心を切りとるは身を知る雨
 別れた恋人、福本征也(ふくもとゆきや)と出会ったのは、高校2年生のときに働いていたアルバイト先でだった。当時、彼は大学生になったばかりだったが、しぐれと同じように高校生のときから働いていたからアルバイト歴は長く、いつも仕事をテキパキとこなしていた。そんな姿が大人に見えて、カッコいいなと思っていた。

 お互いに好印象を持っているのはわかっていたが、正式に交際を申し込まれたのは、しぐれが大学の入学式を無事に終えた春のことだった。けんかもしない、自他ともに認める仲良しカップル。大学卒業後、しぐれは調理師として働き始め、彼は自動車の営業職に就いたが、忙しい中でも、お互いに会う時間を作る努力は惜しまなかった。

 連日の猛暑がようやく落ち着き始めた夏の終わり、しぐれは一泊の予定で、征也の運転するバイクで温泉旅行に出かけることになった。

「カーブばっかりの山道だね」

 坂道の途中でバイクを停め、美しい山々の景色を眺めながら、しぐれはそう言った。

「疲れるよな。もうちょっとで旅館だからさ」
「ううん。全然疲れてないよっ」

 いま思えば、征也は疲れていたのかもしれない。ハンドルを握る細身の背中に抱きつき、何回曲がったかわからないぐらい、ぐにゃぐにゃとした坂道を下った。

 事故が起きたとき、何が起こったのかよくわからなかった。「ああっ」と、短い彼の叫び声と地面に投げ出された衝撃。足の痛みをこらえて目を開けたときには、血だらけの彼が道路に横たわっていた。車から降りてきた男の人が、「大丈夫かっ?」と叫んでいたが、しぐれはぼう然としていた。
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