一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした

 夜会当日。
 マリアンヌは本宅のリビングでリカルドが迎えに来るのを待っていた。朝から念入りな準備と打ち合わせがされ、今は準備万端。リカルドから贈られた水色のドレスに身を包み、髪はハーフアップに結い上げ残りは軽く巻いている。

 ダンスはもとより踊れた。
 念のため、トラバンス子爵相手に一曲踊り、夫人から合格を貰っている。

「むしろ、マリアンヌの方がエスティーナより上手だわ。リカルド様が不思議に思われたら、そうね……」
「お父様に教えて頂いた、と答えます」

 機転の利いた回答に夫人は安心したように頷く。
 舞台では予想外のことが起こるのも珍しくない。臨機応変な対応は慣れたものだ。

 ドアを叩く音がして、侍女がリカルドが来たことを告げにきた。マリアンヌは途端に儚げな微笑みを浮かべる。準備は万端だ。

 子爵夫人の後に続きエントランスに向かうと、そこにはブロンドの髪にライトブルーの瞳をした青年がいた。

(ここまでの美丈夫は、役者にもそう居ないわ)

 顔を売りにしている役者でも、リカルドの前では霞むだろう。思わずマジマジと観察してしまった。

「エスティーナ、贈ったドレスを着てくれたんだね。よく似合うよ」

 令嬢受けしそうな優男風の笑顔に、マリアンヌは恥ずかしそうに頬を染め、小さく「ありがとうございます」と応える。その仕草はエスティーナそっくりで子爵夫人が思わず涙ぐむほど。

「リカルド様、今宵はエスコートを宜しくお願いします」

 出された手におずおずと手を重ね、細い声を出す。リカルドは子爵夫人に「エスティーナをお借りします」と礼儀正しくのべ、扉の向こうに停まっている馬車へと乗り込んだ。



 夜会の会場は王宮内の一角にある建物。その全貌は一度に視界に入れるのが難しいほど大きく、マリアンヌは心の中でだけ(うわっ〜!!)と歓声を上げた。会場に入るとすぐにジークハルトが近づいてきて、リカルドに挨拶をする。

 チラチラとこちらを見るジークハルトを無視して、マリアンヌは周りを見渡した。会場に入った時から突き刺さるような視線を感じていたのだ。

(これは嫉妬かしら)

 気持ちの良い視線でない。口元を扇で隠しながら視線の先を見れば、数人の令嬢と目が合った。

「見て、おどおどしてみっともない」
「何を聞いても消え入る様な声で答えるだけで面白味がない女が、リカルド様に相応しいと思っているのかしら」
「会話以外の特別(・・)な才能があるとか?」

 クスクスと嘲るような笑いが漏れ聞こえる。

(エスティーナ様はリカルド様の婚約者となったことで周りから妬まれていたようね。気の弱い性格だから揶揄する声に益々身を縮め、悪循環を起こしていたのかも)

 しかし、マリアンヌにしてみれば、妬みは日常。
 精神的にノーダメージ。
 一応気弱な顔は作るけれど、頭は美味しそうな食事でいっぱいだった。

 そうこうしているうちに、ファンファーレのトランペットの音が響き、王族が入場してきた。王が簡単な挨拶を述べると、音楽が流れ始める。

「エスティーナ、手を」
「はい」

 静々と手をとると、マリアンヌはリカルドのエスコートで広間の中央へ。少し下を向きながら踊るその姿を偽物だと疑う者は誰もいない。間近にいるリカルドさえ、疑った様子はない。

 そのことにマリアンヌは安堵しながらも、心に冷たいものが走った。

(婚約者が入れ変わっても気づかないなんて、エスティーナ様はなんと思うだろう)

 エスティーナも駆け落ちしたのだから人のことは言えないだろうけれど、リカルドの瞳に恋慕の情は見えない。

(結局は似たもの同士なのね)

 貴族の婚約とはきっとこんなものなのだろうと思う。
 もし、リカルドがエスティーナにベタ惚れなら心も痛むが、そこは気にする必要はないようだ。

 他愛もない会話を難なくこなし、少しダンスが下手なふりをする余裕までみせ、無事一曲が終わった。

「エスティーナ、知り合いに挨拶をしてくるから、ここで待っててくれるか?」
「はい。私のことは気にしないでください」

 社交の場は貴族にとって人脈を繋ぐ場でもある。リカルドは果実水を一杯マリアンヌに渡すと、人ごみの向こうに消えていった。それを見送り、マリアンヌは改めて広間を見る。
 天井からぶら下がる大きなシャンデリアは、舞台で見るよりずっと輝いている。窓枠や柱に施された繊細な彫刻、きっと有名な画家が描いたであろう絵画、大きな花瓶に活けられた花は甘い匂いを放ち、壁に取りつけられた鏡が光を反射させる。

(花瓶はあれぐらい大きくても存在感があっていいわね。それから、鏡。あれがあるだけで光の反射がかわるわ)

 いつか大道具や小道具に生かしたいと思ったところで、マリアンヌの表情が曇る。

(私は再び舞台に立てるのかしら)

 演じない人生なんて考えられない。もし演劇に出会わなかったらマリアンヌの人世は全く違う物になっていた。こんな煌びやかな世界とは、正反対の暗闇の中を這いつくばるような……

「ちょっといいかしら」

 沈みかけた感情をとどまらせたのは、可愛らしい声だった。ただ、棘がある。
 マリアンヌが不安そうな表情で声のする方を見ると、真っ赤な髪の女性を中心に、三人の令嬢が立っていた。その瞳には悪意と蔑み、それと妬みが織り交ぜとなっている。

(あらあら、これはもしかしてお呼び出しかしら)

 舞台では何度も演じたことがある。虐める方も、虐めらる方も、助ける皇子様も。
 よし、どんとこい! と妙な気合を入れた所で、案の定、真ん中の赤髪の令嬢が口を開いた。

「少しゆっくりお話ししませんこと」

 有無を言わせぬ口調に、マリアンヌは心の中でほくそ笑む。

 どうやら退屈はしなさそうだ。
 そして本物の令嬢の意地悪とはどんなものか。
 はやる気持ちを抑え小さく頷くと、三人の後を追いかけるように会場を出た。
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