一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした

夜会


 両親との顔合わせを終え、別邸に戻ってきたマリアンヌ。しかし、その顔はどこか陰っていた。
 ジークハルトがそのことについて聞けば、自嘲気味な笑いが返ってくる。

「いや、人のことは言えないなと思って。私が良かれと思ってした演技指導が、他の劇団員にとっては迷惑だったんだから」

 価値観なんて人それぞれ、子爵に向けて発した言葉がブーメランのようにマリアンヌの心に返ってきた。お節介がすぎる、押し付けだったと言われれば反論のしようがない。
 やれやれ、とリビングのソファーに腰掛けマリアンヌは大きくため息をついた。

「でも、だからといって濡れ衣をかけていい理由にはならない」
「うん、それは私もそう思う。ただ、相手がいくら悪くても、自分にも非があるならそれは認めなきゃ」

 清々するほどの潔良さ。ジークハルトはマリアンヌの人柄を好ましく思った。今までジークハルトの周りにいないタイプの女だ。それゆえ、興味も湧く。

「ところで、マリアンヌの演技力は理解したが、それでも令嬢としてのマナーは学んだ方がよいと思う。信頼できるマナー教師を一人手配するので指導を受けてもらえないだろうか?」

 ジークハルトは、堅苦しい淑女教育を嫌がられたらと内心冷や冷やしながら問いかけた。しかし、返ってきたのは、はち切れんばかりの笑顔。

「淑女の作法を教えてくれるの?」
「嫌ではないのか?」

 砕けた話し方のままで、と頼んできたくらいだ。絶対嫌がるとジークハルトは思っていた。だから、その反応は予想外のもの。

「だって、ただで淑女の演技指導をして貰えるんでしょう。喜んで受けるわ。いつから? 私は今からでもいいわよ」

 まるで子供の様に無邪気な顔で前のめりになるマリアンヌに、ジークハルトは目を丸くする。(演技指導?)と気になる言葉が聞こえたが気がしたがそこは聞き流すことにした。

「マリアンヌの頭には演技のことしかないのか?」

 苦笑いで問いかければ、マリアンヌはことりと首を傾げる。青い瞳が不思議そうにジークハルトを見上げる。

「当たり前でしょう。演じることで私は生きているのよ」

 当然、とばかりに応えたその言葉にジークハルトは呆れるように肩を竦める。それと同時にここまで打ち込めるものがあることが羨ましくもあった。

 マリアンヌの言葉はジークハルトが思うよりずっと深い意味があるのだが、もちろんそれ以上話すつもりがないマリアンヌはただ微笑みで返した。
 

 ※※
 マリアンヌの教育は順調だった。
 マナー教師の話を真面目に聞き、時にはメモも取る。それから、ひたすら観察した。
 スプーンを持つ指の角度、それを口元に運ぶスピード、肘は、肩は、目線は。つぶさにそれらを見て、部屋に戻って鏡の前でひたすら繰り返し練習する。

 そのストイックさは尋常ならざるものがあった。復習と称して、時には一日に何杯もスープやお茶を飲むことも。
 これには侍女もお腹を壊さないかと冷や冷やした。
 実際、一度腹痛を起こし、ジークハルトに止められた。

 マリアンヌの観察力は天賦の才能ではない。
 それは生きていくために止む無く得た不本意なもの。
 そのことが、時にはマリアンヌの表情に影を落とすのだが、その僅かな翳りに気づく者はいない。
 
 そして、ひたすら繰り返された努力によって、たった一ヶ月でマナー教師は合格点を出した。

「これ以上のことを教えることもできますが、そうなると子爵令嬢(エスティーナ様)でなくなりますから」

 マナー教師はそうなると本末転倒だと、至極残念そうに言った。
 マリアンヌとしても、もっと教えて貰いたいところだけれど、それは我儘だと諦めることに。


 さて、ジークハルトと言えばこの一ヶ月、帰宅するとほぼ毎夜マリアンヌを訪れていた。

 初めは淑女教育の進捗状況が気になり、また、家族の問題に巻き込んでしまったことへの後ろめたさから。励ましとお詫びに、王都で流行っている菓子や花を手渡すと、マリアンヌはその度に無邪気に相好を崩した。するとまたその顔が見たくなり、次の夜も来てしまう。

 そんな夜が続き、今宵も当たり前のように二人はローテーブルを挟んで、向かい合っている。

 場所は別邸のリビング。別邸とはいえ、劇団の大道具の数十倍立派なシャンデリアが頭上に輝き、年季が入っているけれど、丁寧に手入れされた調度品が並ぶ。

 二人の間にはチョコレートで可愛くコーティングされたクッキーと、それには似つかわしくない酒精の強いお酒。

「マリアンヌ、一週間後に王家主催の夜会があるのだが、出席はどうする?」
「それは欠席の選択肢もあるということ?」
「もちろん。当初は体調不良で断るつもりだったが、淑女教育が予想以上の速さで終わったからな。できれば出席してもらえた方がトラバンス家の顔が立つ」
「分かった。じゃ、出席するわ」

 こともなげに結論づけたマリアンヌだが、ジークハルトの表情は硬いまま。まだ、何かあるのかと、マリアンヌはお酒を含みながら言葉を待つ。

「そうなるとリカルド殿がエスコートをすることになる」
「そうね、婚約者だものね。大丈夫、うまくやるわ」

「初めての夜会に加え、予定より早くリカルド殿と会うことに不安はないか?」
「ない、とは言えないけれど。でも、考えようによってはお茶会よりいいと思うわ。ずっと二人っきりでいるよりバレないんじゃないかしら」

 リカルドとエスティーナが今までどのような会話を交わし、親交を深めてきたか分からない。

 リリの話ではあくまで品行方正。会話もそれほど多くなく、日常の些末なことをぽつぽつと交わす程度らしいけれど、男女のことは傍から見ているだけで分からないことも往々にしてある。
 マリアンヌとしては、ずっとべったり一緒にいなくてよい夜会の方が好都合だった。
 
「ジークハルト様もその夜会に出席するの?」
「ああ、警護も兼ねてな。でも、俺は予備人員だから融通は利く、何かあれば頼ってくれて問題ない」

 王家主催の夜会では、本来の配置された騎士以外にも念のために数人の騎士が有事に備えるのが慣例。
 とは言え、出番はまずないので、食事やダンスを楽しむ者が多い。一応酒は控えるが。

「そういえば、ジークハルト様は婚約者っていないの?」

 少なくともこの一ヶ月、婚約者と会っている素振りはない。エスティーナの兄、しかも嫡男ならいて然るべきなのに。

「生憎、俺に婚約者はいない。この歳なら所帯を持ってもおかしくはないのだが、どうもそんな気になれなくてな。それにずっと騎士として辺境の地にいたので縁もなかった」

 女性に免疫がないのはそれでかと納得する。男所帯でずっと暮らしていたのだろう。

「でも、夜会に行ったら女性たちがわさわさと寄ってくるでしょう?」

 揶揄うような目で身を乗り出して聞けば、ジークハルトはその精悍な顔を歪める。

「見合い話は山の様にきているし、夜会では多くの女に囲まれた。寄りかかり、柔らかな身体を押し付け、鼻が曲がる程の香水の匂いをさせながら上目遣いで見られうんざりだ。押しのけたいが、俺の力ですれば相手が怪我をするかも知れん。ひたすら無の境地で立っていたよ」
「ふふ、見目が良いのも考えようね」

 厚化粧の令嬢に囲まれ脂汗を流す姿が目に浮かぶ。しかし相手は貴族、声を上げ笑いたいのを酒で流し込みどうにか堪えた。見た目は落ち着いて見えるのに中身は十代の青年のようだ。

「ジークハルト様は何歳なの?」
「二十三歳だ」
「あら、じゃ、私の方が二歳年上ね」

 意外と老けて見えるのね、とマリアンヌは思う。
 それに対して、ジークハルトは手にしていたグラスを落としそうなほど驚く。

「待て! 俺より年上なのか? それに、エスティーナの五歳も上じゃないか」

 大きな瞳にあどけない顔は年齢より幼く見える。
 しかしマリアンヌは、今更それがどうしたのかと首を傾げる。少年から老婆まで演じるマリアンヌにとって五歳差など誤差の範囲。そこでボロを出すはずがない。

「大丈夫。上手く演じるわ」
「いや、それは信用しているが、見た目があどけないのでちょっとびっくりした」
「あら、色気が足りないってことかしら?」
 
 マリアンヌは、気だるげにソファの肘掛けに腕をのせ、ゆっくりと足を組む。
 そして、誘うような妖艶な笑みを浮かべ、眼差しに色香を乗せながらゆっくりとお酒を嚥下した。

 突然湧き出た色香にジークハルトは面白いほどたじろいだ。顔を赤らめ視線を彷徨わせている。

(何、この面白い反応)

 思わずクスクス笑えば、ジークハルトにキッと睨まれた。

「揶揄うのはやめてくれ」

 顔に似合わない初心な反応に、今度こそマリアンヌは笑いが止まらない。マリアンヌとて、演劇に明け暮れ恋とは縁遠い。それでも、ジークハルトほどではない。

(この生活が楽しくなってきていた)

 グラスに残った最後のお酒を喉に流し込みながら、マリアンヌはそう思った。
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