心を切りとるは身を知る雨
 男の人は吸い寄せられるように足を踏み出すが、カウンター前に立つ朝晴に気づいて、彼を二度見した。

「もしかして……、井沢先生?」
「有村くんのお父さんじゃないですか」
「やっぱり、先生でしたか。まさか、いらっしゃるとは思いませんで」
「お祭りのお礼に来てまして」

 気さくに話しかける朝晴に驚いて、未央は窮屈そうに腰を曲げる男の人を眺める。よくよく見ると、有村くんに似ている。どおりで、会ったことがあるような気がしたわけだ。

「ああ、お祭りの。うちの息子も、こちらの店主さんにお世話になったみたいで」
「風鈴ですよね。すごく上手に作ってましたよ。ご覧になりましたか」
「先生もご存知でしたか。ずいぶん、誇らしげに帰ってきましてね。すぐに妻の部屋に飾ってましたよ」
「それじゃあ、お母さんも喜んだんじゃないですか?」

 朝晴がそう言うと、有村くんの父親の表情がほがらかになる。

「それはもううれしそうで。農家に嫁いだのに何にもできてないって悔やんでばかりの妻の笑顔を久しぶりに見ましたよ」
「有村くんのご実家はトマト農家でしたね」
「細々とやってます。ああ、そうだ。今朝、収穫したばかりのトマト、玄関に用意してそのままだ。あとで取りに行ってきますから、先生のお宅にもお届けしますよ」
「いいんですか? うれしいなぁ。妹は調理師なので、うまい料理作るんですよ。それはそうと、切り雨さんにご用事だったんじゃ?」
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