形がわりの花嫁は碧き瞳に包まれる

おや?と、女は、首をかしげて櫻子を見る。

その姿は、女の櫻子が見ても、艶っぽいものだった。

年の頃は、三十そこそこだろう。ほんのりと白粉をはたいた、面長の顔には、目を引く鮮やかな色の紅がキリリと引かれてあった。

紺鼠(こんねず)の、地味な銘仙に、白い帯を合わせた着こなしは、大人の色気を醸し出している。

どこか、勝代と重なる素人離れしたものがあったが、こちらの女には、いんぎんな感じはなく、むしろ、小股が切れ上がったとは、このことだろうと、納得できる爽快さがあった。

「だよねー、珈琲なんて飲めるかって、話だよねー。苦いだけの、豆の煮汁じゃないか」

女は、金原を前にして、堂々と軽る口を叩いている。

「あたしゃー、どうしても、そいつは、だめだよ。キヨシ、どこがそんなに、旨いんだい?」

と、言って、渋い顔を金原へ向けた。

「ふん、珈琲は、お前のその顔ほど、渋くはないぞ」

「あれ!ちょいと!やっぱり、今日は、ご機嫌だねぇ。奥様聞いたかい!鬼のキヨシが、冗談なんか言ってるよ!あー!こりゃー、明日は雨だ!」

たちまち、金原の顔つきが変わった。

何が起きるか、おおよそ想像できた櫻子は、恐ろしさから、体をギュと強張らせる。

きっと、怒鳴り散らす事だろう。そして、何も言ってない、櫻子まで、とばっちりを受けるのだ。

余計なことを、と、横目で女を見るが、知らぬ存ぜぬで、女はへらへらしている。その調子の良さにも、どうしたことか、苛つきは、感じなかった。

口は悪いが、どこか、人の良さが、見え隠れしている。

びくつきながらも、櫻子は、女を頼もしいと思った。何があっても、この調子で、もしかしたら、櫻子のことも、庇ってくれるかもしれないと。

金原は、不機嫌そうにするだけで、黙って、運ばれて来ているカップを口へ運んだ。

「……お浜。お前、また、適当に入れただろう?豆をきちんと計れと、あれほど言っているのに……渋くて、飲めたもんじゃない」

「あー!!やっぱり!あんたも、本当は、渋いと思っていたんだね!カッコつけて珈琲を入れろ、なんて言ってるけどさぁー!」

はははっと、女は、笑った。

が、すぐに、笑いを止めると、

「ちょいと!それで、あんた、奥様には、ちゃんと、筋通したんだろうね!」

急に真顔になり、金原へにじり寄る。

「当たり前だ!筋は通した!金原の名前に傷がつく!」

ガチャンと耳障りな音を立て、金原はカップを置くと、声を荒げ、女に噛みついた。

本当かねぇ、と、女は、いぶかしげに、金原を見ている。

この光景が、さっぱり分からないのが、櫻子で、自分は、どうすれば良いのだろうかと、二人のやり取りをだまって見ているしかないのだが、当然、居心地が悪い。

櫻子のことなど、二人とも、忘れているのか、

「あのな!俺は、ちゃんと、しきたり通り、こいつを、運んだぞ!それで、十分だろう!」

女の態度に、煽られた金原は興奮ぎみに言っている。

「……しきたりって、なんだよ」

噛みつくような、勢いだった、女は、瞬間、おとなしくなる。と、いうよりも、金原の発した、しきたりというものに、首をかしげていた。

「だからっ!ハリソンに教わった通り、俺は、こいつを、抱きあげて運んだ!西洋のしきたりに、したがった!」

はっ?!と、女は、裏返った声を出す。

「……奥様、なんですかい?それ」

「え?!」

急に、振られた櫻子は、驚くばかりだった。

「……あの、わ、私にも良く……」

分からない、と、言ってしまうのが恐ろしく、櫻子はそのまま口ごもる。

「……聞いた所によると、西洋では、新居へ、妻を抱きかかえて入るらしい……だから……」

金原の言葉に、ん?と、女は、さらに不思議そうにして、櫻子を見た。

「奥様、言ってること、わかりますかい?」

「え?!」

当然のことながら、金原が何を言っているのか、わからない櫻子は、つい、さぁ、と答えてしまった。

金原が前にいたのだと、余計なことを言ってしまったと、櫻子は、はっとして、さっと、口元を袖で覆う。

なにがなんだかの、女二人に、苛立つ金原は、もういい、と、捨て台詞の様な物を残し、すくっと立ち上がると、入り口の襖からではなく、閉じられている障子を、バンと荒く開け、伸びる縁側へ踏み出すと、そのまま出ていった。

「あー、縁側から回る方が、この屋敷は、便利がいいんだよ」

と、女は、呑気に言っている。

はあ、と、櫻子は、返事にもならない返事をするしかない。

「まったく、なんなんだろうねぇ、と、いうよりも、何で、そのままで、連れて来たんだよ!」

女は、櫻子の、みすぼらしい、普段着とも呼べない着物に目をやった。

「全く、主人が、あれだから。気の効かない屋敷で、すまないねぇ」

金原が去って行った縁側を女は、見て、けっ、と、不満をぶつける。

「……あの……」

「あ、あぁ!あたしは、浜、ここの、女中。お浜って、呼んどくれ!ってことで、さあ!奥様の部屋へ案内するよ。そして、とっとと、着替えよう!」

着替えようと、言われても……。

櫻子は、着の身着のまま連れて来られた。着替えなどもちろん、持ってきていない。

俯く櫻子に、お浜松と名乗った女は、優しく微笑みかける。

「安心おしなって。必要なものは、すべて揃っているからね。柳原の物など、糸一本持ち込ませるな、なんて、まーた、あいつが、カッコつけてさぁ」

金原のことを、あいつ呼ばわりしながら、お浜は、はははっと、女中らしからぬ肝の座った笑い声をあげた。
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