憂いの月
香を焚きしめる、慣れない匂いと音で目を覚ました。


内裏の朝は早く、とても忙しない。

無事に入内(物理的に)出来た翌朝である。

上品な木枠から差し込む光の中に、大きな門が見える。

内裏の奥へという芳生の言いつけは守られなかった。

当然だ。

余所者を帝に近い内裏の奥で寝泊まりさせるわけがない。


朝餉(あさげ)はどうしようかしら、用意はきっと無いだろう。





「──お(しめ)が?確かなの?」

「あぁ、信じられない話だが...まさか諒成が」


支度を済ませ、記帳をくぐり廊下に出ると、見知った人影が二つ見えた。


「母上!父上!」


思わず駆け寄る。


「おやおやその声は。ちゃんと逃げたのか、でかしたぞ、お観!」


母の温かい掌が頬に触れる。

安達季子は目が不自由だ。


端から見ただけでは気づかれないが、光を感じ取ることしか出来ないという。


「いいや、観子もだが...季ちゃん。でかしたのは君だ」

「?」

「一人で逃れて大したものだ。お前が今日も私の側で生き延びて、私は幸せだ」


ふふふと微笑み合う親に思わず小さくため息をつく。

内裏という公の場でもこの調子である。


「...そういえば、父上。夕べ門衛に書留を示したら滞らずここに入れました。有難うございます」


昨夜家を飛び出す前に芳生が押し付けてきた紙切れ。

それは内裏への特別入所許可の、しかも観子と氏と名まではっきり載った記しだった。


いち貴族の娘が政の舞台への立ち入りなど、到底許されない。

なぜ、どうやって父はこれを手に入れたのか。


「それは良かった。お(かみ)に謁見はしたか」

「いいえ、これからでございます」

「では、3人で参ろうか」


並んで歩く両親の後に静かに続く。

このような自体を見越しての、許可証やもしれない。

父は頭が切れるのだ、何せ。


迷路のような内裏は本当に迷子になりそうだ。


ぽそぽそと人々の話し声は途切れることがなく、静けさの中の噂話はなんとなく人の清らかでない心が映っているようだと感じた。


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