憂いの月
「久しくおはします、お上。安達芳生にございます」
「芳生、達者であったか。火事の中、まことご苦労であった」
「恐れ入るお言葉、かたじけない」
母と我はお辞儀の姿勢のまま、床を見つめ聞き耳を立てる。
父の表舞台での様子を見るのは、初めてだった。
屋敷では誰よりものんびりしている姿からは別物であろうかと思うほど好ましい様子で帝に受け答えている。
近況報告並びに妻子の紹介など、たくさん話した結果、内裏には三日間の滞在が許された。
御簾越しに帝を見送り、姿勢を少し崩す。
「意外と穏やかね、大内裏は。歩き甲斐がありそう」
「季ちゃん、わくわくしているようだね。でもあとにして、戻ろう。危ないから。...観子はどうする」
「いえ、少し一人で寄りたい場所がございます」
良いですか、と芳生に尋ねれば、快い返答だった。
「行って良いが、どうか無礼はしてくれるな」
「心配無用。承知の上です。...では」
まあ頼もしい、と頷く母を横切り、別の屋への渡しを歩く。
この迷路のような場所でも、その居場所を誰かに尋ねることはきっと赦されないだろう。
我が身分や姿を知る者は内裏には殆どいない。
内裏ともあろう場所。
無名の者に居場所を教えるうっかりした人はいないはずだから自力で探すのみ。
そう。
私には、本当は帝への挨拶よりずっと大事なことがある。
諒成に会わねばならない。
問いたださなければ、あの愚かな権力者に。
放火の真意を、目的を。