教壇、我愛你。
授業
次の日は、Dクラス。このDクラス学生は知らな

いかもしれないが、学力テストであまり良い点が

取れなかった学生や本当に初歩から学ぶ学生で結

成されたクラスだったので、正直クラスを引っ張

っていけるかすごく心配であった。

学生はほとんどの子が本国中国で、日本語の学校

に多少なりとも通ってから日本に来る子も

多かったみたいだが、全く日本語学校に通ったこ

とのなく、

この日本語学校が日本語の勉強の始めての学校に

なる子も多少いたようだった。

これは聞いて私は、責任をより感じてしまうので

あった。

「初めまして、わたしの名前は篠原 瑞恵です。

趣味は、カラオケです。よろしくお願いします。」

「皆さん。自己紹介お願いします。」

授業中に、事前に書いてもらった名前と趣味とよ

ろしくお願いします。

とだけ書いてある紙を見ながら、恥ずかしがり屋

で可愛くてクラス最年少のソウさんが、

「わたしの名前は、ソウです。趣味は、日本語を

勉強することです。よろしくお願いします。」

クラス拍手喝采。

笑笑しょうしょうさんも、

「わたしの名前は陳笑笑ちんしょうしょうです。

趣味は音楽を聴くことです。よろしくお願いします。」

と、名簿を見るたび、笑笑しょうしょうさんが

笑笑わらわらの居酒屋に見えてしょうがなかった。

それが可笑しくて、私はクスクス笑ってしまうのであった。

実は、ソウさんと笑笑しょうしょうさんは親友で

もあり、クラスのライバルでもあったのだ。

このライバルというのが、ソウさんは全く日本語

を勉強をしたことがなかったか、

クラスの中でも日本語がまだまだでしたが、笑笑

しょうしょうさんはクラスでいちにを争う

優等生であったのだ。その対象的な部分が私にと

ってとても微笑ましく、遣り甲斐も人一倍

感じる部分でもあったのであった。授業の時間が

余ったので、今日は持ってきていた【カルタ】で

カタカナの勉強をしましょう。

2チームに分かれて、机をくっつけてさあ開始。

「アヒルのア。」と先生。

それを「はい。」と冷静な金きんさん。

「つづきまして、、レモンのレ!」と私が言うと、

「はいっ!」と元気よくコウさん。

このコウさんは、クラスの年長者であり、私事で

あまり大きな声では言えませんが、私と実は歳が

近いようで、私に似て旅行をするのが

趣味であるのだ。

私はこの日本語教師をしていた時を含めた20代の

頃、仕事の休みがある度海外旅行に繰り出し

世界20ヵ国を巡ることができたのだ。実は親にも

感謝しており、旅費は自分で働いたお金

で行かせて頂いたのだが、母親は女でひとつで私

と妹を育ててくれた良き理解者でもあり、

私が中学生の時、「ママを母親と思わないでほしい

の、、、。」と言うもんだから、

なんだろうと思った矢先、「ママをベストフレンド

だと思って!」と言われたり、

私が7才のとき、両親の離婚が成立。それから、母

親の実家、要は私のおばあちゃんの家に

母と私と妹とで帰ってきたのだが、家を建て直す

際、「こどもたちが反抗期になった時に引きこもり

になって欲しくないの、、、。」

と言って、わざわざ2LDKの間取りの壁をぶち壊

して、単なる1Kの1ルームになってしまったので

あった。

それを友達にこんなこともあったんだと話すと、

「みずえちゃんのお母さんって、漫画の

GTOみたいだね。あの名シーン学生の前で、

部屋の壁ぶち壊すなんて、、。あはは。」

と笑っていたのを思いだした。

と、ぶっ飛んだ母だったのだが、でも誇りに思う

ことが一つだけあった。

人に注意はするが人が失敗しても決して怒りはし

なかったのだ。

これだけは、自慢に思える母であったのであった。

「そうだ、カルタ、カルタ、、。」

「続いては、イチゴのイ、、。」

としばし沈黙に包まれる。どうしたのかな?と思

っていたら、

「イチゴのイがありません、、。」

と答えてくれたのは、ダイさん。

「よく教えてくれました!」

無いのを気づく方が大変だったと思ったからです。

リョウさんはそれを見て、「まじやべっ!」と何処

で覚えたんだかいつも若者の言葉を覚えてきて

は、皆の前で話すのであった。

そんな日を毎日過ごすのであった。

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