心を切りとるは身を知る雨
「ちゃんと伝えられてたら、苦しそうな顔を見なくてもよかったのかな」

 お互いに好きだったのに別れたのだろうか。別れを決意するまでの葛藤を想像するのは難しい。けれど、未央にもそういうことはあった。いまだに苦しい日もある。きっと、しぐれにもあるのだろう。

「でも、この切り絵を見ると、彼との楽しい思い出がたくさん浮かんできて、何もかも全部、いい思い出にできるような気がするんです」

 ほんの少し、晴れやかな表情で彼女はそう言った。

 しぐれは以前、夏が好きになれそうだと言っていた。バイク事故に遭ったのも、歩けなくなったのも、恋人と別れたのも夏の出来事だったのだろう。

「兄が、そんなに気になるなら買ったら? って言ってくれて」
「井沢さんが?」
「貸してくれたんです」

 そう言って、しぐれは小さなショルダーバッグから財布を取り出す。

「アルバイトして返すからって言ったら、期待してるよって」
「優しいですね」
「兄は情けない私を見捨てずにいてくれてるんです。いつまでも過去にこだわってたらいけないですよね」

 さまざまあるであろう恋人への気持ちに区切りをつけて、前へ進む決心をしたのだろうか。

 未央は羨ましい気がした。自分はいつまでも、別れた婚約者になぜ裏切られたのかと、そればかり考えてしまっている。

「井沢さんは今日、ご自宅にいらっしゃるの?」
「病院に行ったおばあちゃんを迎えに行くって言ってました」
「じゃあ、そろそろ帰ってこられるかな」
「兄に用事ですか?」
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