エリート御曹司は不運な前向き社員を甘くとらえて離さない
「結構です。急ぎますので失礼します」

 話しても無駄だ。せっかく早く来たのに時間を無駄にしたくない。
 愛美は健吾の脇を通り過ぎようとした。

「待てって!」
「痛っ……」

 思い切り腕を掴まれて思わず声が出る。
 健吾を睨むと、その後ろに人影が見えた。

(あっ……)

 愛美がその人物に気づいたのとほぼ同時に、その人は健吾に声をかけた。

「失礼、僕の部下になにかご用ですか?」

 鋭い目つきで健吾の肩に手を置いたのは、博明だった。
 声こそ落ち着いているが、その手にはかなり力が入っている。

「さ、佐伯副社長!? いえ、昔の同僚だったので懐かしくて声をかけただけですよ。ははは、では失礼します!」

 健吾は博明を見た途端、愛美の腕から手を離してにこやかな笑みを作る。
 そしてそのまま足早に去っていった。

(助かった……)

「大丈夫でしたか? さっきの……営業部の方ですよね? 例のお付き合いされていた方ですか」
「はい……あ、ありがとうございます」

 膝がカクカクと震え、博明から差し出された手をぎゅっと握る。

 安堵から全身の力が抜けていった。



< 40 / 56 >

この作品をシェア

pagetop