一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした
マリアンヌの選択
花祭りから帰った次の日の午後、マリアンヌ達は王宮図書館の特別室にいた。そこに入れるのは貴族でも限られた人だけ。
ジークハルトが上司に掛け合い、特別な許可を得てくれたのだ。
「どうやって上司を説得したの?」
まさか、マリアンヌが盗まれた赤子だと話したのか。
しかしマリアンヌは公にはエスティーナ、それだと話が矛盾する。
「花祭りで怪しい動きをしていた男がいたから尋問したら、昔王都でスリの元締めをしていたと白状した。十二年ぶりに出所したばかりで、まだ悪いことは何もしていないと言われ、実害もなかったので解放したが、姿絵や出所時期が正しいかを確認したい、と言ったらあっさり許可が出た」
嘘はついていないと、その横顔は言っている。マリアンヌことエスティーナもその男の顔を見たので、姿絵を見せたいと押し切り閲覧許可を得たらしい。
図書館奥の扉の前にいる男にジークハルトとマリアンヌは許可証を見せる。男はマリアンヌをチラリと見たけれど、何も言わずに通してくれた。
「ここは事件の記録が年代別に保管されている。二十五年前は……その右端の列の一番奥だな」
壁に書かれた案内板のような物を見ながらジークハルトが呟く。薄暗い部屋に並ぶ棚の間を進み、埃とカビの匂いが漂う中、いくつかの記録書を二人は抱え部屋の隅にある机にどさりと置いた。
大きいだけの味気ない机に置かれたそれらを、二人は手に取り一枚一枚丁寧に読んでいく。一時間ほど経ったころだろうか、マリアンヌの手が止まった。顔をあげ、前に座るジークハルトに開いたページを見せる。
「これかしら?」
上目遣いにジークハルトを見る顔は珍しく強張っていた。ジークハルトは書物を手に取り文字を目で追うと、紫色の瞳をマリアンヌに向ける。
「盗まれた時には印紋のついたおくるみを着ていたと書かれているし、事件はマリアンヌが拾われた日の前日。間違いないだろう。それに」
ジークハルトは古びた紙の一文を指差す。左鎖骨の下に特徴的なほくろがある、と書いていた。
「詳細は書かれていないのね」
「偽物が現れるのを防ぐためだろう。しかし、間違いないんじゃないか?」
「この人達、まだ私を探している?」
何せ行方不明になって二十五年。諦めているのが寧ろ当然。ジークハルトは少し躊躇い、言葉を選ぶように口を開け閉めした。
「幼児を誘拐されてから四年後、長男が産まれた。そのあと女の子が二人産まれている。大きな捜索は長男が産まれた時に辞めたらしい」
「じゃ、諦めたのね」
マリアンヌが眉を下げ口角を上げる。ずっと探し続けているとは思っていない。でも、探していて欲しかったという気持ちもある。とはいえ、今更会ったところで親子関係を築けるかも微妙なところだ。
「正直な話、見つかって娘として迎え入れても貴族の令嬢としての立場は微妙だ」
「そうよね。二十五年も平民として生きていたんだから、どんな人生歩んでいたのか、面白可笑しく噂されるのが関の山ってとこね」
ましてや親のいない捨て子として育った娘だ。身売りしていたと噂されてもそれを否定できる証拠がない。その年では結婚相手を探すのも不可能。屋敷で人目を避けるように暮らすしかない。
「名乗り出る気はないか?」
ジークハルトの真剣な瞳がマリアンヌを射抜く。その瞳には熱情がまざまざと浮かんでいた。
「マリアンヌが伯爵の娘と認められたなら、俺が求婚する。世間の醜聞からは俺が守る」
机の上に置かれたマリアンヌの手にジークハルトの手が重なる。暖かく大きな手。マリアンヌの心は跳ね上がり、熱くなる。全身に喜びが走り、目の前が涙で揺らぐ。それなのに、心の片隅が妙に冷静だった。
「……少し考えさせて」
「もちろんだ。ゆっくり考えればいい」
優しく微笑む紫色の瞳に、マリアンヌはまた泣きたくなった。
(私はこの人を愛している)
胸に湧き上がる気持ちはもう無視できない。見かけによらず真面目で不器用で、でも優しいジークハルトにマリアンヌの心はとうに奪われていた。でも、心の片隅が頷いて後悔しないのかと問いかけてくる。
「帰るか?」
「ええ。知りたいことは分かったしね」
努めて平静に答えるマリアンヌに対し、ジークハルトの瞳にはまだ熱が篭っている。それにどう答えれば良いのか分からず、書物を元の場所に戻そうと立ち上がった。
くるりと踵を返したところで、あっと思う間も無く背後から抱きしめられた。
「愛している、マリアンヌ」
耳元で呟かれる熱い言葉。舞台で何度も言われ、言ってきた台詞。でも全く違うように聞こえるのは、それが真実の言葉だから。
こめかみにジークハルトの頬があたる。耳にかかる熱い息。背中から伝わる温もり。その全てに身体が蕩けそうで、このままずっと腕の中に居たいと思う。でも、心の一部がそれで良いのかとざわつく。
「これ、片付けなきゃな」
自分でも分かるぐらい声がうわずっていた。大根っぷりに舌打ちしたくなる。
「マリアンヌは俺と一緒にいたいと思ってはくれないのか? 少しは俺に気持ちがあると感じていたのは自惚れだったのだろうか」
「そんなこと……」
ないと言いたかった。マリアンヌだってできることなら一緒に居たいと思う。でも、ジークハルトと一緒になるということは貴族として生きること。
貴族として参加する夜会に茶会、人間関係。そして、何より二度と演じることができない。マリアンヌをどん底から救ってくれた舞台に上がることはもうない。
それが枷になって、どうしても頷けない。ジークハルトはそんなマリアンヌの心の機微を読み取ったかのように、腕を緩めた。そして困ったように眉を下げマリアンヌを見下ろす。
「いきなりですまない。でも、考えて欲しい」
「……分かった」
マリアンヌが小さく頷くのを見て、ジークハルトは僅かに口角を上げた。