社長が私を好き過ぎる

曇ったままのガラス

 渡された設計書を確認する前にひと休みしようと、休憩所からコーヒーといくつかお菓子をもらってデスクに戻った。

 あまり詳しくはないけど、ここのコーヒーは美味しい。お菓子はいつも結構いいものが置いてある。最初から当たり前のように用意されていたからそれが普通だと思っていたが、事務スタッフとして入ってきた斉藤さんがそうではないと教えてくれた。

「コーヒーもお菓子も社長がわざわざ個人で取り寄せてるのよ?」

 彼女が入社するまでは、届いたお菓子を休憩所に並べるとこまで社長がやっていたらしい。

 そういえばシャワールームもそうだった。私の入社が決まってすぐに女性用のシャワールームを新設してくれたそうだ。鈴木君曰く『女性用のアメニティだけいい匂い』らしいので、それも社長が用意してくれたのかもしれない。

 私が気づいてないだけで、他にも色々気遣ってくれている気がする。

 この会社の優しい空気は、そのまま社長の優しさなんだろう。

『大和は今のままでいい』

 あの日そう言った社長は私がよく知る無表情の魔王顔だった。きっと社長は同じ顔でお菓子やシャンプーを用意してくれていたのだ。

 全面ガラス張りになっている社長室を眺めながらコーヒーを口にする。

 ボタンひとつで視界を遮ることができる調光ガラスが使われているので、中の様子はわからない。以前は常に透明だったガラスの壁は、最近ずっと曇りっぱなしだ。その原因が自分にあると考えてしまうのは、思い上がりが過ぎるだろうか。

 社長と仲良くなれと言われたあの時、自分が社長の恋人になることを想像してしまった。社長に好かれているなんて信じられないと思いつつそんな想像をするなんて、おこがましいにも程がある。

 例えば教育担当を西谷さんから社長に変更してもらえれば、私にとって社長が一番身近な存在になっていたと思う。それなのに勝手に変な想像をして社長を拒絶し、余計な気をつかわせてしまった。

 西谷さんが言っていた通り、社長は見ため程怖くない。凄く優しい人だ。それを拒絶するなんて、私は一体何様のつもりだ?

 あの日一瞬チクリと感じた罪悪感は、こうして曇ったままのガラスを目にする度に、ジワジワとその痛みの範囲を広げ続けていた。

「はあああ‥‥」

 ど派手にため息をついた後、焼き菓子を口に入れてそれをコーヒーで流し込む。

「仕事しよ」

 時間は巻き戻せないんだからウダウダ考えてもしょうがない。少しでもできることを増やして、仕事で返していくしかないだろう。
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