ヘメリアのエトランゼ 〜冬晴るる空に想い馳せて〜
5-2

🪶

「お姉様、お話があります」

いまたでずっと逃げてきた。

向き合うのがこわかった。

でもどうしても確かめたい。

高鳴る鼓動と震える手を必死に抑え部屋をノックする。

部屋には二人きり。

ファルケン草原ではじめてペテロと出会ったとき、彼は私を見て目を見開きながらエインデ人か?と訊いてきた。

私は黒い羽のシェラプト人と答えたけれど、彼は怪訝な表情のままだった。

このミントグリーンの髪と瞳、黒い羽はエインデ人である証拠。
となると、お母様もお姉様も黒い羽ということになる。

勇気を振り絞って質問する。

「お姉様も黒い羽なのでしょうか?」

少しの間の後、ゆっくりと口を開く。

「私たちの先祖がエインデからここにやってきたことは知っているな?」

沼地だらけのエインデには毒性のある虫が多く存在し、それにより食料となるか草木の腐敗が早く人が生きていくには過酷な場所だった。
その状態で飛竜族に襲われたため、生き残ったものたちで豊富な水のあるシェラプトに移った。

少しずつ国が繁栄していくなか、黒い羽の旧エインデ人やシェラプト先住民たちの間で子孫が生まれた。その後、白い羽を持つ他国から移民が多くやっていたことで白い羽の比率が上がり、いつしかウィブラン人やウィグロ人という概念ができた。

ちょうどそのころにあの絵本が広まった。

羽の色による差別が激化していったことでウィグロ人たちの居場所は西側に追いやられ、ウィブラン人たちによるカーストが構築されてしまった。

お姉様が一度ゆっくり瞬きをした後、黄金の鎧を脱ぎ出した。

羽の付け根まで手を伸ばすと、ビリビリと何かを剥がし始めた。

白い羽は黒い羽になった。

「父上と母上は生後間もない私の羽を見てひどく困惑したそうだ。黒い羽であることを隠すため誰よりも白く美しい羽にし、身の回りから黒いものをなくさせた。そして、王族としての振る舞いだけでなくウィブラン人こそがこの国を統治すべきという思想を教え込まれた」

お姉様が続ける。

「自分の羽が黒いことを知ったのは父上が亡くなってからすぐ。母上から聞かされたときはあまりのショックで自分の羽を捥ぎ取ってやろうかと思ったくらいに出自を恨んだよ」

あの凛々しいお姉様にもそんな過去があったなんて知らなかった。

「父上が暗殺され母上が統治するようになってから考えが変わったよ。羽の色ですべてを決めるのは間違いだと。誰かを恨むことに力を注ぐより、多くの人を幸せにできる強さを身につけたいとね。だから私は誰よりも強い兵士になってこの国から差別を無くすと誓った」

やっぱりお姉様はすごい。

過去と間に合い、受け入れ、行動に移し、ブレない気持ちを貫ける強い人。

それに比べて私は嫌なことから逃げ、何も考えずに走り回っていた。

ロベールに守られていたことに(かこつ)けて周囲の人を振り回していた。

お姉様のように強く逞しい人になるにはどうしたら良いのだろう?

「おまえも誰かを恨む余裕があるなら人に優しくなれる子になりなさい」

ずっとお父様を恨んでいた。

勝手に城から追いやって勝手に亡くなって。

幼かったとはいえ、お父様が亡くなったとき少しホッとした自分がいた。

でも、お姉様はお父様の暗殺を指示したジェレミーを恨むことはなかった。

それを思うと言葉の重みがぐっと増す。

一つ気になったことがある。

「お母様も黒い羽なのですか?」

「母上ももともと黒い羽だった。しかし、レーゲンスの人間になるため、白い羽に変えたのだ」

「どうしてそんなことを?」

「母上がまだ幼いころ、当時のホロコーストはひどくてな。黒い羽というだけで地上に堕とされたり、焼き殺されたりしていたそうだ。母上の両親も幼い母上を守るために犠牲になった。そんな理不尽な世界を変えたいと思っての行動だよ」

お母様の両親に一度も会ったことがなかったのは、意図的に会わせてくれなかったのではなく、物理的に会うことができなかったのだ。

そんなこととは露知らず、勝手に思い込んでお母様と距離を置いていた。

まともに向き合おうともしないで。

「母上が統治するようになってからはウィグロ人たちの意見を訊くようになり、少しずつ迫害は緩和されていったが、それをよく思わないウィブラン人も少なくない」

お父様の先祖はソルニアからの移住者で、お母様の先祖はエインデからの移住者。それを知ったのはついさっきのこと。

お姉様から訊かされるまでは知らなかった。

私、家族のこと何も知らなかった。

空を飛ぶことや誰かに甘えることばかり考えていた。

ロベールに甘えてレネに守ってもらって、自分の出自はもちろん、お母様やお姉様の想い。
そんなことも考えずにいつも自分のことばかり。

本当ダメだ。

「王族の娘として生まれてきた以上、これからもっと辛いことや理不尽なことと闘うことになる。でも絶対に逃げるな。間に合えば答えは必ず出る」

次期女王として生きるお姉様は私なんかよりももっと大きな重圧を背負ってきたはず。

この言葉の中にはきっとさまざまな想いが含まれているのだろう。

お姉様に連れられてやってきた大広間の長テーブルには豪華な食事が並べられていて、一番奥の席にはお母様が座っていた。

その斜め左にお姉様、向かいに私が座り、三人で食事をする。

食器に当たるカトラリーの音だけが静かに響き渡る。

「こうして一緒に食事をするのはいつぶりかしら」

軽く微笑みながらそう言われたが、私には家族で食事をした記憶がない。

以前読んだ本に書いてあったことを思い出す。

幼少期の記憶がない人の多くは脳が発達途中ということもあり、当時辛かったことを記憶していないのだと。

本当かどうかはわからないけれど、私にとって家族揃っての食事は今日がはじめて。

国のトップである母、軍のトップである姉、そして天魔の子と呼ばれ続けた私。

家族水入らずなんていう綺麗な言葉は当てはまらないかもしれないけれど、正直緊張で食事が喉を通らない。

「シルフィ」

お母様に声をかけられドキッとする。

こんなに近くで顔を見たのはいつぶりだろう。

きっと腕の中に包まれていたとき以来かもしれない。

とても綺麗で優しい瞳をしている。

「はい」

緊張が声に乗った。

カトラリーを置いて姿勢を整え次の言葉を待つ。

「ずっと我慢させてしまってごめんなさい」

まさかの言葉に胸の奥深くに潜んでいた感情が一気に爆発する。

「私にも謝らせてくれ。すまなかった」

予想もしていなかった言葉に泪で前が見えなかった。

「リリィには大変な思いをさせてしまったわ。実の妹のために長い間、心を鬼にしてもらっていたのだから」

黒い片翼の子、王族の娘。

その逃れられない事実の中で生き抜くため、お母様がお姉様に厳しく接するようお願いしていた。

「あなたは優しい子だから人のために自分を犠牲にする。昔から向こう見ずだからすぐに力を使う」

「アーユスのことを知っていた母上はおまえに力を使わせないために行動を制限していたんだよ」

「フランツがあなたにした行動は決して赦されることではないし、それを止めることができなかったことをずっと後悔していたの」

「かといって、いきなり王宮に戻せばそれこそ西側にいたときよりも辛い目に遭うこともわかっていた。だから守り役としてロベールを付け、少しずつ本来の居場所(いえ)に戻ってもらおうとしたのだ」

そうか、私はずっと守られていたんだ。

強くなるため、優しくなるために。

ずっとお姉様に嫌われていると思っていた。

空も飛べない黒い羽。

王族の人間なのに誰も守れないそんな弱い私を。

「おまえは私の大切な妹だ」

いままでの苦しみを消し去るようなものすごくあったかい言葉に息ができないほど滂沱(ぼうだ)した。

泪で目が腫れたまま食事を終え、口を拭ったお母様がお姉様に、

「リリィ、そろそろあなたにこの国を任せたいと思うのだけど」

突然のお願いに驚きを隠せない様子のお姉様。

一瞬瞳孔が開いたすぐ後、表情を戻し、

「お言葉ですが母上、私にはまだ早いかと」

「フランツが亡くなってからというもの、差別や迫害を無くし平等な国づくりをしようとしてきたけど、それにはトップが変わる必要があるわ。どこか私にはフランツの面影があるみたいだし。それにもういい歳だから。これからの時代はあなたのような若くて強い人が導いていくべきよ」

お父様が国を統治してきた時代よりも平等への道は進んでいる。

それでも暴動や差別がすべてなくなるわけじゃない。

いまだに西側の人たちはお母様やウィブラン人を恨んでいる。

ハロルドの横暴、コルベインによる陰謀、西側でのジェレミーの謀反とロベールの死。

短い間にいろいろあったことでお母様自身もかなり疲弊しているはず。

「しばらくはサポートするから、あなたの目指す国を国民たちに掲げるといいわ」

少しの沈黙の後、お姉様がゆっくりと口を開く。

「わかりました」

「ありがとう。来週には継承式を開くから準備しておいてちょうだい」

肩の力がすぅーっと抜けたのか、大きく背伸びしながら、

「これで気兼ねなくフィアットと旅行に行けるわ」
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