愛を知らない僕たちは、殺す事で愛を知る

ふと目を開けるとそこには見慣れた天井があった。

……あれ?
俺、どうしたんだろう?
確かドアを出てすぐに吐いて……。
それから……?

思い出そうとするも頭が割れるように痛い。
身体を起こそうとすると更に頭がガンガンと地響きの様に痛み起き上がる事さえ出来ない。

顔は凄く熱いのに、身体は凄く寒い。

俺、柚葉のところにいこうとして……。
柚葉を置いてひとりで帰ってしまったから……。

どうしてひとりで帰ったんだっけ?
俺、どうして柚葉のところにいこうとしたんだ?

痛みからか混乱する頭で必死に思い出す中、頭に浮かび上がるのは俺のせいでテーブルの角に頭を強くぶつけ、頭を抱えながら床に倒れ込み動かなくなったひとりの人間と、床に流れる赤い血と、柚葉の涙、だった。

……そうだ
あの日、俺は……

人を殺した。

そして全てを柚葉に押し付けてひとり安全な場所へと帰ってしまった。
人を殺して、それを全て大好きな女の子に押し付けてひとり家に帰るとか……

「……どれだけ最低な奴だよ、俺」

全て思い出し自嘲気味にポツリと吐き出した言葉は誰もいない空間に吸い込まれる様に消えていった。

……あれからどれだけ経った?
俺はどれだけ寝てたんだ?

ベッドに戻った記憶もなければ嘔吐物で汚れたはずの服からパジャマに着替えた記憶もない。

柚葉、柚葉は?
柚葉は、大丈夫なのか……?

「あら、やっと起きたのね」

何もかも分からなくて混乱している中ノックもなく開いたドアから声が聞こえ身体がビクリと大袈裟に震えたのが分かった。

そして部屋に入ってきた人物を確認してますます俺の頭の中はパニックになった。

「母、さん……?」

喉の奥から絞り出した声はやっぱり震えていた。
そこに立っていたのは間違いなく俺の母親だった。

思いもよらない母親の姿に俺はきっと酷く間抜けな顔をしていたと思う。

何で母さんが俺の部屋にいるんだ…?

そんな俺の疑問なんてお構い無しに母親は俺に近づきおでこに手を当ててきた。
想像もしていなかった母親の行動に俺は何も言えずただ母親を見る事しか出来なかった。

「まだ熱があるわね、今日は学校休んでゆっくり寝てなさい。
何か食べれそうならお粥でも作るわ」

「え……?」

これは、本当に現実なのだろうか?
いつも俺の事なんてほったらかしで家事も学校の事も家政婦任せの母親が、どうして……。

そんな俺の考えが分かったのだろう、母親はふっと笑い、話はじめた。

「一哉が体調を崩したり何かあった時はすぐに私に連絡する様に契約してるのよ。
私だって一応あなたの母親なんだから」

母親……、そのひと言に心臓がドクリと嫌な音を立てた。
だって俺は、柚葉の母親を……。

「まったく、連絡もらった時は驚いたわよ」

「連絡……」

そうだ、母さんに連絡があったという事は俺を最初に見つけたのは家政婦という事だ。

「一哉が部屋の前で倒れているのを家政婦の三上さんが出勤してすぐに見つけて私に連絡くれたの。
もうびっくりしてすぐに帰ったんだけど、その時には三上さんがあなたをベッドに運んで着替えもして寝かせてくれてたわ。
医者も呼んでくれてて診てもらったけど風邪だって。
寒さにやられたんでしょうって言ってたわ。
珍しいわね?
普段きっちりと体調管理してるあなたが風邪なんて。
肺炎になりかけてるからゆっくり休むようにって言ってたわよ」

「うん、分かった……」

「あら?珍しく素直ね?
いつもは私の言う事なんて聞く必要ないって感じなのに」

「そんな事……」

「あるわよ~?返事だけはきちんとしてくれるけどいつも気持ちが入ってないもの」

ドキッとした。 

確かに俺はいつも両親に何か言われてもとりあえず笑顔の仮面を貼り付けてまわりが望むいい子の代表の様な返事をしていた。

だけどまさか、それが母さんにバレていたなんて少しも疑う事なんてなかった。

俺のベッドに座り、真っ直ぐに俺を見る母さん。

「……こうして面と向かってふたりで話すなんて何年ぶりかしらね」

そう言って母さんは優しく笑った。

その微笑みは微かに記憶にあった。

遠い昔に、確かに俺に向けられてたはずの、
母さんの柔らかく優しい微笑みだ。 

何でこんな事を今思い出したのか。
そして何で、母さんは今、こんな時にこんなにも懐かしい優しさをくれるのか。

俺は人を殺してきたのに。
それも大好きな女の子の、母親を。

あまりにも優しい母さんの笑顔と柔らかく流れる時間に俺は信じられない気持ちを持ちながらも泣きたくなっていた。

それは罪悪感で押し潰されて流す涙とは全然違う涙だった。
それが余計に俺を苦しめた。
俺には優しさを受けとる資格なんてないのに。

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