一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした
マリアンヌの事情
マリアンヌは十三歳の時、当時の『劇団碧い星』の看板女優に偶然拾われ、その素質を買われ付き人になった。
その後台詞のない端役から始め、引退した師匠に変わって看板女優になったのが十七歳の時。
それから、八年間その地位を守ってきた。これは歴史ある『劇団碧い星』最長記録でもある。
そんな順風満帆なマリアンヌの前に、一年前一人の女優の卵が現れた。
誰もがはっと驚くほどの美貌を持った少女はレーナと名乗った。平民ゆえ苗字はない、歳は十七歳。
演技の素質もあり、頭角をめきめきと現すと一年後にはマリアンヌの次に人気のある女優となった。
ある日、マリアンヌはレーナから断罪された。
「私を妬むのは勝手ですが、衣装を傷つけるのはやめてください!」
稽古場に現れたと同時にそう叫んだ彼女の傍らには、劇団長兼脚本家がいた。彼の手がレーナの腰にすっと回る。
「私はそんなことしていないわ」
「嘘をつかないでください。昨晩衣装部屋にこっそり入っていく貴女を私は見ました。そして今朝、切り刻まれた私の衣装が発見されました」
だったらその時に声を掛けたら、とマリアンヌは半目になる。最も、マリアンヌは昨晩自室でずっと新しい台本を読んでいたのだけれど。
「それで、申し訳ないけれどさっき貴女の部屋を調べたら、切り裂かれた私の台本を見つけたわ」
レーナの台本が頻繁に無くなっていたのは、劇団員皆が知るところ。その度にわざとらしいぐらい大騒ぎしていたのだから。
(勝手に部屋に入った挙げ句、小細工まで仕込んだのね)
この時点でマリアンヌは自分が嵌められたことに気が付いた。でも、きっと他の劇団員は自分の味方をしてくれるはず、と周りに視線を向けたのだが、全員がふいっと視線を逸らせたのだ。
その事にマリアンヌは大きな衝撃を受け、呆然と佇んだ。
劇団員たちは、マリアンヌが長年看板女優であることを妬んでいた。
それに、親切心から後輩に演技指導をすることも多かったのだけれど、そのストイックなまでの演技への探求を重く感じる者も少なからずいた。
特にマリアンヌはレーナを厳しく指導した。それは、彼女を次期看板女優に育てたいという思いからだったのだけれど、レーナは「マリアンヌに虐められている」と涙ながらに周りに訴えていた。
「マリアンヌ、今日を持ってお前を解雇する。今すぐ『劇団碧い星』から出ていけ!」
劇団長の突然の宣告に、マリアンヌは息が止まるかと胸に手を当てた。
マリアンヌを庇う者は誰もいなかった。
それが悲しかった。仲間と思っていたから。
より良い演技が出来るよう指導していたけれど、それが押し付けでしかなく空回りしていたことに気が付いた。
そして、失望の中マリアンヌは『劇団碧い星』を後にした。十年以上の時を過ごしたその場所をこんな風に離れるなんて考えもしなかった。
その後、暫くは宿で暮らしたけれど、お金は減るばかり。
この国で『劇団碧い星』は有名で、それゆえマリアンヌの噂はあっという間に他の劇団にも広がった。新たに所属する劇団を探すも、悪評を信じ断られてしまう始末。
それなら異国に行こうか、と考えたマリアンヌはまずは渡航代を稼ぐことに。
できれば節約も兼ねて住み込みで、と探して見つけたのが港近くの居酒屋だった。待遇も料理と酒を運ぶだけでいかがわしいことはない。
働き始めると、マリアンヌは瞬く間に看板娘になった。舞台に出る時のような厚化粧をしなくても、大きな瞳に桜桃のようなぷっくりとした唇は愛らしく、マリアンヌ目当ての客が増えた。
このまま一年ほど働こうか、と思っていたところに湧いて出たのが「エスティーナの代わりを演じること」
期限は最長一年。お給料は破格。
そして何より、貴族の世界を垣間見れるのはマリアンヌにとって、何よりも魅力的。
演じることでしか知らなかった世界。
立ち居振る舞い、出される料理の味、夜会では何をするのか、陰湿な陰口は本当にあるのか。
考えるだけで胸が躍る。
だからマリアンヌはその依頼を受けた。
そして、その夜、お世話になった店主にお礼を言って、小さな鞄一つ手にトラバンス子爵家へと向かったのだ。