一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした

二人の結論


 季節は巡り、マリアンヌがトラバンス子爵家を出て一年が経った。

 小さな鞄一つで国境を越え、マリアンヌは隣国に腰を落ち着けた。さほど大きい国ではない。農業が盛んでのんびりとした人柄の小国。街は古い石畳が続き、馬車を三十分走らせれば果樹園が続くような長閑な場所だ。
 パン屋の二階に間借したマリアンヌは、パン屋を手伝いながら劇団の面接を受け、『劇団並木道』の役者として舞台に立っている。

 相変わらず少年から老婆までを演じ、多くの人を惹きつける。変わったことといえば人との付き合い方。以前よりお節介が過ぎないように距離を取っているのだけれど。

「マリアンヌ、夕食を一緒に食べよう」
「あら、ダメよ。私と一緒に居残り稽古をする予定なんだから」
「なあ、マリアンヌ。この台詞なんだけど、お前ならどんなふうに言う?」

(待って、一度に話さないで)

 今日もマリアンヌの周りには人が集まってくる。ちょっと演じるから見てほしいとか、格好よく見える剣の振り方を教えてとか、令嬢らしい歩き方ってどうすればいい、とか。
 
 とにかく、常に誰かいる。以前の二の舞はごめんだと距離を開けようとするのだが、人懐っこい国民柄か皆がこぞって集まってくる。

 賑やかな毎日、充実した日々。
 それでもやっぱり寂しい夜もある。

 そんな時は空にぽっかり浮かぶ月と同じ色のブレスレットをして、琥珀色の液体を持って窓辺に座る。空は繋がっているし、あの夜見た星と同じものが輝いている。

 そうやって、時々痛む胸を慰め、甘い思い出を引っ張り出して暮らしていた。




 ※※
「ちょっと押さないでよ!」
「あんたがしゃがみなさい。見えないじゃない」

 小さな街の二階建ての劇場。その幕の後ろで、赤いドレスとメイド服を着た役者数人が押し合いへし合いしている。

「どうしたの、あれ?」

 真っ青なドレスを身に纏ったマリアンヌが、少し離れた場所からその光景に首を傾げる。

「騎士団が慰安も兼ねて来ているんだ。しかも観客席の最前列。しかも、若い男。しかも顔が良い」

 貴族の衣装を着た男が肩をすくめながら教えてくれる。なるほど、幕の後ろからこっそり顔を覗かしているのは年頃の娘ばかり。

「マリアンヌは行かないのか?」
「私? そんな年じゃないわ」

 クスッと笑うと、マリアンヌはさっさと舞台奥へと引っ込んでいく。男はグッと拳を握りその後に続いた。

 そんな浮足だった空気も、幕が上がればガラリと変わる。煌びやかな灯りの下でマリアンヌが踊って笑う。愛するのは婚約者の護衛騎士。最後に二人は手を取り合って湖に身を投げる悲恋の物語はこの劇団の十八番でもある。

 明るい舞台から暗い観客席はよく見えない。それが端の席ならなおさら。
 でも、マリアンヌは舞台に立った瞬間に気がついた。
 なぜか、そこだけが明るく、輝いて見えた。

(……どうして、ここにジークハルトが?)

 しかもジークハルトは異国の騎士服を着ている。全く意味が分からない。
 見間違い、人違いだと瞳を何度もパチリとさせるけれど、それは確かにジークハルト。
 その黒い髪の、紫の瞳も、一瞬だって忘れたことはない。

 ただ、今は舞台の上。他のことを考えるべきではないと、マリアンヌは意識を舞台に戻し役を演じる。
 演技は相変わらず完璧で、観客は勿論、同じ舞台に上がる仲間でさえもマリアンヌの動揺に気づかない。

(どうして居るかなんて分からない。でも、ジークハルトが観ている。それなら、これが私の選んだ道だと胸を張って演技するだけよ)

 マリアンヌのその思いを汲み取るかのように、ジークハルトはじっとマリアンヌを見つめ続けた。
 



 舞台は溢れんばかりの拍手と紙吹雪で終わりを迎えた。カーテンコールに答え、最高のカーテシーをしながらも、マリアンヌの心はある一点に留まっていた。そして、幕は降りた。

「素晴らしかったわ、マリアンヌ。今日のあなたの演技は最高よ」
「隣に立っていて引き込まれたぞ」

 仲間が入れ替わり立ち替わりマリアンヌの元にやってくる。それに手短に答えながら幕へと向うと、緋色の布を少しあけ、そこから顔を覗かせた。真っ暗だった観客席は今はカーテンが開かれ、日が差し込んでいる。

(いない……)

 もしかしたら、帰らずに待ってくれているのではと思った。でも、帰っていく観客の顔を何度も見ても、やっぱりいない。

(…………)

「マリアンヌ、えっ!? どこにいくの?」

 マリアンヌはドレスを掴んで突然走り出した。舞台端にある古びた階段を上がり、二階のバルコニーに出る。錆びた鉄製の手摺から身を乗り出せば、演劇を観終え会場をあとにする人の頭が見えた。
 それぞれが数人の塊になって談笑しながら歩いている。その顔は満足と興奮で紅潮していた。

 視線を彷徨わせ、舞台の上から見た騎士服を探せば十人程が塊となって歩いていた。でもそこに姿がない。マリアンヌがさらに視線を動かすと、騎士服の団体の数メートル後ろに、やっとその姿を見つけた。

「ジークハルト!!!」

 見つけた瞬間には叫んでいた。

 マリアンヌの声は良く通る。黒髪が振り返り左右を見た後、頭上を見上げた。懐かしい紫色の瞳がマリアンヌを捉える。

「ジークハルト!」

 もう一度叫べば、弾けたようにジークハルトは走り出した。人ごみを掻きわけまっすぐにバルコニーの下までくると、足をとめ視線を真上にする。

「マリアンヌ!」

 太陽が眩しいのだろうか、片手をかざし目を細める。ジークハルトからは逆光になったマリアンヌの表情は良く見えない。ただ、その声が震えているのだけは分かった。

「どうしてここに? その騎士服は?」
「弟に後継を譲って、平民としてこの国にきた。ひと月前に騎士試験に合格したんだ」
「譲ったって……」
「両親を説得するのに一年かかった」
「どうしてそんなことを!」

 マリアンヌは小さく首をふる。ジークハルトは貴族だ。それが何故平民になり、さらに異国の地で騎士試験を受けたのか。理解するより先に涙が頬を伝った。

「マリアンヌ、愛している。貴女が貴族として生きられないなら俺が平民になればいい。舞台を降りられないなら演じればいい。俺はそれを一番近くで見たいんだ」

 くしゃり、マリアンヌの顔が歪む。嬉しいのに、笑いたいのに、涙が止まらない。
 二人の様子に、帰りかけていた観客は足を止めざわざわと声を交わす。でも、次第にその声が静まり、二人の行く末を見守り始めた。
 
 バルコニーに居るのは真っ青なドレスに身を包んだ役者。それを見上げる男は愛する者の傍にいるために貴族の地位を捨てた平民の騎士。

 マリアンヌはバルコニーの手摺に手をかけ、膝を乗せた。さらに身を乗り出すと、真下にある紫色の瞳がはっきりと見えた。
 懐かしい思いと同時に焦がれる熱情が胸を締め付ける。触れると柔らかな黒髪、優しく細められた瞳、心地よい低い声、大きな手。手放したものがすぐそこにある。

「私も、貴方を愛しているわ」

 青いドレスが宙を舞った。
 真っ青な空に溶け込むように、ドレスの裾がはためく。

 ジークハルトは両手を広げ、その身体を受け止めると二人揃って地面に倒れ込んだ。

「会いたかった! ずっと、ずっと会いたかった」

 上体を起こし、ボロボロと泣くマリアンヌの頬をジークハルトの手が拭う。

「俺もだ」
「後悔していない? 貴方は沢山のものを失ったのでしょう?」
「いや、俺は何も失っていない。騎士として生きるのは夢だったし、惚れた女も腕の中にいる。これほど欲張りな選択はない」

 紫色の瞳にも涙が浮かんでいた。ジークハルトの細めた目がマリアンヌに近づき、二人は口づけをかわし固く抱きしめ合う。

 パチ パチパチ パチパチ!

 波紋が広がるように、周りから拍手が湧き上がった。
 唇を離した二人が周りを見れば、人々が手を叩き、ある者は口笛を吹き、目の前で起きた物語に賛辞を送っている。

 照れたように笑みを交わす二人の上に、白い小さな紙が降り注ぐ。よく見れば、それは舞台のクライマックスで使う紙吹雪だ。
 頭上を見れば、劇団員達が拍手をしながら紙を撒いていた。花束を千切ったのか、花弁もその中に混じる。

 真っ青な空から降り注ぐ祝福に、二人はもう一度唇を重ねた。
 最高の興奮に拍手はいつまでも鳴り止まない。

 本物の恋は、マリアンヌの脚本通りに進まなかった。

 ジークハルトの愛は想像よりずっと深く。
 これから先、溺れるように愛され、甘やかされ。
 二人は同じ時を重ねるだろう。

 長閑な田舎町を柔らかな風が吹き抜け、
 舞い散る紙吹雪は、それに乗ってどこまでも飛んでいった。
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