憂いの月
望月


その夜は満月だった。

欠けたところもなく、惜しげなく輝く満月。



完璧な夜に思えた。

(きん)(はじ)こうか、歌を詠もうか、それとも漢詩(からうた)を読もうか。

何もしないのもそれはそれで良い。


ぼんやりと外を眺めて、夜は更けてゆく。

灯りがなくとも広い庭が見渡せる、憂いの一つもない夜だった。



観子(しめこ)


静けさの中、足音が近づいてきて振り返れば我が父、安逹芳生(あだちのほうじょう)だった。



よれた単を直し直し。


「父上」


芳生は風流心ある美しい男である。

歌と楽器を愛し、世俗を嫌うが故、政においては先代に比べ随分と地位が落ちたようだ。

でも妻子を守るため養うため、人間関係に気を遣い、内裏のほど近くに邸宅を構えられる程の力は持っているらしい。


「美しい月夜だ。笛を鳴らそうか」


父が指貫から横笛を取り出すのを見て、琴を用意する。


「観子は気が利くな。......では、いざ」


母好みに調弦した琴で、月の光の下、美しい調べが静かな都の屋敷に響く。


一途な人である。

妻を1人しか持たず、通い婚の短い時間では満足できず新しく家を構え母、季子(すえこ)を迎えた。




「母上は?」

「今日も敬田院(きょうでんいん)だ。じき帰るだろう。...よく動くようになったよなあ、季ちゃんも」

敬田院というのは、若者に学びを与える場として太子様が建立なさった四箇院(しかいん)の一つである。


母は下級貴族の出身で、歌詠みの会で父に見初められたという。

というより付きまとわれたに近いと、母は時々嬉しそうに話す。

契のあとは父の立場を利用し、敬田院の分所で学び、時には教えているらしい。

二人とも自由で型破り、頼り甲斐があるかないかは微妙であるが、誰より優しく(さか)しい。

尊敬する我が父母は、ざっと説明すれば、そんな様子なのである。

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