心を切りとるは身を知る雨
 それを聞いた瞬間、怒りが込み上げた。文彦はその男を見たことがない。最初から、そんな男は存在してないからだ。なぜ、それに気づかないのか。彼女は文彦が欲しかっただけ。自分の手でその望みを叶えるのは悔しい。だけれど、未央はもう、文彦を信じられなくなっていた。

「このことは両親に報告して、婚約は解消します」

 文彦はハッと息を飲んだ。もう何度も悩み考え、出した結果だったけれど、彼にとっては思いつきのように感じられたのかもしれない。

「浮気ぐらい許してやれっていうよ、あなたの父親なら。だいたい僕は浮気してないんだし」
「私から見たら浮気なの。何度、文彦さんは私を傷つけたら気がすむの?」

 胸がぎゅっと苦しくなった。どれだけ重大な過ちをおかしたのか、信用を失ったのか、彼は何もわかってない。

「未央は勝手だよ」
「あなただって」
「あなたがそうしたいなら仕方ないのかもしれないが、僕たちはそんなにわかり合えない関係だったのか?」

 文彦は、浮気してないという絶対的な自信があったのだろうか。それとも、真実は最後まで隠し通せるという自信があったのか。しぶしぶ、彼は婚約解消を受け入れたが、謝罪はなかった。

 あのとき、最後のチャンスを与えるから、あの女とはもう会うなと、泣いてすがっていたら、何か違っただろうか。けれど、あまりの絶望感に涙は出なかった。つらすぎて、涙も出なかったのだ。
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