エリート御曹司は不運な前向き社員を甘くとらえて離さない
 親しげに話しかけてきたその男性は、人当たりの良さそうな柔らかな声色をしていた。

 けれど見た目は彫刻のように整っており、威圧感すら感じるような美の迫力があった。
 艶やかな黒髪にすっと通った鼻筋。切れ長の目はにこりと微笑んでいるけれど、ブラウンの瞳は全てを見通しているかのような光を宿していた。

「あ……どうも。私はこれを返したら失礼しますから」

 持っていた資料をひょいと掲げて急いでもとの場所を探す。
 涙は見られていないはずだ。綺麗な人にぐしゃぐしゃな顔を見られたくなくて、この場から早く立ち去ろうとした。

(なんか見られてる気がする……早く戻ろう)

 人が二人もいると、狭い資料室が余計に狭く感じる。否が応でも相手の存在を意識せざるを得ない。見られているのは気のせいだと思っても、居心地が悪かった。

「僕が探したいのは、まさにその資料なんです。日高愛美さん?」

 中々戻す場所が見つからず焦り始めた時、優しく、けれど笑いを含んだ声が背中から追いかけきた。
 名前を呼ばれた愛美は思わず振り返った。

「どうして名前を……」

 派遣社員には名札がない。その上、首からさげているのは仮の従業員証だ。名前なんてどこにも書いていない。

 それなのに彼は愛美の名前を呼んだのだ。

「貸出簿には貴女の名前しかありませんから」
「あっ」

 男性は貸出簿をぱらりと開いて愛美に指し示した。
< 6 / 56 >

この作品をシェア

pagetop