孤独な強面天才外科医は不自由な彼女を溺愛したい
 白哉はピアノの蓋を開け、一人で弾き始めた。

「嘘……」

 彼が弾き始めたのは、ショパンの『別れの曲』。有名なエチュードである。

 その音色は『離別』を象徴するように、もの悲しく、聞いているだけで嫌になる。
 その音色が幾重にも重なり繊細に聞こえるのは、打鍵が丁寧だから。なのに、感情がかき乱されて、杏依は思わず耳をふさいだ。

 なんなのよ、これ。

 嫌で仕方ないのに、耳をふさいでも何かを訴えるように頭の中に響く。まるで、自分の心を抉るようなピアノの音色。
 ムカつくくらいに上手い。それを奏でているのが〝人殺し〟であることが、余計に腹立つ。

 腹が立つのに、溢れたのは涙だった。苦しくて、恨めしくてたまらない。

 なんで、こんなに胸を打つ音色を奏でることができるの?

 やがて演奏が終わる頃には、杏依の顔はグシャグシャになっていた。ただ彼の背中を見つめて、立ち尽くしていた。
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