは眉を下げながら頷く。
 マリアンヌがここに居ることを知る者はいないはず。でも、相手は明らかにマリアンヌのことを知っている人物。

「分かったわ。リリ、あなたの服を貸してくれないかしら? それから門に行って、彼をここに連れてきてくれない?」
「ここにですか?」
「これ以上騒がれるのも困るし、外で会えば今度はエスティーナ様の顔を知っている人に会う可能性もある。別邸で、ここの使用人として会うのが一番いいと思う」

 相手はマリアンヌがトラバンス子爵家にいることは知っているけれど、エスティーナの代わりをしていることは知らない。別邸にはリリとエスティーナしかいないので、「エスティーナの侍女」として会えば良いと考えた。

(誰だろう?)

 ドレスを手早く脱ぎ、侍女服を着ながらマリアンヌは考える。髪は本宅に行く時以外はサラリと垂らしただけなので、解く必要はない。首の後ろで一つに纏めるだけでどこからどう見ても平民の侍女だ。

(もともとこっち側の人間だしね)

 階段を降りてエントランスに向かうと同時に、玄関扉が開いた。マリアンヌが訝しがる中、リリに案内され入ってきたのは知った顔。

「ザック、どうしたの?」
「マリアンヌやっと見つけた」

 ザックと呼ばれた男はマリアンヌの元に駆け寄ると、侍女服姿を少し驚きながら見た。

「まさか本当に侍女をしているなんてな」
「お金が必要だからね、それで何の用?」

 ザックは開きかけた口を閉じ、屋敷内を見渡す。 

「ここで話して良いのか? 主人は?」
「今、出かけているわ。でも、そうね、庭に場所を移そうか」

 マリアンヌは扉の前で石のように固まっているリリを見ると、申し訳無さそうに眉を下げた。設定としては、リリの後輩侍女だ。

「リリさん、彼は私がいた劇団の役者です。申し訳ないのですが少し話をしても良いですか?」
「え、ええ。大丈夫よ」
「ありがとうございます」

 戸惑いながらもリリは話を合わす。マリアンヌはザックと共に裏庭に向かった。そこに行くまでの間もザックは物珍しそうに屋敷や庭を眺めたいた。

 マリアンヌが看板女優なら、ザックは看板男優。一緒に舞台に立つことも多く仲はそれなりに良い。だからこそ、マリアンヌは庇って貰えなかったことに少なからず傷ついていた。

 裏庭に差し掛かったところでマリアンヌは足を止める。そして、くるりと振り返った。

「それで私に何の用?」
「『碧い星』の最近の評判を耳にしたことはあるか?」
「脚本がつまらない、看板女優の演技が酷い、演じる劇が着飾った令嬢が出てくるものばかり」

 先程読んだ記事を思い出しながら、指折り述べていく。ザックは渋い顔でその様子を見ていた。

「そうなんだ。最近では客も以前の半分程しか入らない。一人一人の演技もバラバラで、演じていても纏まらないんだ」
「そう、大変ね」
  
 マリアンヌはしれっと答える。それぐらい予想できなかったか、とも思う。


「だから、……今更こんなこと言うのも調子が良いのは分かっているけれど、マリアンヌ、戻って来てくれないか」

 マリアンヌはじっとザックの顔を見る。明るい茶色の髪に、翠色の瞳、スッとした鼻筋に切れ長の瞳。看板男優らしい華やかな容姿に加え、実力もある。

「私がいなくても、ザックがいれば大丈夫よ」
「そんなことはない。……正直言えば、初めはそう思っていたよ。でも、俺ではダメなんだ。マリアンヌのように他の役者の演技にも目を配り、舞台を一つにしていく力がない。情けない話、自分の演技で精一杯だ」

 ザックは役にのめり込みすぎる所がある。役を生きる、という点では優れたその長所は、周りが見えなくなるという欠点でもある。

「私はもう『碧い星』に戻らないわ」
「レーナは来月で劇団を辞めるよ。誹謗中傷に耐えられなくなったらしい。それから、新しい脚本家を探している」
「そういう問題ではないわ」

 マリアンヌは首を振る。脚本家とレーナが居なくなれば良いという問題ではない。マリアンヌが傷ついたのはそこではないのだ。

「……あなたも私がレーナを虐めていたと思っているの?」
「そ、それは……他の役者に対するより当たりは強いと思っていた。レーナも泣きながら俺に相談してきていたし。だから……」
「私が聞きたいのは、『私が新人を虐めるような人間だと思っていたの』ってことよ」

 ザックは口を噤み下をむいた。一緒にいた時間が長い分、マリアンヌの性格は分かっている。
 でも、泣きながら訴えるレーナと、マリアンヌがいたら一番になれないという気持ちが彼の心に闇を作った。

 マリアンヌが居なくなれば、自分が一番になれるのではないかと。舞台上でマリアンヌに何度も助けられながらも、その才能を誰よりも嫉妬していたのだ。

 その沈黙こそ全て。マリアンヌは寂しそうに眉を下げた。

「戻ったとしても私は以前のように演じられない。『碧い星』に私の居場所はないわ」 
「そ、それは……」

 言葉を続けようとして、ザックは唇を噛んだ。マリアンヌの意思の強さは知っている。
 それでも、絞り出すように声を出した。

「マリアンヌを疑い悪かった。もし、戻りたいと思ってくれたなら、いつでも訪ねてきてくれ」
「ええ、そう思ったらね」

 マリアンヌは唇をあげ笑顔を作る。それは、明らかに作られた笑顔。だからこそ、マリアンヌがどれだけ傷つき怒っているかがザックには伝わった。

 ザックはもう一度だけ「すまない」と頭を下げ帰って行った。

 マリアンヌはその後ろ姿を見送ると、その場にしゃがみ込んだ。ワンピースが汚れるのも気にせずペタリと座る。紫色のワンピースに、ポタリと染みが一つできた。  

「あはは、何、泣いてるんだろ」

 自分で断っておきながら、でも、これで良かったのかと苦しくなる。
 スカートにできた染みの上でぎゅっと手を握り俯いていると、不意に大きな影が手の甲に被さった。あれ、とマリアンヌが見上げるとジークハルトがそこに立っている。

「ジークハルト様?」

 どうしてこんな時間にいるのだと思っていると、ジークハルトはしゃがみ込み、その腕の中にマリアンヌをすっぽりと包み込んだ。頭の上から優しい低音が響いてくる。

「泣きたい時は泣いた方がよい」

 たったそれだけの言葉。でも声に含まれた優しさと腕のぬくもりにマリアンヌの張りつめていた気持ちがガタガタと崩れていく。それと同時に涙がポロポロと頬を伝った。

「わ、私。辛かった、ずっと一緒にいた人達に信じて貰えなくて。悲しかった」

 大きな手がマリアンヌの頭を優しく撫でる。すずっと鼻を啜る音がして、涙声があとに続く。

「戻って来て欲しいって言われて嬉しかった。やっぱり私が必要でしょう、って思った。でも、私はもうあそこに戻れない。謝られても、以前と同じように彼らを信用できない、頼れない。戻りたいけれど、もう無理なの。十年以上暮らした場所なのに、かけがえのない大事な場所なのに、戻ってもそこは前と同じ場所じゃない」

 いつも凛と立っているマリアンヌだけれど、本当はずっと強がっていた。
 外からは分からないけれど、心はズタズタに傷ついている。

 肩を震わせ、すすり泣くマリアンヌをジークハルトは優しく抱きしめた。
 
 見ないようにしていたマリアンヌの心の傷は自身が思うよりずっと、大きかった。一度失ってしまったものは、元には戻せない。それが分かっているから、マリアンヌは戻ってきて欲しいという言葉に頷かなかったし、悲しいのだ。

 ジークハルトは、初めて触れたマリアンヌの心を、そっと包む。
 強いと思っていたマリアンヌの内面が脆く傷つきやすいことを知った今、ずっと傍にいてこの細い肩を守ってやりたいと思う。しかし、それが許されるのもあと半年。ジークハルトは己の立場をこれほど歯がゆく思ったことはなかった。
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