月とスッポン  牛に引かれて
「高層建造物である天守はただでさえ目につきやすい上に、特に白漆喰が存在感を際立たせています。戦時中はその白漆喰を黒く塗り、目立たなくするという処置が多くの城でとられていたそうです。市民が城を守るためにさまざまな努力をし、お城を守ろうとしたからこそ、こうして私達が見る事が出来ると思うと頭が下がります。ちなみに石垣など何らかのものが残っていれば土に止めると書いて“城址(じょうし)“、現在はまったく何も残っていなければ、”城跡(しとあと)”と言うそうですよ」
「奥深いですね。お城ってもっといっぱいあると思っていました」

ようは、様々な苦難を乗り越えたって事だろうか?

「それは戦後復興から立ち直った日本は経済的にも少し余裕が出てきた1960年頃に、戦争で失われてしまった地域のシンボルを取り戻したいということから天守を復元しよう、日本各地でお城の再建が行われました。絵図や古写真などの史料をもとに再建された“復元天守”。詳細な史料はほとんどありませんが、過去に天守は存在し、それを復興した天守を“復興天守”。天守自体が実在したか不明のまま、新たに作られた天守を“模擬天守”です。築城当時と同じ材料や工法を使って、外観だけでなく内部の構造も再現した天守を“木造復元天守”と呼び、国内で木造復元天守は宮城の“白石城”と“白河小峰城”、新潟“新発田城”、静岡“掛川城”、愛媛“大洲の5城しかありません。有名な名古屋城や熊本城は外見のみ忠実でありながら、鉄筋コンクリートなど新しい材料・工法で再建した天守を“外観復元天守”と呼ぶそうです」
「なるほど」

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