心を切りとるは身を知る雨
 いつからだっただろう。名前を呼んでも上の空で、ふたりの会話に集中してくれなくなったのは。

 文彦とは幼少期から家族ぐるみの付き合いをしていて、結婚を意識する関係になるまでは、会えば気さくに話せる友人のような関係だった。

 未央は女子校に通っており、男友だちはおらず、男の子には少し警戒するところがあったが、いつも穏やかで優しい文彦には気を許していた。彼だけは違う。なぜそう思っていたのかは漠然とした感覚でしかないが、絶対的な安心感で彼を特別視していた。

 だからこそ、父親から文彦との結婚を提案されたとき、前向きな気持ちで考えることができたのだと思う。

 結婚準備を進める中で、文彦にどんな心境の変化が生まれたのかはいまだにわからない。わかっているのは、彼の裏切りをこの目で見たということだけだ。彼は思い過ごしだと言い張ったが、日増しに不信感を募らせる未央を見て、傷つけたことは認めた。あくまでも、裏切りはなかったと不満を残したまま。

 本当に、文彦は裏切っていなかったのだろうか。いや、何もなかったとしても、彼が信頼を裏切る行為をしたことは間違いない。だからこそ、未央は彼をいまだに許せず、心はあの日に立ち止まったままでいる。
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