朝、夜、劣情。
「話してくれてありがとう。そんな風に思ってくれてたんだ。でも、一つだけいいかな」

 頭を撫でていた朝葉の手が、徐に舞緒の頬に触れる。その瞬間、舞緒は場の空気が変わったことを敏感に察知し、硬直してしまった。舞緒を見る朝葉の目に影が差している。グレアとまではいかないものの、確実に何かが気に障っている。朝葉の心を乱すような事象がいつどこで起きたのか分からず、舞緒は何度も目を瞬かせた。頬に触れる朝葉の手がやけに冷えているように感じた。

「樫野くん、俺のことは、朝葉って呼んで? 神楽なんてやめて? ただでさえ彼奴と同じ名字なんだ。彼奴を呼ぶ時と同じ呼び方はやめてね? 俺のことは朝葉って呼んでね?」

 語尾に疑問符をつけていながら、否定は許さない、認めないという圧がそこにはあった。頷くしかない。それしかできない。周りが誰一人、女子も男子も関係なく、朝葉のことを神楽とは呼んでいないことに気づけなかった自分が鈍感だったのだと、舞緒は自らを責めた。

 朝葉は双子だった。双子の弟。その神楽双子は、異常なほどに不仲で知られていた。それは、朝葉が双子の兄と当然共通の名字である神楽と呼ばれることを酷く嫌悪するほどのことだった。何が二人をそうさせたのか、赤の他人である舞緒は知る由もない。

 目を合わせることもないような二人は、他人以上に他人的な振る舞いで、もし不用意に接触してしまえば、その場の空気は一気に重くなる。バチバチと火花が飛ぶような光景をそれとなく見かけたこともあったのに、気が利かずに神楽と呼んで無自覚に地雷を踏み、朝葉を不機嫌にさせてしまったことは自身の失態だと、舞緒は視線を下げてしまった。
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