形がわりの花嫁は碧き瞳に包まれる

結局、この屋敷は、どういう所なのだろう。

訳もわからず、連れてこられた。しかし、さらに、訳がわからない事ばかり。

思いあまってか、櫻子は泣いていた。

涙が流れ落ちていく。

たった数時間前までは、疎まれながらも、なんとか静かに暮らしていたのに。

連れて来られたとたん、あり得ない事が立て続けに起こった。

碧い目の(あるじ)、嫌がらせで押しかけて来た男達、そして、発砲……、とどめは、使用人二人。

完全に、櫻子の住んでいた世界とは異なっている。

戸惑いに対処できない、それが、正しいのだろう。櫻子は、堰を切ったように泣いた。

「奥様!すまない!悪かった!あたしらが、やりすぎたっ!この通りだ、許しておくれ!」

お浜が、顔を引き締め、三つ指をついていた。

龍も慌てて、正座すると、顔をくしゃくしゃにしながら、櫻子へ言う。

「……嬉しかった、嬉しかったんですよ。奥様!(きよし)のやつが、あいつが、嫁をもらうって言い出して、こんな、可愛らしいお嬢さんを選んだのがっ!だから、二人には、上手く行ってもらいたくて……」

何を勝手なことを言っているのだろう。龍の言葉に、櫻子は、わっと声をあげて泣く。

床にひれ伏すように、頭を下げている、お浜と龍の姿は嘘ではないと櫻子にもわかったが、しかし、嫁、とは、いったい。それなら、何故、差し押さえるというモノ扱いをしたのか。

人前で、号泣するのは、みっともないと思いつつも、櫻子の胸の内は、落ち着くことはなく、荒ぶるばかりだった。

「……ひとりに……してください」

喉をふり絞り、どうにか、頭を下げている二人へ、声をかけた櫻子の憤るを通り越した冷ややかな様子に、お浜も龍も、思うところあったのか、しゅんとした。

お浜は、黙って脱いだ着物と帯を抱き抱えると、部屋を出る。龍も、追って廊下に出ると、カタンと小さく音を鳴らして、立て付けの悪い板戸を閉めた。

ボーン、ボーンと、他の部屋で柱時計が鳴り、夕刻だと告げている。

入り口が閉められた部屋は、薄暗く、小さな窓からは、レースのカーテン越しに茜色の細い光が差し込んでいた。

静けさと、一人になった事からか、いっきに(たが)が外れたようで、櫻子は、腰かけているベッドへ倒れこむ。

頬にあたる感触は、柔らかく、起こっている事を忘れさせてくれるものだった。

部屋も、本当に、夢かと思う程、趣味の良い調度品で揃えられている。

すべて、櫻子の為に用意された物であろうとわかっていても、夢であって欲しいと、つい願ってしまう。

朝になれば、ヤスヨとキクに、指図され、チクチクと、勝代に嫌みを言われる。いつも通りの、辛いと思っていた、あの生活が戻って来る。

そんなことを思いながら、櫻子の瞼はゆっくり閉じた。

目一杯泣いたせいなのか、色々ありすぎたせいなのか、体は疲れ切っているようで、襲って来た睡魔に負けた櫻子は、その深みへと落ちて行った。

段々、意識は遠のいて、いよいよ途切れるだろうという所で、男のささやき声を耳にする。

「……そんな、寝かたをしていたら、風邪を引くだろうに……」

声の主は、櫻子が、敷いている掛布を、そっと体の下から引き抜くと、優しく体に掛けてくれた。

感じていた肌寒さは消え、心地よい温もりに包まれる。

(……お父様……なのね。やっばり、私の事を、見捨てては、なかったのだわ……)

柳原の屋敷で、勝代に負けて、寡黙を通していた、父、圭助の事を櫻子は思い出していた。

父は、やっと、自分を見てくれたのだと、嬉しいような、辛いような、どこか、口惜しい気持ちが、再び櫻子へ涙を流させる。

つっと、頬を伝わる涙を、父は、細い指で拭ってくれた。同時に、仄かな石鹸(シャボン)のような香りがした。

どこか異なる父を、櫻子は不思議に思うが、そこで意識は途切れてしまい、ベッドに身をゆだねて眠りについた。
 
──ボーンと柱時計が鳴った。

カチカチと、秒針の音がする。

あっ、と、声を発し、櫻子は飛び起きた。

寝過ごしてしまった。早く、朝食の準備に取りかからなければ。ヤスヨとキクの小言が……、と、そこまで思い、櫻子は、はっとする。

(違う。ここは……。)

当然のことだが、櫻子は、金原の屋敷にいた。

体が沈みこみそうな、柔らかなベッドに横になり、つい、うたた寝をしてしまったのだと、気がつくが、それは、櫻子にとって残酷な答えと言えた。

はぁ、と、自身を落ちつかせようと息をつき、これからのことを考えようとした時、

「起きたのか?」

と、金原の声がする。

もう夜更けのようで、窓から差し込んでいた茜色の光はなく、部屋は暗闇に覆われていた。

ただ、枕元に置かれた、小さなテーブルのあたりが、ほんのり照らされている。

灯ったランプと、小さな置時計、布巾がかかった、皿が置かれてあった。

カチカチ鳴っていた秒針は、この時計の物だったのかと、思いつつも、金原の姿は伺えない。

声はしたのに、その姿が見えなかった。

「……夕飯だ。俺たちは、先に済ませた」

きっと、皿の事を言っているのだろうと、櫻子は、うっかり頷くが、おかしな事に、姿の見えない金原の声は、すぐ近くから聞こえて来た。

ふっと、そちらへ目をやると、背を向けた金原が、櫻子の隣で横になっていた。
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