愛を知らない僕たちは、殺す事で愛を知る

身体が動かない。

まるで鉛を背負わされているかの様に重い。
相変わらず心臓は痛い位に大きく脈を打つし冷たくて嫌な汗はじっとりと流れている。

全力疾走した後の様に息は乱れる。
苦しい。

だけど、抱きしめられた身体から伝わってくる柚葉の鼓動はとても穏やかに脈を打っていてそれが酷くこの場に不釣り合いで俺は泣きそうになっていた。

「私、警察に嘘をついたの。
それって全部一哉君のためなんだよ?」

いつもと同じ、少し高くて心地よい柚葉の声なのに、それが少し責めている様な感じがするのは俺の中にある罪悪感のせいなのか。

「これからもずっと一哉君といたいから、だから一哉君に少しも疑いがいかないようにって必死で考えて嘘をついた。
それに……」

少し間を置いて一呼吸して柚葉は真っ直ぐに俺を見て、言った。

「死んだお母さんを目の前にして警察や救急車に電話して到着までの間ずっとずっと、死んだお母さんの隣にいたの」

俺と柚葉を纏う空気が止まった気がした。

上手く息が出来ない。
喉の奥が締め付けられているみたいだ。
ヒュッと短い息を辛うじて吐く。

そんな俺の様子に気づいているのか気づいていないのか、柚葉は相変わらず真っ直ぐに俺を見て話を続ける。

「怖かった。
もう息をしていないのに、死んでいるのに、目を覚まして私に襲い掛かってくるんじゃないかって」

そう言って目を伏せた柚葉の顔を俺はただ見つめる事しか出来ない。

いや、違う。
目を離せないんだ。

長い睫毛が柚葉の白い頬に影を作る。
そんな小さな事さえも恐ろしい程に綺麗で。

「私にはもう一哉君しかいないの」

柚葉のひと言が脳を直撃する。

父親はすでに亡くなってる。
母親は俺が殺した。
兄弟もいない。
祖父母も亡くなっていると聞いている。

両親共にひとりっ子だったため、柚葉にはもう頼れる肉親はいないんだ。

俺のせいで。

「一哉君がいなくなったら、私本当にひとりぼっちになっちゃう。
そんなの嫌だよ…」

さっきとは打って変わって大きな目には溢れんばかりの涙を溜めて俺を見る柚葉に決意が揺らぐ。

柚葉のために自首しようと思った。
このままなんて、柚葉のためにも絶対に良くない。

だけど今目の前で柚葉は泣いている。
俺しかいないと、ひとりぼっちになると、
そんなの嫌だと。

頭がぐらぐらと揺れる。
重くて重くて柚葉を見る事も出来ず頭が項垂れる。

柚葉のために、正しい事をしようと思った。

柚葉が正しい道を進める様に。
柚葉が笑顔で生きていける様に。
柚葉が幸せでいられる様に。

間違っていない、俺は罪を犯したんだから。
だから自首して、罪を償うのは正しくて当たり前の事なんだ。
悪い事をしたら正直に名乗り出て認めて謝って反省して、二度と同じ事をしない、
そう昔から当たり前の様に刷り込まれた。

だから、俺は間違ってなんか……

「私達ふたりだけの正しい事をしようよ」

俺の思考を遮る様に頭に響いた柚葉の言葉。

反射的に項垂れていた頭を上げると柚葉は穏やかに笑っていた。

夕日が反射して少し茶色い目はキラキラしている。
黒く艶やかな髪の毛は相変わらずサラサラと風に靡いていて、白く陶器の様な肌も合わさって柚葉を天使かと思わせる。

出会った時から変わらない、俺の天使。

天使を守るために俺はヒーローになりたかった。

柚葉だけのヒーローに。

だけど、実際は俺はただの人殺しで柚葉の唯一の肉親を奪った、
まるで、天使から全てを奪った悪魔だ。

だけど、天使はそんな悪魔にも優しく穏やかに慈悲深く微笑んだ。

「大人の、世間の正しい事なんてどうでもいいんだよ。
私達には私達だけの、正しい事があるんだから」

柚葉の言葉に今度は俺の目にどんどんと涙が溢れてくるのが分かった。

「だから、ずっと一緒にいて。
ずっとずっと、私のヒーローでいて」

涙が頬を流れていく。
一度流れ始めた涙は止まる事なく次々と流れ落ちていく。
そんな俺を柚葉は優しく抱き締めてくれる。

「ずっとずっと、一緒だよ。
……全ての罪を償うまで、ずっと、ずっと――」




この時の柚葉の言葉を俺は単純に捉えていた。

俺の犯した罪が流れる時間と共に流されて許されるまで、柚葉はずっと俺と一緒にいてくれる、
なんて俺にとって都合よく。

だけど、そんな単純で都合のいいモノなんかじゃなかった。
その事に気づかないまま、
俺達は高校生になる――。

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