月の都の姫君はスローライフを送りたい。
わたくしへの断罪は、月の都からの追放。その過程で死んで転生したものだとばかり思っていたけれど……どうやら月の都からすれば、期間限定の投獄のようなものだったらしい。
「冗談じゃないわ。わたくしからすれば、地上より月の方が監獄よ」
愛されない、信じて貰えない、勝手に追放しておいて迎えに来る? そんなの嫌。あんな場所には絶対に戻りたくない。
そう思うのに、次の満月には彼らがわたくしを迎えに来るのだと嫌でもわかった。月の都に戻り、今度は家のために別の貴族にでも嫁がされるのだろうか。どの世界に行っても、何も変わらない。
悔しさと悲しさに、月を見上げる度に涙が溢れた。
「……かぐや姫、毎晩月を見て泣いているのは何故なんだ? さては帝が恋しくて……」
「……お爺さま、お婆さま。お話があります」
「?」
わたくしは月の都のこと、そこへ連れ戻されること、ここに至るまでのすべてを正直に話した。
最初は信じられないと言わんばかりだった二人も、そもそも光る竹から出てきたわたくしを普通の人間とは思っていなかったのだろう。理解してくれてからは話が早かった。
「そんな……何か方法はないのか?」
「……月の住人は、おそらく屋敷に鍵をかけようと何千もの兵を雇おうと、難なくわたくしを連れ出すでしょう」
いくら嫌と言ったところで、お別れは避けられない。月の住人は地上の住人が持ち得ない不思議な力を持っているのだ。
「ここまで育ててくださり、本当にありがとうございます……このご恩は忘れません」
お爺さまとお婆さまも嘆き悲しみ、無駄と知りながらも全国から傭兵を雇った。屋敷には何十もの鍵を取り付けた。
そして、帝に手紙で別れを告げると、彼もまた、満月の夜にわたくしを守りに来てくれるのだと言う。
その申し出は嬉しくもあり、悲しくもあった。会わずに居たなら、いっそ手紙でしか知らない距離感のまま別れられたのに。会ってしまえば、その一瞬を永遠に忘れられなくなるだろう。
けれど、わたくしに拒むことは出来なかった。
そうして、せっかくの初めましてがさようならになる夜は、あっという間にやって来た。
「……かぐや姫。今宵あなたを守りきれたなら、生涯添い遂げさせて欲しい」
「わたくしは……」
初めて顔を合わせた帝は手紙の印象の通り優しそうな雰囲気で、柔らかな声をしている。
やっぱり会ってよかったという気持ちと、すぐに迫った別れに胸が痛む。
そして、返事を告げる前に、ふと屋敷の外が騒がしくなった。
「何事だ……!?」
帝が部屋の戸を開けると、天に登った満月は昼間の太陽のように眩しく輝き、外に居た者は突然の光に目も開けていられないようだった。
よく見ると、部屋の近くを守っていた傭兵たちの後ろ姿は、あの五人によく似ている気がした。
光は梯子のようにまっすぐわたくしの居る屋敷に降りて来て、遠くから静かな足音と楽器の音色が聴こえる。
「あれは……」
月の都でよく聴いた音だ。音のする方へ視線を向けると、美しい羽衣を纏った女たちがこちらへ向かってくるのが見えた。
「……姫、危険です、お下がりください!」
「いえ、あれは……わたくしを迎えに来たのです」
帝の制止を振り切り、わたくしは一歩部屋を出る。光の中歩く女たちは、皆見覚えのある顔だ。
月の都でわたくしに仕えてきた侍女たちが迎えに来たのだとわかり、わたくしは溜め息を吐いた。
迎えが家からのものだとすれば、逆らえばどうなるかわからない。わたくしが生粋の悪役令嬢なら、その家族だって善良な訳がないのだ。
下手をすれば、帝の命すら危ぶまれる。月の都からすれば、地上は牢獄扱いなのだ。そんな場所の住人なら、お偉いさんだとしても知ったことじゃないだろう。
「帝……わたくしは、帰らねばなりません」
「しかし……姫は泣いておられる……帰りたくなどないのでしょう!?」
「それは……。……ですが、抗える相手ではないのです」
やがて侍女たちはわたくしの部屋の前までやって来て、頭を垂れながらわたくしへと羽衣を差し出した。
「姫様、お迎えに上がりました」
「……ありがとう。あちらに居るお爺さまとお婆さまに育てていただいたのよ。丁重にお礼をしてちょうだい」
「かしこまりました。旦那様よりお礼の品と、秘薬をお預かりしております」
涙を拭いながら、わたくしは凛とした態度で侍女たちに指示を出す。月の都では、他人に涙を見せることなんてなかった。強く在らねばならなかった。
わたくしの涙と弱さを知って受け入れてくれたお爺さまとお婆さま、それから、尚もわたくしを守ろうとする帝へと笑みを向ける。
「あなた方に出会えて、かぐやは幸せ者にございます。どうか、お礼をお受け取りください……こちらは不死の妙薬ですわ」
「不死の……?」
「ええ、あなたのような心優しい帝の治める国ならば、永遠に栄えましょう。わたくしは月の都より、それを見守らせていただきますわ」
「姫……」
金銀財宝や地上にはない美しい品、それから不死の妙薬を置き、わたくしは侍女たちによって羽衣を着させられる。
これを纏うと、別れを惜しむ弱い心が消えていくような気がした。月の都の住人は、地上の住人よりも心が欠けている気がする。だからこそ、簡単に裏切ったり捨てたりするのだ。
それでも、だからこそ、わたくしはこの地上の人たちが大好きだ。優しさと温もりをくれた、愚かしい程にわたくしへ心を傾けてくれた彼らが、大好きだった。
「皆さん、本当にありがとうございました……あなた方のことは、一生忘れません」
「姫……! お待ちください、姫……!」
「……お返事は、またどこかで会えたなら、その時に」
「え……?」
一層眩い光に照らされて、帝もお爺さまたちも傭兵たちも、身動きが取れないようだった。
阻むものは何もなく、わたくしは月へ至る光の道をふわりと歩く。
別れを惜しむ心も、悲しい気持ちも羽衣によって押し込められて、振り返ることなく、わたくしは夜の頂へと帰っていった。
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