雨、時々、恋と猫 〜無自覚なイケメン獣医さんに愛されています〜

「あの……、この子ですか?」

 私が腕の中の猫を見せると、安堵したように顔を綻ばせその人が駆け寄ってきた。

「ありがとうございます! その子、うちの病院の前で飼い主様のところから逃げ出してしまったようで……」

 こちらまで来ると、地面に置いたままの私の傘を掴み、私の方へとさし掛けてくれる。
 彼自身は傘を持っておらず、今もまだ雨に濡れたままだ。
  
「そのまま、一緒に来てもらえませんか。怪しい者ではないので」

 私の傘を持つのとは逆の手で、彼が白衣の胸ポケットから身分証を取り出す。

「この先の音岐(おとぎ)動物病院で、院長をしています」

 駅前にある動物病院の名前だった。そこは手術設備もしっかり整った病院でとても評判が良い。
 私も自宅の最寄り駅近くにある分院の方に飼い猫を連れて行った事があったけれど、この駅前にある本院には一度も行った事がなかった。

音岐 涼介(おとぎ りょうすけ)といいます」

 名前を名乗る彼の黒髪から雨粒が滴り、ゆっくりと喉仏のある首筋をつたい落ちていく。額にかかる濡れた前髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、身分証をポケットに戻していた。

「分かりました。濡れるので、傘に入って下さい」

 そう声をかけると、「失礼します」そう言葉を添えて彼が遠慮がちに傘に入ってくる。そして、病院までの道をエスコートするように、私の背にそっと手を添えた。
 彼の温かい手のひらの温もりが、背中越しにじんわりと伝わってくる。


 降りしきる雨の中、小さな猫が導いた。
 これが、私と音岐 涼介さんとの出会いだった。


< 5 / 47 >

この作品をシェア

pagetop