愛を知らない僕たちは、殺す事で愛を知る

嫌な胸騒ぎが消えないまま柚葉の家へ向かってただ走る。
頭の中には柚葉の緩やかな笑顔だけが浮かんでは消える。

図書館から柚葉の家はそんなに遠くはない、子どもが歩いて15分程だ。
それでも今の俺には1分、いや1秒さえも気が狂いそうな程に長く感じた。

走りながら途中にある小さな公園がふと目に入る。
滑り台に砂場、それにブランコだけのなんて事はない小さな公園。

それでも俺の中で強く印象に残っているのは以前柚葉を家へと送る途中に柚葉が話してくれた事が理由だろう。

『お父さんがよく連れてきてくれたの』

『お父さんがブランコを押してくれて、滑り台では下で待っててくれて、砂場では一緒にお城を作ったんだ』

そう、本当に嬉しそうに、でも少し寂しそうに、悲しそうに話していたから。

考えてみたら柚葉から父親の話を聞いたのはその時が初めてだった。

普段柚葉は両親の話を全くしなかった。
自分を虐待している母親の話なんてしたくないだろうから俺も最低限にしか聞かない様にしていた。

でも、何で父親の事まで柚葉は話さなかったのだろうか。

父親が亡くなってから母親の虐待が始まったのなら父親からは虐待なんてなかったはず。
それにあんなに嬉しそうな顔で父親の事を話す位だ、父親に対しては本当に愛情があるのだろう。

……俺、柚葉の事まだ何も分かっていないんじゃ……。

そんな事を考えた瞬間目に飛び込んできた光景に思わず足を止める。
俺の目にはブランコに座りひとりで俯いている柚葉の姿が写っていた。

「柚葉!!」

柚葉の名前を叫びながら柚葉の元へと走る。

心臓は相変わらずドクドクと速く動いていて苦しい。
柚葉以外に誰もいない静かな空間に俺の声は驚く程によく響き渡った。

驚いた様に顔を上げる柚葉を見て俺は足が止まる。

柚葉の頬は赤く腫れていて唇の端からは血が滲んでいた。
いつもは真っ直ぐに綺麗に整えられている胸下辺りまで伸びた長く艶やかな黒髪はザクザクと不揃いに肩辺りに切られていた。

「柚、葉……?」

あまりの光景に言葉がそれ以上出てこない。 

そんな俺に柚葉はやっぱり困った様に眉を下げて笑った。 

だけど大きな目には涙が溜まり身体は小さく震えている。

「……お母さん、今日は凄く機嫌悪くて……」

そう言った瞬間、柚葉の目から涙が流れた。
止まる事のない涙は次から次へと流れては地面を濡らしていく。

「……ごめんね、一哉君、私の長い髪好きだって言ってくれてたのに……」

そう、本当に申し訳なさそうに謝る柚葉を俺は思わず抱きしめた。

「一哉君……?」

「何で、何で柚葉が謝るんだよ……!」

何でだよ、おかしいだろこんなの。
何で、何で柚葉がこんな目に合わなきゃいけないんだよ!

柚葉を家まで送ったあの日、俺は一瞬だけ柚葉の母親を見た。

柚葉がアパートのドアを開けた瞬間、ほんの一瞬ひとりの女がドアから顔を出した。
あの女がきっと柚葉の母親だ、あいつが柚葉を苦しめてる奴だ、そう確信して酷く胸がざわついたのを覚えている。

今でもありありと思い出せる、不健康そうな顔色、艶のない茶色く傷んだ髪、淀んだ目、全てが柚葉と正反対な女。

柚葉の赤く腫れ上がる程に殴られた頬が、切れた唇が痛々しくて悲しくて、あの女から柚葉を守れなかった事実が悔しくて。

不揃いに切られた髪は俺の心の奥底に隠していた感情を沸き立たせるには充分で。

俺の腕の中にいる柚葉は思ってたよりもっともっと小さくて頼りない程に華奢だった。

こんな小さな身体でひとりで母親の暴力に耐えて耐えて、そしてこんな酷い目に合ってひとりで公園で泣いていた。

「……殺そう、あいつを」

自然に口からこぼれた言葉。

それはずっとずっと俺が隠していた本心。
ずっと、殺したかった、
あいつを、柚葉の母親を。
柚葉をこんなにも傷付けて苦しめて、泣かせる。
そんな奴にいつまでも柚葉を独占させられない。

「俺が殺すよ、あいつを」

だって柚葉は俺のたったひとりの、
俺だけの天使だから。
だから俺はヒーローになって、天使を救うんだ。




ねぇ、柚葉。
俺、本気でそう思ってたよ。
それは今もこれからも変わらない。

柚葉は俺だけの天使で、
俺は柚葉だけのヒーローなんだ。

だけど柚葉のヒーローに、
俺はなれなかったのかな。
教えてよ、柚葉――。

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