勝手にしろと言われたので、勝手にさせていただきます
 私――ミシェル・ローゼンは、いつものように突然婚約者に呼び出されていた。

「遅かったじゃないか、ミシェル。今まで一体何をしていたんだ?」

町角にあるオープンカフェで私の婚約者、金髪碧眼のトビアス・エイドが不機嫌そうに睨みつけてきた。

「何をしていたか……ですか? トビアス様が仕事を放りだしてしまったので、私が代わりに仕事をしていたのですけど?」

私はトビアスの婚約者であり、エイド家の商売の手伝いまでさせられていた。私は子爵家、トビアスは伯爵家だったのでどうしても逆らえない立場にいた。

「……ふん! 相変わらず生意気な口を叩く女だな……まったく可愛げがない。地味な容姿の上に、地味な服装にひっつめ髪。その点、ジュリア。君はとても愛らしい女性だ」

「フフフ……ありがとうございます、トビアス様」

トビアスはこれみよがしに、派手なドレスを着たブロンド女性の肩を抱き寄せる。

「地味な服装と言われますが、このドレスは仕事着です。取引先周りをするのに、派手なドレスでは相手に仕事をする気があるのかと思われてしまいます。髪だって、長いと仕事に差し支えがあるので結んでいるのですよ?」

本当は髪の毛などバッサリ切りたいところだが、父に止められている。

「まぁ! 私が派手だと仰りたいの!?」

女性は非難の目を向けるも、私は彼女を無視してトビアスに尋ねた。

「ところでトビアス様。こちらの派手なドレスを着た女性はどなたでしょうか?」

「ま! 私を無視する気ね!?」

「ジュリア、落ち着いて。この女はいつもこんな調子だから気にすることはない」

優しい声で女性を落ち着かせると、トビアスは私を睨みつけた。

「おい、一旦座れ。そうやってお前に見下されていると気分が悪い」

「分かりました、では失礼いたします」

本当は座って呑気に話をしている時間も惜しかった。
トビアスが一切の仕事を放棄しているせいで、補佐をしている私の元へ仕事がどっさり回されている。
いくら婚約者とは言え、これはあまりにも理不尽だ。

「トビアス様。こちらのお店のケーキ、美味しいですわね」

女性は皿の上に載ったケーキを美味しそうに口に運んでいる。

「そうか、気に入ったか。なら帰りにホールで買って帰ろう」

「本当ですか? 嬉しいわ」

私には二人のくだらない会話を聞いているような時間の余裕は無い。さっさと用件だけ聞いて帰ろう。

「あの、座ったのでそろそろ用件を話していただけますか?」

腕組みすると、トビアスに尋ねた。すると、彼は不敵な笑みを浮かべる。

「鈍い女だな……お前、この状況を見て何か気付かないのか?」

「自分の仕事を放棄して、サボっているだけですよね?」

「はぁ!? お前、わざとそんなこと言ってるのか!?」

トビアスは険しい顔で、大声を上げた。

「いいえ、見たままを述べているだけです。それよりも仕事が忙しいので話は手短にお願いします」

「そうか、そこまで白々しい態度を取るって言うんだな? ならはっきり言ってやろう。ミシェル・ローゼン、本日を以てお前との婚約は破棄だ。俺はここにいる、ジュリアと結婚することにする」

トビアスは隣に座る、ブロンド女性の肩を抱き寄せた。

「……婚約破棄? 本気で仰っているのですか? 私達の婚約は両家で取り決めた婚約ですよね?」

エイド伯爵家は財産を武器に、手広く商売を行っている。
一方、ローゼン子爵家はエイド伯爵家の経営管理を行っていた。そこでトビアスと同年齢の私が彼の婚約者に選ばれ、本来トビアスが処理しなければならない仕事を押し付けられていたのだ。

「それがどうしたっていうんだよ? だいたいなぁ、俺は最初っからお前のような生意気女は好みじゃ無いんだよ!」

トビアスは最低な男だった。
婚約者である私に仕事を押し付け、自分は浮気し放題なのだから。

「……トビアス様は今までも、数多くの女性たちと散々遊んできましたが……今まで大目に見て、目をつぶってまいりました」

「え!? トビアス様! 今の話、本当ですの?」

ジュリアという女性は驚いた様子でトビアスを見る。

「ち、違う! 彼女たちは……皆、俺の友人だったんだよ。本気で好きなのは君だけだよ。ジュリア」

トビアスはジュリアの肩を抱き寄せて慰めると、今度は私を睨みつけてきた。

「ミシェル! なんてことを言うんだ! 彼女に謝れ!」

「何故謝らなくてはならないのです? 事実ですよね?」

腕組みすると、何故かトビアスは不敵な笑みを浮かべた。

「そうか……分かったぞ。お前、嫉妬しているんだな? だから嫌がらせのためにそんな嘘を平気でつくのだろう? 大丈夫だ、ジュリア。あの女は俺達に嫉妬して、アリもしない嘘をついているだけなのだから」

甘い声でジュリアを慰めるトビアス。

嫉妬? 誰が誰に嫉妬しているというのだろう? 私とトビアスの婚約は、ほぼ一方的にエイド家が決めたことなのだ。父は身分の違いから断りきれなかっただけだと言うのに。

「嫌がらせをしているのはむしろトビアス様の方ではありませんか? まさか私に妬いて欲しくて、そちらの女性に手を出されたのですか?」

「そ、そうなのですか!? トビアス様!!」

「何言ってるんだ!! そんな筈無いだろう? おいミシェル! いい加減にしろ!」

涙目になっているジュリアを抱きしめると、トビアスは怒鳴りつけてきた。

「いい加減にするのはトビアス様の方です。婚約破棄なんて、ふざけたことを言わないで頂けますか? そんなことできるはずありませんよね?」

「お前……それほどまでに俺と婚約破棄したくないのか? だが、俺は決めたぞ。もう限界なんだよ! お前……俺が何故、今婚約破棄を告げているか分かるか?」

「さぁ? 何故ですか?」

私は膝を組んだ。

「父は今日から外遊で海外に行く。戻ってくるのは5ヶ月後だ。だから父のいない今のうちに、婚約破棄をしてジュリアと結婚するんだよ」

「トビアス様……」

ジュリアはトビアスのことをうっとりした目つきで見つめている。

「外遊ですか……そう言えば、そんな話を聞いていた気がします。ですが、5ヶ月後と言えば、私とトビアス様が結婚する頃ですよね? もう準備は出来ているのですけど?」

そう、5ヶ月後には私とトビアスは結婚式を挙げることになっている。昨日、私は結婚式の招待状をエイド家の名前で郵送したばかりだった。

500通を超える、手書きの招待状は全て自分一人で書き上げたのだっけ……本当に大変な作業だった。
他にも式場の手配や、メニューについてなどもトビアスの名前を使って全て1人で行った。
寝る間も惜しんで、2ヶ月も費やして準備したというのに……トビアスは、こんな僅かな時間で今までのワタシの苦労を台無しにするつもりなのだろうか?

「うるさい! 婚約破棄は絶対する。後のことなど知るものか! お前の方で勝手にしろ!」

トビアスが喚いた。

プチッ

その言葉に、私の中で何かが切れた。

「……そうですか。本当に、私の方で勝手にして宜しいのですね……?」

「ああ、そうだ。勝手にしろ。用件はそれだけだ、とっとと帰って父親に伝えろ。俺との婚約は破棄されたとな」

「分かりました。では、これで私は失礼します」

席を立って、軽く会釈すると私は二人に背を向けた。もう、こんなところに長居は無用だ。

「フフ。私を恨まないでくださいね。トビアス様に選ばれなかったのは、あなたの責任なのですから」

ジュリアの楽しそうな声が背後から聞こえたが、私は振り返らない。

何故なら、今の自分の顔を二人に見られたくはなかったからだ。


****

 職場に戻り、廊下を歩いていると部長が駆けつけてきた。

「良かった、常務。今迄一体どちらに行かれていたのですか? これから役員会議が開かれます。すぐに会議室へ行きましょう」

相当走り回って私を捜していたのだろう。部長は肩で息をしている。

「いいえ、行きません」

「は? 今、何とおっしゃられたのです?」

「ですから、会議室には行きませんと言っているのです。ここへ来たのは自分の私物を取りに来ただけですから」

「え? 私物を取りに来ただけって……それでは会議には……?」

「出るわけありません、というか私はもう完全に部外者になりましたから。部外者が重要な会議に出られるはずありませんよね?」

「部外者になった? 一体どういう意味なのでしょう?」

部長は訳が分からないと言った様子で首を傾げる。そこで私は彼を正面から見据えた。

「実は私、先程トビアス様に呼び出されて婚約破棄を告げられたのです」

「な、何ですって!? 婚約破棄ですか!?」

「ええ、そうです。他に好きな女性が出来たそうです。お相手の方はジュリアという名前の女性でした。近々結婚するそうですよ」

「け、結婚ですって!? それはまた随分性急な話ではありませんか!」

「はい、私はもうお払い箱になりました。そういうことなので会議には出ませんし、仕事もしません」

仕事もしません……なんて、素敵な響きなのだろう。

「そ、そんな! 今この会社が回っていられるのも、常務と常務代行のおかげなのですよ!? お願いですからそんなことおっしゃらないでください! 今見捨てられたらこの会社は大変なことになります!」

常務代行……勿論、父のことである。
父は別に会社を経営しているので多忙な人だ。そして私の仕事の補佐迄時々してくれている。それもこれも、トビアスが自分の立場を放棄して、遊んでいるからだ。

でも、それも今日で終わりだ。私は仕事から解放され、ようやく父も肩の荷が下りるだろう。

「仕事の話なら今後はトビアス様にしてください。彼は今駅前に新しく出来たオープンカフェ『ドルチェ』で女性とデート中です。今から行けば、恐らくまだ間に合うのではありませんか?」

「カフェ『ドルチェ』ですね? 分かりました。今すぐ行って連れてきます」

「ええ。それがいいです。では5年間、お世話になりました」

「いえ。こちらこそお世話になりました。常務はこれからどうするのですか?」

突然の部長の質問に少し考え込んでしまった。

「そうですね……5年間働き詰めだったので、どこかにバカンスに行きたいです。海を眺めながらのんびり過ごすのも良いかもしれません」

「そうですか……ではどうぞお元気で、常務。あなたのことは忘れません」

「ええ、私も部長のこと、忘れません。どうぞお元気で」

少々大げさすぎる別れの挨拶を交わす私達。

「それでは、これからトビアス様を捕まえに行ってきます!」

部長は手を振ると、急ぎ足でエントランスへ駆け足で去って行く。

「さて、私も行きましょう」

そして自分の私物を取りに行くために、書斎へ足を向けた。


****

 辻馬車を拾って、屋敷に帰宅したのは午後3時を過ぎた頃だった。

「まぁ! ミシェルお嬢様、随分お早いお帰りですね? いつもなら21時を過ぎていたではありませんか?」

メイドのサリーが驚きながら、迎えに現れた。

「ただいま、サリー。ええ、私は明日から自由の身よ。ところでお母様はどこにいるのかしら?」

「奥様なら書斎で請求書の計算をしております」

父は僅かばかりの従業員しか雇っていないので、母も仕事を手伝っていたのだ。

「分かったわ、教えてくれてありがとう」

「いえ、ところで何か良いことでもあったのですか? 何だかとても楽しそうに見えますよ?」

「そう? やっぱり分かる? さすがはサリーね。それではお母様の元へ行ってくるわ」

「はい、行ってらっしゃいませ」

サリーに見送られ、上機嫌で母の元へ向かった。


****

「お母様、ただいま戻りました」

ノックをして扉を開けると、机に向かって仕事をしていた母が驚いた様子で顔をあげる。

「まぁ、どうしたの。こんなに早く仕事から帰ってくるなんて初めてじゃない」

「ええ、そうです。実は、今日トビアスから婚約破棄を告げられたのです」

「何ですって!? それは本当の話なの!?」

「はい、本当です。トビアスは別に好きな女性が出来て、その方と結婚するそうです」

「な、なんてことなの……」

その話に母は身体を震わせた。

「やっと……やっと、あの男から婚約破棄を告げられたのね!?」

「はい、お母様! そうなんです!」

私と母は手を繋いで、喜びを分かち合った。

「これはビッグニュースね。すぐにダニエルが帰宅したら、報告しないと。それに今夜は無事に婚約破棄をしてもらえたお祝いをしなくちゃね」

「ありがとうございます。それでは今日から私がお母様の仕事を引き継がせていただきます」

「え? でもミシェルに仕事を頼んでも、いいのかしら?」

以前から母の負担を減らしてあげたいと考えていたのだが、自分の仕事が多忙すぎて手伝うことが出来ずにいた。
だからいつかトビアスから解放されたら、私が母の仕事を引き継ぎたいと考えていたのだ。

「はい、私にお任せください」

そして私は母から仕事を引き継ぎ、父が帰宅するまで経理の仕事を続けた――


****

――19時


「ミシェル、お前がこの時間に家にいるとは珍しいこともあるじゃないか」

仕事から帰宅した父が迎えに現れた私を見て驚いた。

「聞いて下さい、お父様。実は、本日トビアスから婚約破棄を言い渡されたのです」

「何!? そうだったのか!? ついに……ついに、婚約破棄をしてもらえたのだな!?」

「はい、そうなのです。婚約破棄を言い渡された時は嬉しさのあまり、こみ上げてくる笑いを堪えるのが大変でした」

「そうだろう。何しろ5年間待ち望んでいた瞬間がようやく訪れたのだからな」

嬉しそうに笑う父。

普通なら一方的に婚約破棄をされた場合、怒るか嘆くかのどちらかだろう。
けれど、我が家の場合は違う。

ずっとトビアスとの婚約を破棄してもらうことを、遠回しにエイド伯爵にお願いしていたからだ。
けれど伯爵は私とトビアスの婚約破棄を認めてくれなかった。

そこで父はトビアスの女好きを利用し、エイド家の令息が恋人を募集しているという噂を流したのだ。
実際トビアスと交際する女性たちが現れたものの、彼女たちは誰も長続きすることは無かった。

無情に時が過ぎていくなか、ついにトビアスとの結婚の日取りが決まり、私は伯爵に命じられて結婚式の準備をしなければならなくなった。

いやいや、全ての準備が整った矢先。
ついに本日トビアスから婚約破棄を言い渡されたのだから、これほど嬉しいことは無かった。


――この日の夕食は、それは豪華なものだった。

両親は婚約破棄できたことをとても喜び、上機嫌だった。
両親と祝いのワインを飲みながらトビアスのことを考えた。

きっと今頃トビアスは自分の失態に気付き、焦っているに違いないだろう――と。


****


――翌朝8時

「う〜ん……良く寝たわ」

今日から働く必要が無くなった私は、久しぶりに朝寝坊をした。
本日は目が覚めるまで眠らせて欲しいと両親や使用人に頼んでいたのだ。

今までは朝6時に起き、7時半には職場に向かっていた。
その必要性が無くなったことが、どれほど嬉しいことか。

その時、タイミング良く扉をノックする音が聞こえた。

『ミシェル様、起きていらっしゃいますか?』

「ええ、どうぞ」

声をかけると「失礼します」と扉が開かれ、メイドのサラが姿を現した。

「おはようございます、ミシェル様」

「おはよう、サラ。どうかしたの?」

サラが何か言いたそうにしているので、自分から声をかけた。

「は、はい……あの、実はトビアス様がいらしているのです。……帰っていただこうとしたのですが強引に上がりこまれてしまったので、応接室にお通ししております。ミシェルお嬢様を出せとの、一点張りでして……」

「ふ〜ん……なるほど。やっぱりここへ来たのね」

トビアスのことだ。きっと昨日部長に連れ戻されて、渋々仕事を始めたのだろう。そして仕事が多すぎて手が回らなくなって泣きついてきたに違いない。
しかも今は仕事以上に厄介事が降り掛かってきているのだから。

「あの、どうされますか、お嬢様」

「どうするもないわ。私に会うまでは帰らないといっているのでしょう? だったら会わなくてはね」

本当はもう二度と顔など見たくないところだが、帰ってもらわなければ両親にも使用人達にも迷惑をかけてしまう。

「それでは……」

サラがホッとした表情を浮かべる。

「ええ。準備をして応接室に行くわ。そのままお客様をお待たせしておいて」

「はい! ミシェル様!」

ベッドから起き上がると、私はゆっくり朝の支度を始めた――



****


――8時40分

「お待たせ致しました」

「遅い!」

応接室に入るやいなや、トビアスが怒鳴りつけて振り向き……首を傾げた。

「あれ……誰だ?」

トビアスが首を傾げる。初めて髪を下ろした姿の私に戸惑っているようだ。

「誰とは御挨拶ですね。私に会うために、ここへ来たのではありませんか?」

トビアスの向かい側に座ると、笑顔を向けた。

「え……? ま、ま、まさか……お前はミシェルか!?」

私を指差すと、トビアスは席を立ち上がった。

「はい、そうです。どうぞ落ち着いてお座りください」

「あ、ああ……そうだな……けれど、まさかお前がミシェルだとは……着ているドレスだって全くいつもと違うじゃないか……」

「それは当然です。昨日説明したばかりですよね? あれは仕事用のドレスなのです。そんなことよりも、何をしにこちらへいらしたのでしょう?」

すると、トビアスの顔が険しくなる。

「何をしに来たかだと……? そんなことは決まっている。ミシェル! 何故昨日仕事を放りだして勝手に帰った? おまけに今だってそうだ! こんな時間まで家にいるとはどういうことだ。まさか仕事をサボるつもりだったのか? この俺がわざわざお前を迎えに来てやったんだ。すぐに職場へ向かうぞ、来いっ!」

……は?
トビアスのあまりの言葉に驚きすぎて、一瞬私は言葉を無くしてしまった。

「どうした? お前は返事もできないのか? ほら、行くぞ!」

「いやです」

「何だって? 今、何と言った?」

「ですから、いやですと申し上げたのです。何故、もう婚約者でも何でもない人の命令に従わなければならないのですか?」

「何だと? 確かにお前と俺はもう婚約者ではないが……お前は会社の従業員だろう!? 常務と言う肩書きがあるのなら、役目をしっかり果たせ!」

「いいえ、私はあくまで臨時常務です。いいですか? その臨時というのは、仕事をなさらないトビアス様の臨時ということで働いていただけです。もう婚約者ではありませんので、その役目も終わりです。第一……私は、今まで一度たりともお給料を頂いたことが無かったのですよ!」

私はトビアスを指さした。

「な、何だって……給料を貰っていなかった……5年間もか?」

「ええ、そうですよ。何故なら私はトビアス様の婚約者だったからです。エイド家に嫁ぐのだから、給料など必要ないだろうと無給で働かされていたのです。これは、はっきり言って法律違反です。なので、訴えさせていただきますから。この事が世間に知られれば、恐らくタダではすまないでしょうねぇ?」

私の言葉に、トビアスの顔は青ざめた。


「そういうことですので、どうぞお引き取りください。私は5年ぶりに休暇を取ることが出来たので、これからバケーションを楽しみに出掛けるのですから」

「な、何だって! バケーションだと!? 仕事はどうするんだよ! お前がいないと終わらないんだよ!」

ついにトビアスが情けない声を上げた。

「そんなこと知りませんよ。私はもう婚約者ではないのですから」

「だからといって、お前は5年間仕事をしてきたんだろう!? いきなり辞めるにしても、せめて引き継ぎをするのは当然だ! 勝手なことをして責任を放棄するな!」

「勝手なこと……?」

流石にその言葉は聞き捨てならない。

「な、なんだよ……」

「勝手なのはどちらですか? 全く望まない相手と無理やり婚約させられ、全く仕事をしない婚約者の代わりに無給で働かせることは勝手ではないと言うのですか?」

「そ、それは……」

「だいたい、昨日私に婚約破棄を告げたのはトビアス様です、そして私に言いましたよね? 後のことは知るものか、お前の方で勝手にしろと。だから勝手にさせていただきました。仕事を辞めることも、無給で働かされてきたことを訴えるのも」

もはや、トビアスは反論する気力すら失っているようだ。

「それよりもトビアス様、直ぐにでもお帰りになられたほうが良いですよ。仕事以外にあなたにはするべきことがあるのですから」

「す、するべきこと……一体、それって何だよ……?」

「あら? 本当に分かっていらっしゃらないのですか? 全く脳天気な方ですね。仕方ありません……脳内お花畑のトビアス様、よくお聞きください。私はトビアス様の名前で5ヶ月後に行われる予定だった結婚式の招待状を500名の方々に送っています。婚約破棄したのですから、結婚も取りやめ。その連絡を500名の方々にしてくださいね。それに式場の予約の取り消しも全て行ってください」

「何だって!! 俺にやらせようっていうのか!? そんなことはお前がやれ!」

この場に及んで、トビアスはまだ私に仕事をさせようとしている。呆れたものだ。

「はぁ……本っ当に救いようがない、バカなのですね……」

「な、何っ!? バカだと!? 今、俺をバカ呼ばわりしたな!?」

「ええ、そうですよ。バカをバカと言って何が悪いのです? 婚約破棄を勝手にしたのはトビアス様です。当然すべての責任を負うべきでしょう? 大体、一度だって私の手伝いをしてくださったことはありますか? 無いですよね!?」

「お、お前……そんなによく喋る女だったのか……?」

震えながら私を見るトビアス。

「ええ、必要とあれば喋りますよ。結婚式の招待状は全てトビアス様の名前で出してあります。あ、言っておきますが私の名前は頭文字しか記載してありませんので、招待状を受け取った方々は私を問い詰めることは出来ないでしょうね。招待状を出した中には口うるさい人々も大勢いますので、エイド伯爵家の評判を落としたくなければ、早急に結婚式の中止を知らせる手紙を出したほうが良いですよ」

「何だと! ミシェル……お前、俺をハメたのか!?」

「そんなことするはずないじゃありませんか。私はトビアス様をハメるほど暇人では無かったのですから。1人で無理ならジュリア様にも手伝って貰ったらいかがです? さっさとお帰りになって行動に移さないと間に合いませんよ?」

「ち、畜生……! お、覚えていろよ!」

トビアスは捨て台詞を言い残すと、半泣きになって応接室を飛び出していった。

「……本当にバカな男」

覚えていろよと言ったところで、恐らくもうトビアスには何も手は打てないだろう。
何しろエイド家の会社はもう終わりなのだから。
一切の仕事を手伝っていなかったトビアスは知らないだろうが、エイド家の事業は失敗し、内情は火の車だった。

伯爵は外遊だと言っていたようだが、実際は違う。金策に走り回っているのだ。

もっと早くトビアスが仕事を手伝って入れば、気付いただろうが……もう手遅れだ。
恐らく来月には、破産手続きが行われるだろう。

「本当に、エイド家と手を切って良かったわ」

ソファから立ち上がった。
明日から家族水入らずで、海辺のリゾート地にバケーションに向かうことになっているのだ。

「フフ……楽しみだわ。それに何だか新しい出会いも起きるような気がするし」

私は足取りも軽やかに、自室へと向かった。

もちろん、リゾート地に向かう準備をする為に――
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