たまさか猫日和
閉店作業が終わって、裏へ出てもあの猫はやって来なかった。ヤレヤレだ。

海星がスパゲティをテイクアウトで持たせてくれた。
「おつかれ。またよろしく」
「おつかれさま。それは閑散期によろしく」
と言い合って、店を出た。

「え?どこ行く?」

海星が怪訝な顔で訊ねた。
私が裏道から帰ろうとしているからだ。

「ホームセンター行って、エサ買わないと」
「エサぁ?」
「あの猫、ゴミ漁って味締めちゃってるよ。エサを変えないと、また来るよ」
「なに?歩いて行くわけ?」
「歩くよ?ああ、いや、大丈夫。いつも歩いて行ってるから」
「車出す」
「え、いいのに」

しかし、海星はさっさとエプロンを外すと、車を取りに行ってくれた。
「やった。ラッキー」
「言えばいいんだよ、そういうことは」
「別に、いつもの事だもん」
「これから買いに行くときは、車出すから」
「ああ、そう?ありがとう」
「エサだけじゃなくて、重いもん買う時は言えよ」

しかし、別に困ってはいない。
もちろん重いけど、ジムに行っていると思えば安上がりだ。

「じゃあ歳取ったら頼むわ」
「もう歳だろ」
「ははっ。確かにね。なんか歳を取ったのをウッカリ忘れちゃうんだよね」
「いつも『疲れた、疲れた』言ってんのに?」
「あばよのオバサンみたいに歳を取れたらいいんだけど」

海星が意外そうな顔をした。

「おまえ、そんなこと考えてたの?」
「え、理想でしょ?無理かもしれないけど、でも…」
「銀座の高級店で働いてるから、金持ちになりたいのかと思ってた」

そんなこと思われている方が意外だ。
誤解してるという意味でなく、海星が私のことを『見て』『考えて』『解釈している』ということが意外だった。

「金持ちには憧れるよ。でも悩みが減るわけじゃないんだなぁ。葛飾だってそうじゃん。金持ちの家ほど兄弟で裁判やったり、『あの金は俺が払った』『このアパートは母さんが私に残した』で、揉めるじゃん」

喫茶店にはその手の話で溢れている。海星だって知っているはずだ。

「銀座のお客さんも生粋のお金持ちはいるよ。でも、一人で月見してるのを見た時は、羨ましいより泣きたくなったよ。誰か、この人を助けてって思った。今は生きがいを見つけたけどね」

対して、あばよのオバサンは家に障害を持つ息子さんがいる。その子を女手一つで育て上げ、未だに一緒に暮らしている。


「あばよのオバサンみたいに、必要なものをサッと出して、要らないものはサッサと片付ける、出し切ったら『あばよ』で退散、そういう人間になりたいよ」
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