真夜中プラトニック
 約二ヶ月前。最愛の兄が、亡くなった。

 死因は、歩道に突っ込んできた暴走車にはねられ頭部を強打したことによる脳挫傷だと聞いた。
 仕事中に病院から報せを受けたあの瞬間から、私は今もずっと、悪い夢の中にいるような気がしている。

 十八歳の高校三年生だった頃に両親が他界し頼れる親戚もいない私にとって、兄は唯一の家族だ。そんな大切な人を失い、自分でも思っていた以上に心身にダメージを負っていたらしい。

 食事があまり喉を通らず、夜も眠れなくなった。
 抜け殻のような身体をなんとか動かして葬儀や諸々の手続きをこなし、職場に復帰してから二十日ほど。
 とうとう私は今日、アシスタントデザイナーとしての一日の勤めを終え事務所を後にしようとしたとき、激しい眩暈に襲われ倒れてしまったのだ。

 同僚が呼んでくれた救急車で近くの総合病院に運ばれて検査を受け、そこまで深刻な病状ではないものの数日入院して経過を観察するとの診断を受けた。

 情けない。付き添ってくれた歌子さんにも、ともに働く同僚たちにも、心配や迷惑ばかりをかけている。自己嫌悪に押し潰されそうで、よく兄と似ていると言われたつり気味の目をきつく閉じた。


「……ねぇ、陽咲ちゃん──」


 歌子さんがまた口を開いた、そのときだ。
 病室のドアがノックされ、ハッとした私は目もとを隠していた腕を外した。
「はい」と少し掠れた声を返せば、すぐに外側からドアが開かれる。


「陽咲」
「……朔夜さん?」


 急いた様子で姿を見せたその男性は、とてもよく見知った人物だった。

 サイドと襟足を刈り上げた、すっきりと清潔感のある髪型。
 凛々しい太めの眉の下には意志の強そうなふたつの綺麗な目、すっと通った鼻筋に薄めの唇。

 端整でありながらどこか鋭さのある精悍な顔立ちは一見とっつきにくそうではあるけれど、そんな彼が実はとても優しい人物だと私は知っている。

 なぜ、このひとが今ここにいるのか。私は動揺しながら彼の名前をつぶやき、肘をついて半身を起こしかけた。


「あっ、ダメよ陽咲ちゃん」
「陽咲、そのままでいい」


 けれども歌子さん、そして足早にこちらへ近づいてきた朔夜さんのふたり同時に制されてしまい、仕方なくまたベッドに身体を沈める。

 仕立てのよさそうなネイビーのスリーピーススーツを身にまとった朔夜さんはベッドの傍らまでやってくると、百八十センチ以上はあろう長身を屈めて私の顔を覗き込んだ。
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