形がわりの花嫁は碧き瞳に包まれる

櫻子は、息を飲む。

見えたものは、想像していた冷えた板間ではなく、白い大きなベッドが置かれた西洋式の部屋だった。

ベッドだけではない、椅子付の鏡台、背の低い箪笥、明かり取りの小さな窓は、レース製のカーテンも取り付けられている。

もちろん床には、絨毯が敷かれてあった。

柳原の家で、珠子の部屋を掃除していた時、置かれてあった少女雑誌を櫻子はこっそり見た事がある。

部屋は、その雑誌に描かれてあった、挿し絵そのもので、櫻子の前には、乙女の憧れが広がっていた。

「足りない物があれば、お浜に言え」

金原は、淡々と言うと、櫻子をベッドの上に下ろした。

体が沈みこむような、ふんわりとした感触に櫻子は、はっとする。

子供の頃、母の添い寝で、お昼寝をしていた蒲団の柔らかさ、確か、あれも、こんな具合だった。

いったい、いつからだろう。こんなに優しい肌触りから離れてしまったのは。

ふと、幸せだった頃の事を思い出し、櫻子は、座らされているベッドに掛けられている生地をそっと撫でた。柳原の家で使っていた掛け布団とはまるで異なる、つやつやとしたものだった。

絹かもしれないと、櫻子は思う。ベッドに合わせて設えたのだろうが、そんな、贅沢に甘えて良いのだろうか。そもそも、ベッドなど、初めてで、櫻子は臆していた。

ふっと、顔をあげると、金原の碧い瞳が、物言いたげに櫻子を見ていた。

視線は重なる。

余計な事に巻き込まれてはと、さっと、顔をそらした櫻子へ、金原は少しばかり弱々しく言った。

「……好みでは、なかったか。まあ、いい。どうせ、ここは、夫婦の寝室だ。寝るだけの部屋。昼間は他の部屋を使うといい……」

とたんに、廊下にいたお浜が、きゃーーと、黄色い声をあげた。

続けて、金原を追って来ていた龍も、弾ける。

「お浜!言ったよ!言い切ったよぉーー!!夫婦の寝室だとよっ!!」

お浜!龍!と、二人は呼び合いながら、顔を見合わせた。

「やだよっ!寝室!寝間だよ!!夫婦のだよっ!!龍!!」

「バカ!お浜、それを言うなら、閨房(けいぼう)だろうがっ!」

「きゃーー閨房ーーーー!!いやだよっ!龍ったら!!」

お浜も、龍も、部屋の入り口で、跳び跳ねんばかりの勢いを見せた。終いには、何故か、互いに手まで取り合って。

「……いい加減にしろっ!!寝室と、言っただけだろうがっ!お前ら、何を、邪粋なことをっ!!!」

当然の事ながら、金原は、怒り全開で、廊下の二人を怒鳴り付けるが、受けたお浜も龍も聞く耳持たず。

相変わらず、二人で、ワイワイやっている。

「あーー!そうだっ!相手は、キヨシだ。ここのところ、何かと忙しくて、ご無沙汰だったろう?」

「おお!そうだ、お浜!鬼キヨの夜の素顔が出ちまったらっ!!」

「奥様が、持たないよっーー!!!」

「おお!やべぇなぁ。ひとまず、お浜!先に、社長をなだめとけっ!」

「……そうだね!致し方ない。ここは、奥様の為だ。あんな、華奢な体で、鬼キヨに襲われたら、確かに、持たないっ!!」

言うが早いか、お浜は、帯に手をかけながら、部屋へ乗り込んで来た。

「キヨシ!先に、あたしを抱きなっ!!やりつくして、力尽きとけっ!!」

シュルシュルと、帯をほどき、お浜は、あっという間に長襦袢姿になった。

「えっ?!」

櫻子には、何が起こっているのか、かいもく見当もつかないというよりも、着物を脱ぎ捨てるお浜の姿に、目のやり場がないと、俯くしかなかった。

さすがに、これは、凝視できない。

それは、もちろん、金原も同じくのようで、

「や、やかましいわっ!!お、お前、なんてことをっ!!」

と、怒鳴り散らしながら、部屋を出る。

そして、例の硝子戸を、ピシャリと閉めた。

「えーー!あたしゃー、どうすれば!脱いじまったのにぃ!」

お浜は、不満げに、口を尖らせ、龍を見た。

「ありゃ?社長、どうしちまった?!」

龍も、呆然としている。

一番、呆然としているのは、もちろん、櫻子で、お浜と龍のやり取りは、なんなのかと、考えを巡らすが、どうにも答えには行き当たりそうになく……。

「お、お浜さん、き、着物を……」

と、小さく言うのが精一杯だった。

「あ、そうか、奥様には、少し難しかったわねぇ」

お浜は、困惑する櫻子に、何かを見たようで、そっと近寄ると、

「大丈夫。初めての時は、みんな、怖がるけど、終わってしまえば、何のこたぁないものだから。キヨシに任せておけば大丈夫だよ」

などと、また櫻子が首を捻る様なことを言ってくれた。

そこへ──。

「だけどよぉ、お浜。最初が肝心だろ?鬼キヨの勢いまともに受けちまったら……もう一回、なんて、気にはならねぇぜ?何も知らねぇってのも……、どうなんだ?」

「……だねぇ。やっぱり、基本は、知っておいて、損はないよねぇ……」

龍の言葉に頷きながら、お浜は、そうだっ!と、切れ長の目をランランと輝かせる。

「龍!着物、お脱ぎ!奥様の為だ!」

「ん??なるほど!実践ってやつか!よしっ!」

龍も、大きく頷くと、帯に手をかけた。

「奥様、あたしらが、夜の夫婦の事をお教えしますからね、しっかり、見といてくださいよっ!」

いくよ、龍!と、発破をかけるお浜の姿に、櫻子も、これから起こりえることが薄々想像できた。

二人は、つまり、櫻子の前で……。

「い、いやっーーーー!!」

櫻子の叫びを追って、

「バカヤロー!!てめぇーら!いい加減にしねえかっ!!」

硝子戸の向こうから、金原のドスの利いた怒鳴り声が流れて来た。
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