一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした

トラバンス子爵家


 馬車に乗りながら、マリアンヌはその乗り心地のよさにうっとりした。

 僅かな段差でも振動をしっかり伝える辻馬車と異なり、子爵家の馬車は何と乗り心地のよいことか。

 一時間ほど夜道を走り、次第に街灯が多くなってきた頃馬車は大きな門を潜った。そのまま少し蛇行し走った後、ゆっくりと停車する。

 扉が開かれ、先に降りたジークハルトが手を差し出してきた。マリアンヌは碧い瞳をパチリとするも、すぐにそれがエスコートだと分かり自分の手を重ねる。

「ありがとう」
「これからは、常にエスコートされると思ってくれ」
「分かったわ。ところで、私が偽物だと誰が知っているの?」
「両親には話す。家族はあと弟がいるが、学園の寮に入っているので顔を合わす機会は少ない。必要になった時に話せばよいだろう。それから、口の硬い使用人を一人つける。本宅には大勢の使用人がいるので、この別邸でその侍女と暮らしてもらうことになる」

 マリアンヌは、ここが本宅でないことにまず驚いた。だって、白亜の壁に立派な飾り窓。豪奢な庭には薔薇が咲き誇って、辺りに甘い香りが漂う。建物だって劇場ほどの大きさがある。

 馬車の中でマリアンヌの素性は粗方説明を終えていた。と言っても劇団に入団したところからだけれど。 
 『劇団碧い星』の元女優だと説明すると、ジークハルトはマリアンヌの両手を握り天に感謝した。
 そこは、自分に感謝するとことだろう、とマリアンヌは思う。

「今日はもう時間が遅い。両親に会わせるのは明日にするので、今夜はここに泊まってくれ」
「分かったわ。じゃ、今夜はこの屋敷に私一人?」
「申し訳ないがそうだ。朝には侍女をつける」

 時刻は深夜に近い。今夜は寝るだけだし、一人で暮らしていたマリアンヌに特に異存はない。お風呂は明日入れば良いかと頷いた。
 
 ジークハルトは部屋までマリアンヌを案内すると、「では明日。ゆっくり休んでくれ」とだけ言って出て行った。

 マリアンヌは一人残された部屋を見渡す。舞台の大道具が霞んでしまうほどの豪華な部屋。

「本物は違うわ」

 何というか、重厚感がある。舞台の大道具だって遠目に見れば綺麗だけれど、近くで見たら張りぼて感は否めない。天蓋付きのベッドに近づき、布団に手を置けばふわりと包み返してくる。
 マリアンヌは、はやる気持ちを抑え着ていた服を脱ぐと、躊躇うほど立派なクローゼットにそれをかけた。それから、鞄から着古した寝着を取り出し頭から被る。
 そしてお約束とばかりにベッドに飛び込んだ。

「うわっっ、ふかふか」

 衝撃は微塵もなく、雲に包まれているのかと思うほど柔らかい。寝返りを数回打ち、ふわふわ、もふもふを堪能するうち、マリアンヌは規則正しい寝息を立て始めた。

 

 目覚めたのは、軽いノック音がしたから。寝ぼけ眼で「はい」と返事すれば、小柄な侍女が入ってきた。

「おはようございます。マリアンヌさんのお世話をさせて頂くリリと申します」

 年若く、にこにこと愛想のよい侍女だ。ジークハルトの心遣いが透けて見えた。

「ありがとうリリ。それで、私はどうしたらいいの?」
「まずはお風呂に。その間に朝食の用意を致しますのでお召し上がりください。ジークハルト様がお迎えに来られたら本宅へと向かいます。別邸を一歩出れば、『エスティーナ様』と呼ばせて頂きます」

「分かったわ。私もエスティーナとして振る舞う」
「聡明な方で助かります。エスティーナ様はマリッジブルーで精神が不安定になり、結婚まで別邸で暮らす、と他の使用人には伝えております」

 精神的に不安定な令嬢を、一人別邸に置くその設定は少々無理があるとマリアンヌは思う。脚本家がいたら一言物申したいところだけれど、観客がいるわけではないし、そこはグッと飲み込むことにした。


 朝食を食べ、侍女の持ってきたピンク色のドレスに身を包み、髪を結い上げ終わった頃、ジークハルトが訪れた。

「化粧をしてドレスを着るとますますエスティーナにしか見えないな」
「ありがとう。それで、これからご両親に会えばいいのね」
「あぁ、馬車を表に用意している」

(本宅まで馬車移動って、どれだけ大きな邸なの)

 王都の中心街ではないとはいえ、貴族の邸の広さにマリアンヌは軽く目眩を覚えた。


 案内されたのは、窓際に重厚な執務机がある部屋。置いている家具や飾っている絵は高いけれど、華やかさとは無縁でどこか圧迫感すら漂う。
 
 部屋の右側にあるソファに座っていた女性がマリアンヌを見た瞬間目を見開き、次いで立ち上がり走り寄ってきた。
 
「あなた、本当にエスティーナじゃないの?」
「……違います」

 マリアンヌの肩を細い指がギュッと掴む。
 涙交じりのその声に、マリアンヌが申し訳なさそうに首を振ると、女性はガクリと項垂れ膝を折ってしまった。

「エレーナ、落ち着け」

 渋い声の主が、女性の肩を支えソファーに座らせる。それから、マリアンヌ達にも座るよう促した。

「マリアンヌ、ジークハルトから話は聞いている。我が家の事情に巻き込んでしまって申し訳ない」

 この二人がトラバンス子爵夫妻だとマリアンヌは思う。夫人の方は憔悴しきった顔をし、見ているのも痛々しいほどだ。

「いいえ、お気になさらず。ジークハルト様から事情は聞きました。しっかりと演じさせて頂きます」

 演じることには自信のあるマリアンヌは堂々と答える。しかし、トラバンス子爵の顔は相変わらず渋い。一度喉仏が上下したあと、言いにくそうにジークハルトを見た。

「そのことだが、いくら見た目が似ていても、周りを欺けるのか心配でな。家族や使用人だけでなく、婚約者であるリカルド殿にも会う機会はある。やはり無理があるのではないか」

 これに先に反応したのはマリアンヌ。演技力を疑われては元看板女優のプライドが黙っておけない。

「それでしたら、エスティーナ様について詳しく教えてください。性格、癖、好きなもの嫌いなこと、何でも構いません」
「何でもと言われてもな……」

 戸惑うトラバンス子爵に変わり、ジークハルトが答えた。

「エスティーナは大人しく目立つのが苦手で、いつも俺の背に隠れるような女だ。口数は少なく、控えめですぐ下を向いてしまう。読書や刺繍を好み、流行り物には余り興味がない」

 なるほど、とマリアンヌはその言葉を聞きながらエスティーナ像を作り上げていく。儚げでか弱い令嬢。物静かで、下を向くのは自分に自信がないから。

「このような感じでしょうか」

 勝ち気な目が一転、不安そうにジークハルトを見上げる。そして、小さく儚げに口角をあげ「お兄様」とか細く声を上げた。

 その変わりように部屋にいた誰もが息を飲み、目を見張った。

「……そっくりだ。よく今の話でそこまで再現できたものだ」
「まるでエスティーナがいるようだわ」
「確かにこれなら誤魔化せるかもしれん」

 子爵達(観客)の反応に満足したかのように、マリアンヌは元の顔に戻る。そして、いつものようによく通る声で聞いた。

「では、私を雇って頂けるのですね」
「ああ、宜しく頼む」

(良かった。今更雇わないと言われたら困るもの)

 また仕事を探さなければいけない。雇ってくれるならひとまず衣食住には困らない。

「代わりは見つかったとはいえ、この瞬間もエスティーナがどんな辛い目に遭っているかと思うと、私は胸が張り裂けそうだわ」

 エレーナ夫人は再び目に涙を溜め、ハンカチで拭く。娘が居なくなってからずっとこの調子で、皆いつか倒れるのではと心配していた。

「エレーナ、エスティーナはきっと大丈夫だ。そのうち平民の暮らしに嫌気がさして戻って来るさ」
「そうね。あの子に平民暮らしは無理よね。きっと目を覚ましてくれるわ。頭が冷えれば何が幸せか分かるはずだもの」

「……何が幸せかあなた達は分かるの?」

 気づいた時には口から言葉が出ていた。マリアンヌはしまった、と慌てて口を手で覆うも、出した言葉は戻らない。

「それはどういう意味だ?」

 子爵の眉間に皺がよるのを見てマリアンヌはまずい、と思う。雇用主の機嫌を損なうなんて失態だ。でも、平民であることを不幸と決めつけられるのは不本意。

「私は色んな役を演じてきたけれど、役によって価値観は全く異なります。大切なもの、大事なこと、許せないこと、それは人それぞれ。だから、何が幸せかなんて本人しか分からないと……思う」

 怒られるかな、と思いながらも口にした本音。しかし、意外なことに子爵は大きく頷いた。
 
「そうだな。思えばマリアンヌも平民、気を悪くしたのなら謝る。ただ、娘を思う親心だ、悪く取らないで欲しい」
「そ、そんな。私こそ出すぎたことを。申し訳ありません」

 マリアンヌは慌てて頭を下げる。まさか、貴族がこんなにすんなり謝罪を口に出すと思わなかったのだ。ジークハルト同様、平民にもきちんと向き合ってくれる人柄にマリアンヌは好感を持った。

(精一杯演じよう)

 そう心に誓った。

 
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