愛を知らない僕たちは、殺す事で愛を知る

もうどれ位の時間が過ぎたのだろうか。
何日も過ぎた様に感じるし、
逆にまだ数時間しかたっていない様にも感じる。

信じられない話を続ける峰島さんは、
顔色も表情も変わらない。
俺は何も悟られない様にポーカーフェイスを保ち続けるのはとっくに限界がきていた。

そんな俺の思いなんて峰島さんには関係ないのだろう。
相変わらず用意された台本を読むかのように淡々と話を続けていく。

「二宮梓葉の父親は孫である柚葉が生まれてすぐに亡くなった。
悲しみに暮れる中、娘の存在は唯一の希望だった。
彼女はそれはそれは娘を目の中に入れても痛くない程に大切に育てていたらしい」

「だったら梓葉さんが柚葉に復讐を託すなんて、そんな馬鹿げた話ある訳ないじゃないですか」

「そう、大事なひとり娘の存在は彼女の復讐心を消し去ろうとした。
真面目で穏やかで子煩悩な夫、可愛い娘、
こんな幸せはない、自分は幸せだ、
この幸せは父親が遺してくれたもの、
この幸せを守っていこう、
そう、彼女は思っていた。
だが、その思いも長くは続かなかった」

「……どうして、
そんな、
だって、そんな幸せなのに何で復讐なんて……。
今更じゃないですか、
どうして……」

もう冷静に、なんていられなかった。
上手く言葉も出ない程に。

そんな俺に峰島さんは更なる事実を明かしていく。


「10年前に亡くなった君の祖母、お祖母様は後妻だね?」

「そうですけど、それが何か……」

「後妻である君の祖母は、二宮梓葉の母親だ」

……あまりの言葉に、
俺は何も言えなくなっていた。
俺は今、どんな顔をしているのだろうか。

この人は一体何を言っているのだろうか、
そんな事、誰が信じるというのか。

「工場を潰す時に君の祖父は二宮梓葉の母親を気に入っていて、母親をも手に入れようとしていた。
だが、本人は君の祖父を当たり前だが憎んでいた、
君の祖父の誘いをはっきりと断り、夫を支え、夫婦でいちから工場を立て直した。
その後、夫の死の悲しみを乗り越え、娘夫婦と孫との新たな生活を穏やかに過ごそうとしていた矢先に、君の祖父は二宮梓葉の母親を無理矢理後妻に迎えた。
また、工場を潰されたくなかったら自分の元へ来い、
今、工場を潰されたら大事な娘夫婦と孫が路頭に迷う事になるぞ、
死んだ旦那が自分の命を犠牲にしてまで守った工場と娘だろう、と」

頭がクラクラする。
まさか、祖父がそんな事……。

10年前に亡くなった祖母にはほとんど会う事はなかった。
本邸で引きこもるように過ごしていて、あまり表に出る人ではなかった。

父さんも血の繋がりのない人だから関わる必要はないと言って、会う機会をつくる事もなかった。

……父さんは知っていたのか?
あの人が、
二宮梓葉さんの母親だと……。

そんな俺の疑問も全て見透かすように、
峰島さんは言葉を続ける。

「桐生一仁の母親、君と血の繋がった祖母は17年前に亡くなった。
そしてその2年後、君の祖父は二宮梓葉の母親と再婚するが、その時には桐生一仁は結婚し、君も生まれてどんな形であれ新しい家庭を築いていた。
元々父親に対して良い感情を持っていなかった桐生一仁は、父親の再婚も、その相手もどうでもいいとの考えで、気にも止めていなかった。
だから気づかなかった、
父親の再婚相手が、かつて自分が愛した女性の母親だと。
……気づいていたら、何か変わっていたのかも知れないな」

……そうか、
父さんは、知らなかったのか。

……一度だけ、会った事がある。
本邸の庭に、凄く綺麗に花が咲いている場所があった。
普段、そこに近づくのは禁止されていた。

【奥様が大切にしている】

そう、家政婦に言われていた。

だけど、ボールで遊んでいて
蹴ったボールがその場所へ転がっていってしまった。

仕方なくボールを取りにその場所へ近づいた。
すぐに去るつもりだった。
だけど、そこには見たことない人がいた。

悲しそうに花を見るその人から、
まだ幼い俺はどうしていいか分からず
ただその場に突っ立ってその人を見るしか出来なかった。

転がったボールがその人の足にぶつかり、
その人は視線を花からボールへ移し、
そしてボールを拾い、
俺へと視線を向けた。

「……ああ、一哉君、ね?」

その人は先程までの悲しみに満ちた表情から
少し無理をしたように笑って、俺の名前を呼んだ。

「は、はい、
桐生一哉です」

「まぁ、礼儀正しい男の子ね」

そう言って笑って俺にボールを渡してきた。

「よくここに来るのかしら?」

「本邸のお祖父様に会いにたまに……」

「そう……。
確か、5才だったわね?」

「はい」

「そう、5才……」

そう言って、
優しく頬を撫でてくれた。

その手が凄く暖かくて優しくて、
何故か泣きそうになったのを覚えている。

あれは、
あの暖かさも、優しさも、

離れて、会う事もなくなってしまった、
柚葉に向けたものだったのか……?

祖父のせいで離れ離れになり会う事もできなくなった、
唯一の孫である柚葉と、
同じ年である俺を重ねていたのか……?

あの後、俺を探す家政婦の声に
その人は家の中へ戻ってしまった。

もし、あの時もう少しだけでもあの人と話せていたら、
もしかしたら、
何か変わっていたのか……。

「二宮梓葉の母親は桐生の家に嫁ぐ時、
娘に、桐生に対しての恨み言も何も言わなかった。
むしろ、桐生の家に嫁ぐ事も言わず、
何も言わずいきなり娘の前から消えた。
家族で幸せになる事だけを考えて、
必ず幸せになりなさい、
それだけ伝えて家を出て、それからは一切会う事も連絡する事もなかった。
桐生一仁と二宮梓葉のつきあいを引き裂いた君の祖父から、一切の接触の禁止をされていたからだ。
二宮梓葉の母親は、ただただ、
娘夫婦と孫の幸せだけを願い、祈り、
そのために自分のその後の未来を全て捨てたんだ」

……もう、聞きたくない。
もう、何も考えたくない。
だって、
梓葉さんも柚葉も、
俺を、父さんを、桐生の人間を恨んで当然じゃないか。

「二宮梓葉は母親の突然の失踪に強いショックを受けたが、残された手紙には大丈夫だから、探さないでと書かれていたため警察も事件性はないと判断してろくに相手にしなかった。
それから悲しみを引きずりながらも母親の残した言葉通りに家族で幸せになろうと、二宮梓葉は頑張って生きていた。
だが、夫の不倫が発覚すると同時に母親が自分達のために桐生の家に嫁がされ犠牲になり、そしてすでに亡くなっている事を知らされた。
彼女の中で今まで必死に頑張ってきたものが、プツンと切れた。
そして、呼び戻した、
桐生一族への憎しみを、恨みを。
しかし、同時に自分の病も分かった。
このままでは桐生一族への復讐は果たせない。
そこで彼女は娘である柚葉に復讐を託す事にした。
……これを、見てごらん」

そう言って峰島さんは一冊のノートを差し出した。
少し古いそのノートが何なのか、
俺にはすぐに分かった。

「……梓葉さんが、
柚葉に遺したノート、ですね?」

「そうだ、よく分かったね。
読むといい」

そう言われ、
1ページずつ、ゆっくりと読んでいく。

……思った通りの事が書き綴られている。
柚葉への想いが溢れた言葉だ。

柚葉が大切で大事で、
大好きで、愛している、と。
幸せになってほしい、と。

……そして、
柚葉の父親の不倫やその経緯、
父さんとの出会い、別れ、
最期の時を過ごす事、
一緒に死ぬ事、
全てが詳しく書き綴られていた。

「……予想通りですね。
何もおかしな事なんてない。
柚葉への愛が書かれているだけじゃないですか」

「そうだね、娘への愛は感じる。
だけど、何故父親の不倫や愛人への恨み、
桐生一仁との事まで記したのか。
本当に娘の幸せだけを願うならそんな事は絶対に書かない」

断言するように、はっきりとそう言ってノートの1文を指差す。

「そして、ここだ、
【悲して悔しくて、惨めだけれど、
ひとりで死ぬ訳じゃない、
かず君が一緒に死のうと言ってくれた、
彼は、私に楽になろうと言ってくれた、
私を、この苦しみから救ってくれると言ってくれた】
……おかしいだろう?
一緒に死ぬ事は、二宮梓葉が言い出した事だ。
そして、ここ、
【だけど、彼を巻き込む訳にはいかない、
私に楽になる方法を教えてくれた、それだけで十分だ、
私はひとりで、死のう】
これを呼んだ柚葉は、
母親がひとりで死んだのは、桐生一仁がそう誘導したと思っただろうね」

……確かに、
父さんから聞いた話と違う。
一緒に死んでと、
そう、梓葉さんが父さんに訴えたと聞いている。

「二宮梓葉は娘が父親、その愛人、
そして桐生一仁を憎み、復讐するように仕向けた。
桐生一仁に復讐をする、それは桐生一族への復讐と同じだからね。
腎臓を患い、余命幾ばくもなかったが、
心を病んでいたのも実際あっただろう。
母親は憎い桐生に無理矢理嫁がされ、失意の内に亡くなり、
優しく穏やかで子煩悩だった夫は愛人に夢中になり、
両親が自分達を犠牲にして守ってくれた工場の経営を悪化させ、
自分はもうじき死んでしまう、 
……心を病んでしまうのも、当然かも知れない。
だけど、
憎しみや復讐を、
誰かに残してはいけないんだ」

そう、強く言い切った峰島さんは、
その目に悲しみも滲ませているように見えた。

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