愛を知らない僕たちは、殺す事で愛を知る
⑰
静寂に包まれる部屋に規則正しく時計の秒針の音だけが響く。
そんな静寂を消し去る様に、父さんが大きく、長い息を吐き言葉を続ける。
「……梓葉を見たのはその時が最後だ」
「……梓葉さんはその時、ひとりで海に飛び込み亡くなったという事ですか?」
「……恐らくな」
「恐らく……?」
「……見つかっていないんだ、梓葉は。
随分探した。いくらつぎ込んだか分からないくらいに。
そして後から分かった事だが、梓葉が最期に電話した相手は娘ではなく私の父親だった。
私の携帯から父の連絡先を調べ、私達のいる場所を教えた。
梓葉は最初からひとりで死ぬつもりだったんだ」
……最初から、ひとりで。
そう決めるまで、梓葉さんはどれだけ苦しみ、悩み抜いたのだろうか。
「梓葉が見つからない状態で梓葉の葬式は行われた。
父に止められていたが葬式場へ足を運んだ。
そこには白黒の梓葉の遺影が飾られていた。
そしてその写真をただただ真っ直ぐに見つめているひとりの少女がいた」
「それって……」
父さんの返事を聞かなくても分かっていた。
その少女は……
「そうだ、梓葉の娘、
冬野柚葉だ。
彼女はずっと写真の梓葉を見つめていたよ。
その表情はただただ悲しみと絶望に暮れていた。
泣く事さえも出来ずに、遺体もないから縋り付く事さえ出来ない。
大人達が彼女を別の場所へ連れ出そうとしても彼女は頑としてその場を動かなかった。
そんな彼女を見て理解した、彼女は梓葉を忘れてなんかいなかった。
母親を、梓葉を必要としていた。
梓葉が彼女を愛していた様に、彼女も梓葉を愛していた。
ただただ、母親の帰りを待っていたんだと……」
柚葉の本当の母親は、
父さんの目の前で海に飛び込んだ。
見つかっていないとはいえ、恐らく亡くなっている。
俺が柚葉の母親だと思っていた、
……俺が殺したあの女は柚葉の本当の母親じゃなかった。
じゃあ何故、柚葉はその事を俺に話さなかった?
あんな酷い虐待をする様な女、本当の母親じゃないのなら本来柚葉が庇う必要はない。
なのに何故、柚葉は本当の事を俺に話さずにむしろあの女を庇う様な行動をした?
俺達が出会った時には柚葉の父親は亡くなっていた。
だったら変にあの女を庇わずに虐待されている事を俺やまわりに話したらあの女とも離れられたはず……
「冬野柚葉の目的は私への復讐だ」
整理出来ずにいる俺の頭に父さんの言葉が刺さる。
「母親が突然いなくなった事、その後すぐに知らない女が母親の代わりに家にいるようになった事、そして突然の母親の死、幼いながらにおかしいと感じたのだろう、彼女はひとりで母親に何があったのか調べた。
そしてたどり着いたのが、私の存在だ」
「どうしてそんな事……」
そうだ、どうしてそんな事父さんに分かるんだ。
そんな疑問も父さんには全て見透かされ、ただただ言葉を発していく。
「梓葉は日記を遺していた。それを梓葉は死の前日にある所に隠していた。
その場所は梓葉と娘しか知らない場所だ。
どうしてそんな場所に隠してたのか、
誰にも見つからない場所がそこしか思いつかなかったのか、
娘に見つけてもらって自分の気持ちを知ってもらいたかったのか、
それとも、
……自分に代わって復讐を果たしてほしかったのか、
それは梓葉にしか分からない。
冬野柚葉はその日記から母親が自分の父親や愛人に苦しめられ病院へ無理矢理押し込められ自分から遠ざけられた事を、
そして最期に過ごしたのが私だと知った」
「最期に過ごしたのが父さんだからって、どうして復讐する相手が父さんになるんですか?
それなら復讐する相手は父親と愛人でしょう!?」
「だからふたりとも亡くなっただろう」
!!!
父さんのひと言に背中が冷たくなるのを感じた。
確かに、ふたりとも亡くなった。
いや、ひとりは、
俺が、殺した。
だけど、父親は……、
……待て、柚葉の父親は、
どうして亡くなったんだ……?
事故?病気?
そんな疑問を消すかの様に父さんは話を続ける。
「父親は工場での事故が原因で亡くなった。
本来落ちるはずのない鉄板が落ちてきたのが原因だ。
経営難からろくに点検、整備をしていなかったための事故死として片付けられた。
だが普段工場にこない冬野柚葉がその事故が起こる前の数日間、父親に会いに来ていた。
弁当を届けにきたり忘れ物を届けにきたり、理由は色々だが珍しい事だったから当時の従業員が不思議に思って覚えていた」
「……偶然でしょう、そんなの」
「確かに、ただの偶然だ。
だが後妻に収まっていた女は男の死後、人が変わった様に冬野柚葉を虐待し始めた」
心臓がドクリと大きな音を立てた。
背中には相変わらず冷たい汗が流れる。
「それまではまだ幼い子どもから母親を奪った罪悪感から冬野柚葉に対して出来る限りの愛情を持って接していたらしい。
だが男が亡くなった後ふたりで小さなアパートに引っ越しその部屋からはよく女のヒステリックな叫び声が響いていた。
そして女は飲み屋でよくこぼしていた、
あの子は悪魔だと」
悪魔……?
何を言っているんだ、悪魔なのはあの女……
【離しなさい!あんたが……!あんたさえいなけりゃ……!】
!!?
まだ混乱する頭の中であの女の叫び声が響く。
これは、あの時の、
……俺が柚葉をあの悪魔から助けようとした時に悪魔が叫んでた言葉……?
【ほんとに……、あんたさえいなけりゃ良かったのに……。柚葉、あんたは悪魔だ!】
【この悪魔!!】
……そうだ、確かにあの女は柚葉を悪魔だと罵った。
だから俺は悪魔はお前だと、
思いっきり突き飛ばして……。
「後妻の女は痴情のもつれからの殺人として処理された」
父さんに聞こえるんじゃないかと思う程にドクンと痛いくらいに大きく音を立てる心臓。
「ひとりになった冬野柚葉のその後をお前は彼女からどう聞いている?」
「え……?」
思いがけない父さんの言葉に返事がすぐに返せない。
「頼れる身内もいない、天涯孤独になった彼女が施設に入る事なく今の生活を送っている事を不思議に思わなかったのか?」
「……確かに彼女には頼れる身内はいません。
ですが、昔から家族ぐるみで仲良くしていた父親の幼馴染だという女性に引き取られ不自由なく暮らしていると聞いています。
昔から娘の様に可愛がってくれて今でもとてもよくしてくれていると……」
「それが嘘だと言ったら?」
!!?
「……何を言って」
「冬野柚葉の形式上の保護者は梓葉の親友だった女性だ。
そして冬野柚葉にかかる費用は全て私が支払っている」
言葉が出ない。
柚葉は今、父親の幼馴染と一緒に暮らしているはず……。
それに、父さんがお金を支払っているって……
「梓葉の親友だった女性は長く海外に住んでいた、そのせいで梓葉が苦しんでいた事を知らなかった。
親友が苦しい時にそばで支えられなかった事、そして救えなかった事を梓葉の死後ずっと後悔していた。
それから数年後、梓葉が遺した梓葉にうり二つの冬野柚葉が父親に続いて継母まで亡くし天涯孤独になった事を知り、引き取りたいと願い出た。
だが身内でもなく独身の彼女が引き取る事に難色を示す者もいた。
経済的にも無理じゃないかと。
だったら私が経済的な部分は全て援助すると約束した。
もっとも冬野柚葉には私が経済的援助をする事は黙っているようお願いしたし、彼女も私を良く思っていなかったからその点は了承した。
私は経済的援助だけして冬野柚葉には全く関わらない、情報も一切知らせる必要はない、という約束だ」
「……父親か母親の親友の違いだけじゃないですか。
ああそうだ、僕の聞き間違いだったかも……」
「いや、違う」
はっきりと否定の言葉を口にする父さんに俺はまた何も言えなくなってしまう。
「母親の親友だと言うと、虐待していた継母が実母だと思っているお前からしたら、そんな母親の親友なんて信用出来ないとお前に反対される、それでもそんな人に素直に引き取られ一緒に問題なく暮らし出したら、もしかしたらお前に不信感を持たれるかも知れない、だからこそ冬野柚葉は父親の幼馴染だと嘘をついた」
「そんな事……」
「ではお前は冬野柚葉から母親の親友と一緒に暮らすと言われたら納得していたか?」
!!
……その通りだ。
そんな事言われたら当然反対していた。
むしろその勢いそのままに俺の家で住めないか、無理ならふたりでどこか遠くで暮らせないかと、今より子どもだった俺は無茶振りばかりしていただろう。
「そして冬野柚葉を引き取った梓葉の親友は川西凛さんの母親の妹だ」
「……え?」
突然の川西さんの名前に頭が回らない。
「だから川西凛さんは気付いた、冬野柚葉が私を恨んでいる事を。
そして私への復讐のために冬野柚葉がお前に近づいた事も」
……分からない、
もう、何もかも、
分からない。
それでも俺の中の柚葉は
ただただ、笑っているんだ。
それはまるで、天使のように、
怖いくらいに綺麗に。
そんな静寂を消し去る様に、父さんが大きく、長い息を吐き言葉を続ける。
「……梓葉を見たのはその時が最後だ」
「……梓葉さんはその時、ひとりで海に飛び込み亡くなったという事ですか?」
「……恐らくな」
「恐らく……?」
「……見つかっていないんだ、梓葉は。
随分探した。いくらつぎ込んだか分からないくらいに。
そして後から分かった事だが、梓葉が最期に電話した相手は娘ではなく私の父親だった。
私の携帯から父の連絡先を調べ、私達のいる場所を教えた。
梓葉は最初からひとりで死ぬつもりだったんだ」
……最初から、ひとりで。
そう決めるまで、梓葉さんはどれだけ苦しみ、悩み抜いたのだろうか。
「梓葉が見つからない状態で梓葉の葬式は行われた。
父に止められていたが葬式場へ足を運んだ。
そこには白黒の梓葉の遺影が飾られていた。
そしてその写真をただただ真っ直ぐに見つめているひとりの少女がいた」
「それって……」
父さんの返事を聞かなくても分かっていた。
その少女は……
「そうだ、梓葉の娘、
冬野柚葉だ。
彼女はずっと写真の梓葉を見つめていたよ。
その表情はただただ悲しみと絶望に暮れていた。
泣く事さえも出来ずに、遺体もないから縋り付く事さえ出来ない。
大人達が彼女を別の場所へ連れ出そうとしても彼女は頑としてその場を動かなかった。
そんな彼女を見て理解した、彼女は梓葉を忘れてなんかいなかった。
母親を、梓葉を必要としていた。
梓葉が彼女を愛していた様に、彼女も梓葉を愛していた。
ただただ、母親の帰りを待っていたんだと……」
柚葉の本当の母親は、
父さんの目の前で海に飛び込んだ。
見つかっていないとはいえ、恐らく亡くなっている。
俺が柚葉の母親だと思っていた、
……俺が殺したあの女は柚葉の本当の母親じゃなかった。
じゃあ何故、柚葉はその事を俺に話さなかった?
あんな酷い虐待をする様な女、本当の母親じゃないのなら本来柚葉が庇う必要はない。
なのに何故、柚葉は本当の事を俺に話さずにむしろあの女を庇う様な行動をした?
俺達が出会った時には柚葉の父親は亡くなっていた。
だったら変にあの女を庇わずに虐待されている事を俺やまわりに話したらあの女とも離れられたはず……
「冬野柚葉の目的は私への復讐だ」
整理出来ずにいる俺の頭に父さんの言葉が刺さる。
「母親が突然いなくなった事、その後すぐに知らない女が母親の代わりに家にいるようになった事、そして突然の母親の死、幼いながらにおかしいと感じたのだろう、彼女はひとりで母親に何があったのか調べた。
そしてたどり着いたのが、私の存在だ」
「どうしてそんな事……」
そうだ、どうしてそんな事父さんに分かるんだ。
そんな疑問も父さんには全て見透かされ、ただただ言葉を発していく。
「梓葉は日記を遺していた。それを梓葉は死の前日にある所に隠していた。
その場所は梓葉と娘しか知らない場所だ。
どうしてそんな場所に隠してたのか、
誰にも見つからない場所がそこしか思いつかなかったのか、
娘に見つけてもらって自分の気持ちを知ってもらいたかったのか、
それとも、
……自分に代わって復讐を果たしてほしかったのか、
それは梓葉にしか分からない。
冬野柚葉はその日記から母親が自分の父親や愛人に苦しめられ病院へ無理矢理押し込められ自分から遠ざけられた事を、
そして最期に過ごしたのが私だと知った」
「最期に過ごしたのが父さんだからって、どうして復讐する相手が父さんになるんですか?
それなら復讐する相手は父親と愛人でしょう!?」
「だからふたりとも亡くなっただろう」
!!!
父さんのひと言に背中が冷たくなるのを感じた。
確かに、ふたりとも亡くなった。
いや、ひとりは、
俺が、殺した。
だけど、父親は……、
……待て、柚葉の父親は、
どうして亡くなったんだ……?
事故?病気?
そんな疑問を消すかの様に父さんは話を続ける。
「父親は工場での事故が原因で亡くなった。
本来落ちるはずのない鉄板が落ちてきたのが原因だ。
経営難からろくに点検、整備をしていなかったための事故死として片付けられた。
だが普段工場にこない冬野柚葉がその事故が起こる前の数日間、父親に会いに来ていた。
弁当を届けにきたり忘れ物を届けにきたり、理由は色々だが珍しい事だったから当時の従業員が不思議に思って覚えていた」
「……偶然でしょう、そんなの」
「確かに、ただの偶然だ。
だが後妻に収まっていた女は男の死後、人が変わった様に冬野柚葉を虐待し始めた」
心臓がドクリと大きな音を立てた。
背中には相変わらず冷たい汗が流れる。
「それまではまだ幼い子どもから母親を奪った罪悪感から冬野柚葉に対して出来る限りの愛情を持って接していたらしい。
だが男が亡くなった後ふたりで小さなアパートに引っ越しその部屋からはよく女のヒステリックな叫び声が響いていた。
そして女は飲み屋でよくこぼしていた、
あの子は悪魔だと」
悪魔……?
何を言っているんだ、悪魔なのはあの女……
【離しなさい!あんたが……!あんたさえいなけりゃ……!】
!!?
まだ混乱する頭の中であの女の叫び声が響く。
これは、あの時の、
……俺が柚葉をあの悪魔から助けようとした時に悪魔が叫んでた言葉……?
【ほんとに……、あんたさえいなけりゃ良かったのに……。柚葉、あんたは悪魔だ!】
【この悪魔!!】
……そうだ、確かにあの女は柚葉を悪魔だと罵った。
だから俺は悪魔はお前だと、
思いっきり突き飛ばして……。
「後妻の女は痴情のもつれからの殺人として処理された」
父さんに聞こえるんじゃないかと思う程にドクンと痛いくらいに大きく音を立てる心臓。
「ひとりになった冬野柚葉のその後をお前は彼女からどう聞いている?」
「え……?」
思いがけない父さんの言葉に返事がすぐに返せない。
「頼れる身内もいない、天涯孤独になった彼女が施設に入る事なく今の生活を送っている事を不思議に思わなかったのか?」
「……確かに彼女には頼れる身内はいません。
ですが、昔から家族ぐるみで仲良くしていた父親の幼馴染だという女性に引き取られ不自由なく暮らしていると聞いています。
昔から娘の様に可愛がってくれて今でもとてもよくしてくれていると……」
「それが嘘だと言ったら?」
!!?
「……何を言って」
「冬野柚葉の形式上の保護者は梓葉の親友だった女性だ。
そして冬野柚葉にかかる費用は全て私が支払っている」
言葉が出ない。
柚葉は今、父親の幼馴染と一緒に暮らしているはず……。
それに、父さんがお金を支払っているって……
「梓葉の親友だった女性は長く海外に住んでいた、そのせいで梓葉が苦しんでいた事を知らなかった。
親友が苦しい時にそばで支えられなかった事、そして救えなかった事を梓葉の死後ずっと後悔していた。
それから数年後、梓葉が遺した梓葉にうり二つの冬野柚葉が父親に続いて継母まで亡くし天涯孤独になった事を知り、引き取りたいと願い出た。
だが身内でもなく独身の彼女が引き取る事に難色を示す者もいた。
経済的にも無理じゃないかと。
だったら私が経済的な部分は全て援助すると約束した。
もっとも冬野柚葉には私が経済的援助をする事は黙っているようお願いしたし、彼女も私を良く思っていなかったからその点は了承した。
私は経済的援助だけして冬野柚葉には全く関わらない、情報も一切知らせる必要はない、という約束だ」
「……父親か母親の親友の違いだけじゃないですか。
ああそうだ、僕の聞き間違いだったかも……」
「いや、違う」
はっきりと否定の言葉を口にする父さんに俺はまた何も言えなくなってしまう。
「母親の親友だと言うと、虐待していた継母が実母だと思っているお前からしたら、そんな母親の親友なんて信用出来ないとお前に反対される、それでもそんな人に素直に引き取られ一緒に問題なく暮らし出したら、もしかしたらお前に不信感を持たれるかも知れない、だからこそ冬野柚葉は父親の幼馴染だと嘘をついた」
「そんな事……」
「ではお前は冬野柚葉から母親の親友と一緒に暮らすと言われたら納得していたか?」
!!
……その通りだ。
そんな事言われたら当然反対していた。
むしろその勢いそのままに俺の家で住めないか、無理ならふたりでどこか遠くで暮らせないかと、今より子どもだった俺は無茶振りばかりしていただろう。
「そして冬野柚葉を引き取った梓葉の親友は川西凛さんの母親の妹だ」
「……え?」
突然の川西さんの名前に頭が回らない。
「だから川西凛さんは気付いた、冬野柚葉が私を恨んでいる事を。
そして私への復讐のために冬野柚葉がお前に近づいた事も」
……分からない、
もう、何もかも、
分からない。
それでも俺の中の柚葉は
ただただ、笑っているんだ。
それはまるで、天使のように、
怖いくらいに綺麗に。