たまさか猫日和
そこは、まるでCMにでも出てくるような、セットで組まれたかのような、夢のようなBARだった。
会員制らしく、入口は看板もない。インターフォンで「門田でございます」と名乗った途端にドアが開き、黒服の男性が迎き入れてくれた。
中に入ると、奥が全て窓になっていて、眼下には飯田橋駅へ向かう電車や人並み、目の前はビルが乱立していたが、このビル自体が高台にあるせいで、邪魔にはならない。そして、ポッカリとお誂え向きに、夜空が見える空間があった。
その窓の前が、バーカウンターになっていたが、6席ほどしかなかった。テーブル席はない。
キャリーが開けられ、レイラちゃんが背伸びを繰り返しながら出てきた。
「あーあ、久しぶりに大声出しちゃった」
そう言うと、バーカウンターの横にある棚の上に陣取って、寝そべった。
「ここは、猫ちゃん、ワンちゃんOKなの」
「そうなんですね」
こんな高級そうな場所に来る猫や犬が、不潔にしているはずがない。そんなことより、席数の少なさの方が気になる。海星が見たら何て言うことか。
椅子を引いてもらって着席した。
メニューは、あるのかないのか、分らない。
とにかく、出てはこなかった。
「お食事まだよね?じゃあ、度数の低いもののほうがよろしいかしら?」
「さ、さようでございますね。もうあの、ノンアルコールでもハイ…」
こんな緊張状態で、味なんか分かるかしら?
しかし、分かった。
目の前が明るく見えるほどの衝撃が舌を満たした。
「おっおっ美味しいっ!!」
「うふふ。若い方はいいわね」
そんな門田さまは、年齢を越えた美しさがある。
ブラウスと同じ色のカクテルが、注文もしないのに差し出された。
どんなシステム…?
「いつも来られてるんですか?」
「いいえ。あれが見える日だけ」
門田様は、空を指さした。
そこには新月が、繊細に佇んでいた。
「美しいですね」
「どの季節も美しいのよ。もちろん雨の日もあるけど、その時も想像で補うの」
この時に沸き上がった感情をどう表現していいのか分らない。
どんな悲恋の物語を読んだときよりも切なく、心細く、甘かった。
美しさが極まると、辛くなるという現象を生まれて初めて学んだ。
「堪んないでしょ」
レイラが乾いた声で言った。
この気持ちをレイラはいつも味わっていたのだ。
私たちは、音楽もないBARでただ月を眺めた。
「お若い方は、お休みの日に何をしてらっしゃるの?」
ふいに、門田さまが口を開いた。
「私の家は下町ですから、地域猫がたくさんいるんです。その餌やりをしたり、猫の里親会に行って、掃除したり遊んだり、そんな感じですかね」
「地域猫って、野良猫ちゃんのこと?」
「いえ、ちゃんと去勢したり避妊手術をして、また住んでいた地域に戻します。何人かで連携して餌をやったり、掃除したり、寝床を提供したりするんです。地域猫は、その証に耳先に切れ込みを入れます。そこは神経が通っていないので。それが桜の花びらに似ているのでサクラ猫とも言いますね」
「まぁ…そんなお仕事があるの?」
「お仕事というより、趣味の延長みたいな感じですけどね」
門田さまは意外にも身を乗り出すように、こちらへ体を向けた。
「それは、餌や何かはどうしてらっしゃるの?」
「正直言って、自分の持ち出しです。でも買ってあげたくなっちゃうんですよ。可愛くて。ただ、猫が嫌いな方ももちろんいらっしゃるので、そこは気をつかいますね。壊したり、汚したりがあったりすると、謝りに行ったりもします」
「あなたが?」
「それが猫を守ることに繋がりますので」
門田さまは、あっけに取られたように私を見ていた。
そして、黒服の男性に問いかけた。
「あなた、ご存知だった?こういう方がいらっしゃるってこと」
「私もテレビで見たことはありますが、実際に活動してらっしゃる方は初めてお会いしました」
「テレビでやっているの?ああ、私はテレビを見ないのよ。それはいつやっている番組なの?」
合うような話なんかないだろうと思っていたのに、この話は思いの外盛り上がった。黒服の男性もこの店で働いているだけあり、グレイハウンドを二匹も飼っているとのことだった。
門田さまは、女学生のように顔を輝かせて、それを熱心に聴き入っていた。
会員制らしく、入口は看板もない。インターフォンで「門田でございます」と名乗った途端にドアが開き、黒服の男性が迎き入れてくれた。
中に入ると、奥が全て窓になっていて、眼下には飯田橋駅へ向かう電車や人並み、目の前はビルが乱立していたが、このビル自体が高台にあるせいで、邪魔にはならない。そして、ポッカリとお誂え向きに、夜空が見える空間があった。
その窓の前が、バーカウンターになっていたが、6席ほどしかなかった。テーブル席はない。
キャリーが開けられ、レイラちゃんが背伸びを繰り返しながら出てきた。
「あーあ、久しぶりに大声出しちゃった」
そう言うと、バーカウンターの横にある棚の上に陣取って、寝そべった。
「ここは、猫ちゃん、ワンちゃんOKなの」
「そうなんですね」
こんな高級そうな場所に来る猫や犬が、不潔にしているはずがない。そんなことより、席数の少なさの方が気になる。海星が見たら何て言うことか。
椅子を引いてもらって着席した。
メニューは、あるのかないのか、分らない。
とにかく、出てはこなかった。
「お食事まだよね?じゃあ、度数の低いもののほうがよろしいかしら?」
「さ、さようでございますね。もうあの、ノンアルコールでもハイ…」
こんな緊張状態で、味なんか分かるかしら?
しかし、分かった。
目の前が明るく見えるほどの衝撃が舌を満たした。
「おっおっ美味しいっ!!」
「うふふ。若い方はいいわね」
そんな門田さまは、年齢を越えた美しさがある。
ブラウスと同じ色のカクテルが、注文もしないのに差し出された。
どんなシステム…?
「いつも来られてるんですか?」
「いいえ。あれが見える日だけ」
門田様は、空を指さした。
そこには新月が、繊細に佇んでいた。
「美しいですね」
「どの季節も美しいのよ。もちろん雨の日もあるけど、その時も想像で補うの」
この時に沸き上がった感情をどう表現していいのか分らない。
どんな悲恋の物語を読んだときよりも切なく、心細く、甘かった。
美しさが極まると、辛くなるという現象を生まれて初めて学んだ。
「堪んないでしょ」
レイラが乾いた声で言った。
この気持ちをレイラはいつも味わっていたのだ。
私たちは、音楽もないBARでただ月を眺めた。
「お若い方は、お休みの日に何をしてらっしゃるの?」
ふいに、門田さまが口を開いた。
「私の家は下町ですから、地域猫がたくさんいるんです。その餌やりをしたり、猫の里親会に行って、掃除したり遊んだり、そんな感じですかね」
「地域猫って、野良猫ちゃんのこと?」
「いえ、ちゃんと去勢したり避妊手術をして、また住んでいた地域に戻します。何人かで連携して餌をやったり、掃除したり、寝床を提供したりするんです。地域猫は、その証に耳先に切れ込みを入れます。そこは神経が通っていないので。それが桜の花びらに似ているのでサクラ猫とも言いますね」
「まぁ…そんなお仕事があるの?」
「お仕事というより、趣味の延長みたいな感じですけどね」
門田さまは意外にも身を乗り出すように、こちらへ体を向けた。
「それは、餌や何かはどうしてらっしゃるの?」
「正直言って、自分の持ち出しです。でも買ってあげたくなっちゃうんですよ。可愛くて。ただ、猫が嫌いな方ももちろんいらっしゃるので、そこは気をつかいますね。壊したり、汚したりがあったりすると、謝りに行ったりもします」
「あなたが?」
「それが猫を守ることに繋がりますので」
門田さまは、あっけに取られたように私を見ていた。
そして、黒服の男性に問いかけた。
「あなた、ご存知だった?こういう方がいらっしゃるってこと」
「私もテレビで見たことはありますが、実際に活動してらっしゃる方は初めてお会いしました」
「テレビでやっているの?ああ、私はテレビを見ないのよ。それはいつやっている番組なの?」
合うような話なんかないだろうと思っていたのに、この話は思いの外盛り上がった。黒服の男性もこの店で働いているだけあり、グレイハウンドを二匹も飼っているとのことだった。
門田さまは、女学生のように顔を輝かせて、それを熱心に聴き入っていた。