心を切りとるは身を知る雨
「何度来ても落ち着く、素敵なお店ですね。いやぁ、幸運だな、俺は」

 朝晴はほれぼれと店内を見回す。

 婚約者だった財前文彦(ざいぜんふみひこ)と別れた二年前、未央は都心から1時間ほどにある小さな町へ引っ越してきた。

 古い街並みを残す商店街で、雨をモチーフにした切り絵を扱う『切り雨(きりさめ)』を開いたのは、ちょうど一年前の暑い夏の日だった。

 婚約が決まる前から、未央は切り絵作家として活動していた。いつかはひとり立ちしたいと考えていたが、文彦との出会いによって、自身の店を持つ夢はあきらめた。

 作家として活躍する未央を応援すると彼は言ってくれていたが、大手不動産業を営む財前家の一員になれば、芸術家としての道を続けるのが難しいだろうことはわかっていた。

 夢をあきらめてまで、文彦の妻になると決めた未央に対し、彼の決意は軽かったのだろうか。だから、未央を粗末に扱い、裏切ることができたのだろう。

 文彦と別れた傷が癒えぬまま、見知らぬ土地へ引っ越す決意をした未央に両親は猛反対したが、常日頃お世話になっているギャラリーオーナーの協力を得て、出店までこぎつけた。

 苦労して開業した店を認めてもらえるのは、未央にとってこれ以上ない賛美だった。しかしながら、どれだけ持ち上げられようとも、朝晴のお願いを叶えるつもりはない。

「何度来ていただいても、気は変わりませんよ」
「どうしても? 八坂先生の作品は町中の評判ですからね。先生に参加してもらえたら、イベントは必ず大成功します」

 太鼓判を押してくれるが、どうにも乗り気になれない。
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