お兄さんと私
「当店ではそちらのお取り扱いはありません」
レジのお兄さんに淡々とそう告げられて、私は呆然とした。
駅の近くの、決して小さくはない本屋。今日発売の小説を意気揚々と買いにきたのだが、なんと入荷していなかった。
何故か、新しく発売する本はどこに行っても買える気がしていた。そうか、今の時代は予約とかしておかないと、入荷するかどうかも怪しいのか。最近は電子書籍を買うことが多く、暫く紙の本は購入していなかったから知らなかった。
「わかりました……ありがとうございました」
しょんぼりして私はそのまま帰ろうとした。これはネットで購入するしかないだろうか。せっかく久々に本屋に来たのに、なんだか味気ない結果になった。そう思っていると。
「あの」
ちょっとだけ大きな声を出して、レジのお兄さんが私を呼び止めた。
「取り寄せなら、できますけど」
ぶっきらぼうにそう告げたお兄さんに、私は少しだけ考えて。
「お願いします」
せっかくだから、本屋で買いたい。多分、ネットで注文した方が早く届くんだけど。
せっかくだから。お兄さんが、声をかけてくれたから。
そのまま私はお兄さんの案内で、注文用紙に必要事項を記入して、目当ての小説の取り寄せを頼んだ。
お兄さんが用紙に担当者名を書き込む。『田村』。そうか、お兄さんの名前は田村っていうのか。最近の風潮に合わせてお兄さんは名札をつけていなかったから、そこで初めて私はお兄さんの名前を知った。
「では、入荷しましたら連絡します」
「はい、お願いします」
淡々と。事務的な会話だけ交わして、私は本屋を後にした。
*~*~*
『ご注文の本が入荷しましたので、ご都合の良い時にお越しください』
スマホに留守電が入っていた。田村さんの声だった。
私は駅近くの本屋に行き、レジに向かった。そこには、取り寄せを担当してくれた田村さんが立っていた。
「注文していた林です」
言って、私はレジ台の上に注文用紙の控えを出した。
「少々お待ちください」
今日も変わらず、事務的な会話だけして。田村さんはレジ後ろの棚から本を取り出して、レジ台に乗せた。
「こちらでお間違いないですか」
「はい」
会計を済ませ、本を鞄にしまう。
「ありがとうございました」
形式的な言葉に軽く頭を下げて、私は本屋を出ていく。
田村さんはもう視線を外していて、私を見ることはなかった。
*~*~*
「あ、二巻発売するんだ」
半年後。以前買った小説の続きが発売することを、SNSで知った。少し考えて、私は駅近くの本屋で予約することにした。一巻が入荷しなかったのだから、二巻もそのままでは入荷しないだろう。
売っていそうな本屋に買いに行ってもいいのだけど。何故だか私は、田村さんを思い出していた。
本屋に行くだけなのに、なんとなく下ろしたてのスカートをはいたりなんかして。私は目的の本屋に入る。
レジには、女性が立っていた。私は拍子抜けした。それはそうか。店員が一人しかいないはずはない。田村さんがいつもレジにいるとは限らないし、そもそもまだこの店にいるかどうかもわからない。何せ前回から半年経っているのだ。バイトなのか社員なのかも知らない。
そのままレジに向かえばいいのに。目的ははっきりしているのに。私は無意味に店内をぶらついた。何が見たいわけでもないのに、気まぐれに本を手に取ってみたりして。
暫くそうしていると、バックヤードから店員が出てくるのが見えた。視線を向けるとその人と目が合って。
ぺこり、と田村さんが先にお辞儀した。私は慌てて会釈した。
別に、客なんだから、そりゃ目が合ったらお辞儀するだろう。でもなんとなく、覚えててくれたんじゃないか、なんて。
「あの」
そのまま立ち去ろうとする田村さんに、私は声をかけた。
「続きを、予約しに来ました」
言ってから、私ははっとした。
「あの、前買ったの、二巻が発売するって見て」
違う、そうじゃなくて。タイトルタイトル。やばい、ど忘れ。
焦って俯きかけた私の上から、田村さんの落ち着いた声が降ってきた。
「『猫と雀の共同生活』二巻のご予約ですね。こちらへどうぞ」
私が見上げると、田村さんは既にレジに向かって歩き出していた。
その背中をぼけっと眺めて、はっとして慌ててついていく。
覚えてた。半年前に、一回買いに来ただけなのに。覚えてた。覚えてた。
そんな些細なことで、心音が速まった。
レジで注文用紙を記入しながら、浮かれていたのだろう、私は田村さんに話しかけた。
「お客さんが注文した本、全部覚えてるんですか? すごいですね」
話しかけられた田村さんは、少しだけ驚いた様子を見せた。それから、照れたように視線を外した。
「いえ、全部は覚えていません。俺もそれ、好きなので」
「そうなんですか?」
嬉しくて、私はぱっと笑顔を向けた。この本が好きな人と、リアルで初めて会った。
「……その、作者が好きで。前作から追ってて」
「え、前作あるんですか?」
「ありますよ。この店には、置いてないですけど」
「あー……そうなんですね」
そんなに品揃えが悪いわけではないのに。売れ筋と違うから、仕方ないのだろう。
「そっちも、取り寄せますか?」
田村さんに聞かれて、私は目を瞬かせた。
「あ、いや、営業とかじゃないんで。無理にとは」
「いえ、是非。お願いします」
そう答えると、田村さんは取り寄せ注文も一緒に受けてくれた。
「では、入荷しましたらご連絡します」
「はい。よろしくお願いします」
軽い足取りで、出口へと向かう。ふと、足を止めて私は振り返った。
田村さんと、目が合った。
田村さんがちょっと目を丸くしたので、私はなんだかおかしくて、軽く笑って会釈をした。それを見た田村さんも、小さくお辞儀をする。
今度こそ、私は本屋を出た。
他には、何の本が好きなんだろう。
次来た時に、おすすめの本を聞いてみようかな。
今度は何着て来よう。
代わり映えのない日常に、小さな楽しみができた。
レジのお兄さんに淡々とそう告げられて、私は呆然とした。
駅の近くの、決して小さくはない本屋。今日発売の小説を意気揚々と買いにきたのだが、なんと入荷していなかった。
何故か、新しく発売する本はどこに行っても買える気がしていた。そうか、今の時代は予約とかしておかないと、入荷するかどうかも怪しいのか。最近は電子書籍を買うことが多く、暫く紙の本は購入していなかったから知らなかった。
「わかりました……ありがとうございました」
しょんぼりして私はそのまま帰ろうとした。これはネットで購入するしかないだろうか。せっかく久々に本屋に来たのに、なんだか味気ない結果になった。そう思っていると。
「あの」
ちょっとだけ大きな声を出して、レジのお兄さんが私を呼び止めた。
「取り寄せなら、できますけど」
ぶっきらぼうにそう告げたお兄さんに、私は少しだけ考えて。
「お願いします」
せっかくだから、本屋で買いたい。多分、ネットで注文した方が早く届くんだけど。
せっかくだから。お兄さんが、声をかけてくれたから。
そのまま私はお兄さんの案内で、注文用紙に必要事項を記入して、目当ての小説の取り寄せを頼んだ。
お兄さんが用紙に担当者名を書き込む。『田村』。そうか、お兄さんの名前は田村っていうのか。最近の風潮に合わせてお兄さんは名札をつけていなかったから、そこで初めて私はお兄さんの名前を知った。
「では、入荷しましたら連絡します」
「はい、お願いします」
淡々と。事務的な会話だけ交わして、私は本屋を後にした。
*~*~*
『ご注文の本が入荷しましたので、ご都合の良い時にお越しください』
スマホに留守電が入っていた。田村さんの声だった。
私は駅近くの本屋に行き、レジに向かった。そこには、取り寄せを担当してくれた田村さんが立っていた。
「注文していた林です」
言って、私はレジ台の上に注文用紙の控えを出した。
「少々お待ちください」
今日も変わらず、事務的な会話だけして。田村さんはレジ後ろの棚から本を取り出して、レジ台に乗せた。
「こちらでお間違いないですか」
「はい」
会計を済ませ、本を鞄にしまう。
「ありがとうございました」
形式的な言葉に軽く頭を下げて、私は本屋を出ていく。
田村さんはもう視線を外していて、私を見ることはなかった。
*~*~*
「あ、二巻発売するんだ」
半年後。以前買った小説の続きが発売することを、SNSで知った。少し考えて、私は駅近くの本屋で予約することにした。一巻が入荷しなかったのだから、二巻もそのままでは入荷しないだろう。
売っていそうな本屋に買いに行ってもいいのだけど。何故だか私は、田村さんを思い出していた。
本屋に行くだけなのに、なんとなく下ろしたてのスカートをはいたりなんかして。私は目的の本屋に入る。
レジには、女性が立っていた。私は拍子抜けした。それはそうか。店員が一人しかいないはずはない。田村さんがいつもレジにいるとは限らないし、そもそもまだこの店にいるかどうかもわからない。何せ前回から半年経っているのだ。バイトなのか社員なのかも知らない。
そのままレジに向かえばいいのに。目的ははっきりしているのに。私は無意味に店内をぶらついた。何が見たいわけでもないのに、気まぐれに本を手に取ってみたりして。
暫くそうしていると、バックヤードから店員が出てくるのが見えた。視線を向けるとその人と目が合って。
ぺこり、と田村さんが先にお辞儀した。私は慌てて会釈した。
別に、客なんだから、そりゃ目が合ったらお辞儀するだろう。でもなんとなく、覚えててくれたんじゃないか、なんて。
「あの」
そのまま立ち去ろうとする田村さんに、私は声をかけた。
「続きを、予約しに来ました」
言ってから、私ははっとした。
「あの、前買ったの、二巻が発売するって見て」
違う、そうじゃなくて。タイトルタイトル。やばい、ど忘れ。
焦って俯きかけた私の上から、田村さんの落ち着いた声が降ってきた。
「『猫と雀の共同生活』二巻のご予約ですね。こちらへどうぞ」
私が見上げると、田村さんは既にレジに向かって歩き出していた。
その背中をぼけっと眺めて、はっとして慌ててついていく。
覚えてた。半年前に、一回買いに来ただけなのに。覚えてた。覚えてた。
そんな些細なことで、心音が速まった。
レジで注文用紙を記入しながら、浮かれていたのだろう、私は田村さんに話しかけた。
「お客さんが注文した本、全部覚えてるんですか? すごいですね」
話しかけられた田村さんは、少しだけ驚いた様子を見せた。それから、照れたように視線を外した。
「いえ、全部は覚えていません。俺もそれ、好きなので」
「そうなんですか?」
嬉しくて、私はぱっと笑顔を向けた。この本が好きな人と、リアルで初めて会った。
「……その、作者が好きで。前作から追ってて」
「え、前作あるんですか?」
「ありますよ。この店には、置いてないですけど」
「あー……そうなんですね」
そんなに品揃えが悪いわけではないのに。売れ筋と違うから、仕方ないのだろう。
「そっちも、取り寄せますか?」
田村さんに聞かれて、私は目を瞬かせた。
「あ、いや、営業とかじゃないんで。無理にとは」
「いえ、是非。お願いします」
そう答えると、田村さんは取り寄せ注文も一緒に受けてくれた。
「では、入荷しましたらご連絡します」
「はい。よろしくお願いします」
軽い足取りで、出口へと向かう。ふと、足を止めて私は振り返った。
田村さんと、目が合った。
田村さんがちょっと目を丸くしたので、私はなんだかおかしくて、軽く笑って会釈をした。それを見た田村さんも、小さくお辞儀をする。
今度こそ、私は本屋を出た。
他には、何の本が好きなんだろう。
次来た時に、おすすめの本を聞いてみようかな。
今度は何着て来よう。
代わり映えのない日常に、小さな楽しみができた。