朝、夜、劣情。
「樫野くん、"Look(こっち見て)"」

 右へ左へ、落ち着きなく彷徨っていた舞緒の視線が、徐に朝葉の方へ向く。Domのコマンドのせいだった。コマンドには逆らえない。それは従わなければならないことで、朝葉の口にしたそれは、プレイ初心者の舞緒でも十分に従うことのできるものだった。

 舞緒の視線を自分の方へと誘導させた朝葉は、納得したように一度小さく頷くと、僅かに口元を持ち上げた。柔らかい微笑み。それだけ。言葉はない。なくても、コマンドに従ったことを褒めてもらえたような気がした。舞緒の胸に、温かなものが流れ落ちた。

「顔色が凄く悪い。Subの欲求不満で間違いないね」

 朝葉にすぐさま見抜かれ、居た堪れなさに顔を俯けてしまいそうになったが、先程のコマンドがまだ続いていると思い、舞緒は朝葉から目を逸らさないように意識した。朝葉は抵抗することなく素直に従う舞緒の反応を見て、満足そうな表情を浮かべている。舞緒が従うことで、朝葉もまた満たされているのだろう。

 朝葉が舞緒の前の席の椅子を引き、その向きを変えた。舞緒と向かい合う形で腰を下ろした朝葉は、前のめりになって舞緒の目を見つめる。舞緒の心の中を見透かすかのような眼差しだった。

「プレイする上でのNG行為はある? "Say(教えて)"」

「……わからない」

「そっか、うん、ありがとう。それじゃあ、とりあえずセーフワードを決めようか」

 あるともないとも言えない曖昧な解答で、舞緒がプレイ初心者であることを朝葉は察しただろうが、それに関して何も口にはしなかった。代わりに、声を震わせてコマンドに応えた舞緒を安心させるように微笑んでから、セーフワードを決めることを提案した。あまりにも自然に、朝葉とプレイをする流れになっていた。
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