孤独な強面天才外科医は不自由な彼女を溺愛したい
「もう、ピアノは弾けないってことですよね」

「九十九パーセント、機能が元に戻ることはありません」

「なに、それ……」

 涙がぽろぽろと溢れ出した。

 子どものころから、ピアノが大好きだった。音大に入って、器楽科でピアノを学んで、海原楽器にピアノ講師として就職した。
 杏依の生きてきた二十四年間は、常にピアノと共にあったのだ。

「切らないとどうなるんですか?」

「洗浄治療をあと三か月は続けることになる。それと並行して左手のトレーニングとリハビリをすることになるかと」

 杏依は奥歯を噛みしめた。
 毎日眠れなくて、睡眠薬を飲んでいる。鎮痛剤も飲んでいる。それでも痛いし、恐怖で毎日疲れるのに、そのうえリハビリにトレーニングなんて……。

 どんなにこらえようとしても、涙が止まらない。
 どうして自分だけ、こんな目に遭わなきゃいけないのか――。

「切るか?」

 杏依は深呼吸をした。決断するのは、自分だ。
 ぎろりと鋭い瞳が、杏依を睨む。杏依は腹をくくった。

「…………切ります」

「これ、同意書」

 手渡されたそれに、慣れない左手で、ぐにゃぐにゃと曲がったサインをした。

 もう、逃げられない。杏依は、腕を切らなければならない。
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