愛を知らない僕たちは、殺す事で愛を知る

「絶対、一哉君は来てくれると思ってた」

図書館裏の庭園のベンチに座りそうひと言口にして柚葉は空を見上げた。

冷たい風が頬を刺し、柚葉の頬や鼻を赤く染める。

人がいる所で話せる事ではない、だから今の寒さはちょうど良かった。

こんな寒い日にわざわざ外で話している人なんていないから。

「でも私、警察の人に色々聞かれたりしてたから実はあの日から今日はじめてここに来たの。
だからその間に一哉君が来てくれても私がいなかったら、もう私はここに来ないって思っちゃわないかなって心配だったんだ」

「そんな事ないよ。
それに俺も情けないけどあの日から熱出て寝込んでたから。
だから俺もあの日から今日はじめてここに来たんだ」

「そうなの?もう熱は大丈夫?」

そう、本当に心配そうに俺の顔を覗き込む柚葉。

こんな事になっても俺の心配をしてくれる柚葉の優しさが嬉しくて、少し辛い。

「うん、大丈夫。
だから俺も心配だったんだ。
俺が来れない間に柚葉が来てたらって」

「本当に私達似てるね」

そう言って笑う柚葉はやっぱり凄く凄く、綺麗で可愛くて。

短くなった髪がサラサラと風に靡いて、茶色がかった瞳は太陽に反射してキラキラと輝いている。

出会った時と変わらない、柚葉はやっぱり俺の天使だ。

「…柚葉」

「なあに?」

キラキラと輝く瞳で覗き込まれて一瞬、怯んだ。

柚葉を前にすると決心が揺らいで困る。
柚葉と離れたくない。
ずっとずっと、柚葉と一緒にいたい。

サラサラと風に靡く艶やかな髪も、茶色がかった瞳も、少し高く心地いい声も、陶器の様に白い手も、
そして俺に向けてくれる笑顔も、全部全部、失いたくなんかない。

俺だけのものにしたい。
柚葉の全てを、俺だけのものに出来たらどれだけ幸せだろう。
だけど、柚葉にまで罪を背負わせる訳にはいかないから。

だから、だから柚葉、

「俺、自首しようと思う」

そう、口にした瞬間、俺達を纏う空気が凍った気がした。
膝の上で固く握り締めた手は微かに震えている。

柚葉の顔が見れない。
柚葉は何も言わない、言ってくれない。

「柚葉……?」

氷の様な冷たい空気に耐えられず顔を上げ柚葉の名前を呼び柚葉の顔を見る。
そこには泣きそうな顔をして柚葉がいた。

「柚……」

「……どうして?」

俺の言葉を遮りそう口にした柚葉の言葉は少しの戸惑いと冷たさを感じた。

「自首なんてしたら一哉君、今の生活失うんだよ?
今みたいに当たり前に学校にいって勉強して友達と遊んで、当たり前に美味しいご飯食べてって、そんな当たり前に用意されている生活が一瞬で無くなるんだよ?
それに私とももう二度と会えなくなるかも知れないんだよ!?」

はじめてみる、柚葉の少し焦りも見える様な必死な訴えに正直驚きを隠せない。

それでもこのままでいい訳ないから。

「一哉君はそれでいいの?
もう二度と今の生活に戻れないよ?
一哉君の両親だっていくら普段一哉君の事を放ったらかしにしてても息子がこんな事件起こしたとか知ったら放ったらかしどころか見捨てるよ!?」

「母さんは俺を見捨てたりなんかしない」

「え……?」

俺の言葉に今度は柚葉が酷く驚きを隠せない顔を見せる。

「こんな事になってから知ったんだ。
母さんが本当はどれだけ俺を大切に思ってくれていたのか。
それをこの5日間、母さんと一緒に過ごして気づけた。
それで気づいた、柚葉の母親だって昔からあんな風に柚葉に暴力を振るってた訳じゃないんだって。
だからこそ、柚葉はずっと耐えてたんだって。
母親に優しく愛された記憶が柚葉にはちゃんとあったんだって。
今までずっと忘れてた俺とは違って柚葉はちゃんと母親の事を分かってたんだって。
だから俺、柚葉のたったひとりの母親を奪った罪をちゃんと償っていかなきゃって、だから……」

「……一哉君、お母さんと何かあったの?」

少し早口で話す俺とは逆で、少し震えながらもゆっくりと含む様に聞いてくる柚葉に俺もゆっくりと首を縦に振る。

「この5日間、寝込んだ俺に付きっきりで看病してくれたのは母さんだった。
その時に家政婦から聞いたんだ。
母さんは本当は俺を自分の手で育てたかったけど父親側の人間に阻止されていた事、母さんはいつも俺の事を気にかけてくれていた事、そんな話を聞いて、それに5日間母さんと過ごしてたくさん話して思い出したんだ、俺は昔、確かにこうして母さんに大切に抱きしめられていた事を。
そして思い知った、俺は柚葉にとってかけがえのない人を奪ってしまったって」

下を向いたままの柚葉の表情は見えない。
だけど微かに身体が震えているのは分かった。

「だから俺、自首するよ。
ちゃんと罪を償う。
これ以上柚葉に嘘をつかせない。
柚葉に何も背負わせない。
大丈夫、柚葉の事は母さんにお願いしておくか……」

再び俺の言葉を遮ぎった柚葉は今度は俺を抱きしめてきた。

突然の事に俺は狼狽えるしか出来ない。

「ゆ、柚……」

「人殺しを生んだ母親、なんてそんな肩書き大切な母親に背負わせて平気なの?」

柚葉の言葉に有り得ない位に心臓がドクンと大きく脈を打つ。

ドクンドクンと止まらない。

背中には冷たい嫌な汗が流れたのが分かった。

……人殺し、確かにそうだ。
否定は出来ない。

俺は柚葉の母親を殺したんだから。
殺意もあった。
完璧な人殺しだ。

だけど、まさか柚葉からその事実を言い放たれるとは思わなくて。
いや、当たり前だ。
柚葉は俺を責め、憎む事が許される人間だ。

だって柚葉のたったひとりの母親を俺は殺したんだから。
でも、でも柚葉、
言ってくれたよね?
あの時、泣く事しか出来なかった俺に柚葉は……

「全部、全部私のせい、なんだよ」

あの時と同じ言葉を柚葉は口にする。

だけど、あの時と違う。
だって、柚葉は泣いていない。

柚葉は、笑っていた。
そんな柚葉を見て、俺ははじめて柚葉が怖いと、そう思ってしまった。


だけど、ねえ柚葉。
あの時君が見せた顔は、
本当は笑っていなかった。

笑顔の仮面を貼り付けていたんだよね。
そんな事にさえ気づけずに、
柚葉の本当の思いに気づけずに、
本当に、ごめん――。

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