一年限定の子爵令嬢。私を雇った騎士は強面の可愛い人でした
ダンス曲は軽快なワルツ。比較的リズムがとりやすく、簡単なステップで踊れば悪目立ちすることはない。
ジークハルトの慣れないリードで二人は踊り始めた。
「あら、思ったより上手よ。新人役者より踊れるじゃない」
「一応、習ったからな」
「女性に縁のない顔には見えないけれど、どうやって断っていたの?」
「ムスッと黙っていれば、八割は諦めて立ち去っていく。残り二割は弟や友人に押し付けた」
精悍な顔つきは、黙れば気難しくも見える。しかし、本質を知っているマリアンヌからすると、こんなに可愛い男も珍しいのだが。
「絡まれるのに随分慣れていたようだな。出て行く隙がなかった」
「ごめんなさい。エスティーナ様らしくないことをしてしまったわ」
「いや、エスティーナが帰ってきた時のことを考えてのことだろう。彼女達が先程のことを吹聴することはないだろうから気にするな」
そう言って貰え、マリアンヌは安心した。依頼に沿わない言動であることは理解していたけれど、途中から止まらなくなってしまったのだ。
「強い女性だと思ったよ」
「自分の腕一本で生きてきたからね。ああやって僻む連中は沢山見てきたし、相手してきた」
「そこまでして演じる理由を聞いても?」
珍しく踏み込んでくるな、とマリアンヌはジークハルトを見上げる。その紫色の瞳には好奇の色は浮かんでいない。純粋に興味を持ってくれていることにマリアンヌは妙なくすぐったさを覚えた。
「……単純に好きだからよ。それから、演じることは私にとって生きることに等しいの」
「それは……」
「ねぇ、私のことよりジークハルトのことを教えて?」
マリアンヌは会話の矛先をくるりと変える。これ以上先は誰にも話したことのない話題だから。
「俺のこと? 名前も歳も、職業も知っているだろう?」
「お見合いじゃないんだから。そうじゃなくて。そうね、どうして騎士をしているの? 子爵家を継ぐんだから必要ないんじゃない?」
ジークハルトは少し宙を睨みどこまで話そうか悩んだ後、ぽつりぽつりと話始めた。
「俺が子供の頃、王都で貴族の誘拐が横行していた」
「ジークハルトも誘拐されたの?」
「あぁ、もう少しで異国に売り飛ばされるという時に助けてくれたのが騎士だったんだ。三歳の俺には、颯爽と現れたその騎士が偉く格好良く見えて、将来は彼のようになろうと誓った。子供染みた話だろう」
薄く笑いながらも、紫色の瞳は輝いている。
マリアンヌは首を振った。
「素敵な話ね。それをご両親にしたことは」
「幼い時はあったが大人になってからはない。俺は嫡男だから、子爵家を継ぐ必要がある」
だから、胸の中にその思いを閉じ込めているのだな、とマリアンヌは思う。
(貴族というのは面倒ね)
不器用な上に窮屈な生き方しかできないジークハルトに、予想外の感情が浮かびそうになり、マリアンヌは慌てて心に蓋をした。それでいて、そっと目線を上げ頭ひとつ分上にある顔を見る。
自分とは生きる道が違う男。
不器用で真面目で、今も目が会うだけで照れ臭そうに視線を逸らす。
でも、マリアンヌに触れる手は優しい。
(決して交わることがない道が、僅かな間だけ交差した。ただそれだけのこと)
もとより住む世界が違う人間だと、マリアンヌは心に刻むよう強く思う。
「なんだ?」
余りにもじっと見つめたからか、ジークハルトが居心地悪そうに唇を尖らせた。
(なに、その可愛い反応)
揶揄い半分で、瞳に熱を乗せ潤ませれば、益々顔を赤らめる。良くこれでしつこい女達から逃げられたものだと、マリアンヌは頬を緩めた。
※※
ボロが出ないか心配で、こっそり着いていった先に見たのは、陰湿なものだった。もしかして、以前の夜会でも同じことがあったのではと今更ながら思い至り、自分の鈍さに苛立ちを覚える。
マリアンヌは全くの部外者、兄である俺が助けても不自然ではないと、足を踏み出したところでいつものマリアンヌの声がした。エスティーナを演じている時のか細い声ではない。凛とした、良く通る声。
「貴女達は私を妬んでいるのね」
いっそ清々しいほどの、明け透けな言葉。踏み出した足が反射的に引っ込んだ。
そこからはマリアンヌの独り舞台。特に芝居がかった様子ではないのに、一つ一つの言葉がぐさりと心に刺さる。彼女の生き様や考え方がその言葉から伺え、芯の強い女性だと改めて思った。
「欲しい物があれば手に入れる努力をしなさい」
自分に向けられた訳ではないのに、思わず拳を握っていた。
生まれた時から子爵家の嫡男として育ってきた。自分の望む生き方ではないけれど、仕方ないと半ば諦めていたが、本当にそれでよいのだろうかと心がざわつく。
俺が躊躇っている内にマリアンヌは話を纏めてしまったようで、さっぱりとした顔で通り過ぎようとする。呼び止めようか、見て見ぬふりをしようか、と迷っている内にマリアンヌの方が先に俺を見つけた。
「気分転換にダンスに付き合って」
突然言われ断るも、押し切られ一曲だけ踊るはめに。とりあえずリードはするも、マリアンヌの方が何倍も上手く、まるで自分のダンスの腕が上がったように感じてしまう。
浮かれていたのだろう。つい誰にも言ったことがない、俺が騎士を目指す原因となった事件まで話をしていた。
「素敵な話ね」
じっと見つめられ、その碧い瞳に吸い込まれそうになり、思わず視線を逸らす。
俺とは違う生き方をしている女。
自分の力で一歩ずつ歩んできたその姿は、今まで出会った女性とは全く異なる。
出会えたことに感謝しながら、どうして出会ってしまったのかとも思う。
欲しても、絶対に手に入らないその瞳に手を伸ばしかけて踏みとどまる。
彼女は貴族の籠の中に納まらない。ましてや平民。正妻にすることさえ叶わない存在だ。
そう心の中で理屈を並べて、理性を保っているのに、マリアンヌは蠱惑的な表情を浮かべる。
この感情のまま抱きしめられたら、どんなに良いだろう。今宵ほど、貴族であることに嫌気がさしたことはない。