幽霊巫女の噂
蛇帯
1
顔、顔、顔。顔がいっぱいあるなぁ。
祖母の葬式当日、親族席から彼女のために集まった人々を見て、孫である新條涼佑はそんなことを考えていた。普通、人が死んだら悲しむべきなのだろう。しかし、彼の祖母は夫である祖父には先立たれていたが、娘、息子、孫達に恵まれ、最期は病院のベッドの中で皆に囲まれて逝くことができた。丁度、九十歳の卒寿まで生きられたのは幸せだったろうと、涼佑の母が言っていた。
母の言ったことに涼佑は言葉にはしなかったが、同意していた。だからだろうか、やって来るお客が涙を浮かべているのを見るのは、何だか少し変な気分がしていた。身内は祖母の人生を思って納得しているのに、この人達は違うのだろうかと考えてしまう。どうせ送るなら、泣き顔じゃなくて笑顔で送った方が良いと思うんだけどな、とどこか不思議な、他人事のような心地だった。
焼香を上げるお客の中には、よく知っている制服の少女がいた。涼佑が通っている学校、八野坂第一高校の制服を着ている女子生徒だ。顔に見覚えは無いので、おそらくクラスメートではない。こういった時に引率を務める教師の姿が見えないことから、あの子一人で来たのかなと思い、涼佑は何気なく見つめていた。他の客と同じように焼香を上げる少し前、親族席に礼をする時、涼佑はなんとなくその少女と目が合ったような気がした。
「え?」
直感で何かを訴えているようにも見え、何かを決意したようにも見えた。その目に何か引っかかるものを感じた涼佑はあの子と何かあったっけ? と記憶を探ってみたが、特に思い当たることは無く、よく分からなかった。一体何だろうと彼が考えている間にも少女は普通に焼香を上げる。しかし、戻る時にも視線は変わらず涼佑をじっと見ていて、彼は落ち着かなかった。
「お兄ちゃん、あの人、絶対お兄ちゃんに気があるよ」
昼食の時間になり、葬祭場から振る舞われた洋食のビュッフェを食べていると、涼佑の隣席にいる妹のみきがちょっとにやにやしながらそんなことを言ってきた。訝しげに眉を寄せる涼佑とそれを聞き逃さなかった姉の怜子が、背後から彼の頭へ肘鉄してきた。地味に痛い。
「なんだよ、涼ちゃんてばぁ。スミに置けない奴めぇ~」
最近、ボクシングジムで体を鍛えるのにハマり出した社会人の肘は、年々力強くなっているような気がする。拳じゃないだけまだ彼女の良心を感じるが、横から米神と同じところを正確にぐりぐりするのは止めて欲しいと涼佑は訴えた。そろそろ本当に痛くなってきたというのもある。
「やめてよ」
「はは、ごめんごめん」
口では謝っているが、絶対悪いと思っていない。弟をからかうのに満足すると、怜子は二回目の分をよそいに、いそいそと背後にあるテーブルに向かった。野菜尽くしの次は肉尽くしにするのだろうなと、姉の行動は読めている。
「で、お兄ちゃん。どうすんの?」
突然、みきがよく分からないことを言ってきた。正確には質問の意図がよく分からない。
「は? なに、どうするって」
「だからぁ、さっきの子が告白してきたら」
「なんでわざわざ葬式ある日に告白してくんだよ。よく知らないし、無いわ」
「えー? 無いのぉ? 付き合っちゃえばいいのに」
そんな自販機でジュース選ぶノリで付き合えるか、と涼佑は心の中で突っ込む。初めて付き合うなら、大事にしたいし、本当にお互いに大事にできる人が良いとは思う彼だが、まず本当に付き合えるのかは自信が無い。幼い頃から涼佑には不思議とそういった興味が殆ど無かった。性別に拘わらず、友情は感じても愛情を感じたことは無い。家族にも言っていない。言ったところで、ただ悲しませるだけだからだ。
みきは不満そうに唇を尖らせて食事を再開する。自分なんかより、みきの方が恋愛においては将来有望だ。よし、新条家の未来はこいつに任せよう。そんなことを考えながら、涼佑も皿に残った硬い肉の切れ端を箸で摘んで口へ運ぼうとした。
ふと、刺さるような視線を感じた。そちらを見ると、出入口のドアが開け放たれていて、通路が見える。丁度出入口の真ん中辺りに立って、さっきの少女がこっちを見つめていた。目が合っても別に近寄って来る訳でもなく、愛想笑いを浮かべるでもなく、どこか沈んだ表情でただじっと見つめてくる姿は、はっきり言って気味が悪かった。失礼だとは思った涼佑だが、その姿はまるで幽霊みたいだ。みきも彼女に気が付くと、彼女はさっさとその場から立ち去ってしまった。
「何か用あったのかな?」
首を傾げるみきの呑気な問いに涼佑は「さあ」としか答えようが無かった。
昼休憩の後にも式は粛々と行われ、夕方頃にクラスメイト達と担任の先生も来てくれた。その中には幼馴染の岡島直樹の姿もある。いつもなら、軽いノリでお互いに挨拶するけど、今日はそうもいかない。ここで「学校休めて勝ち組かよ」なんて言われた日には大顰蹙を買うことになる。そもそも直樹はそんな非常識なことを言うタイプではないが。彼は焼香を上げ終わると、どこか神妙な顔つきで涼佑に近付いて立ち話をする体勢に入る。
「なんか、その、あれだな。こういう時はあれだっけ。ご愁傷サマって言うんだっけ?」
「うん。でも、うちのばあちゃんに限ってはそんなに悲しい最期でもなかったから、ちょっと変な感じ」
「何言ってんだよ。人が死んだら、悲しいだろ。誰でもさ」
涼佑の祖母の遺影を見つめる直樹の目には薄ら涙が滲んでいた。彼のこういった感情を素直に表すところに涼佑は好感を抱いていたが、実際に祖母を亡くした涼佑より涙ぐまれるとそれはそれで少々複雑な気分になる。それとも、自分が冷たいのかなと涼佑は直樹を見て思った。
ちょっと自分の情緒に自信を失くしながらも、涼佑も祖母の遺影を見つめた。満面の笑顔。亡くなる前日に何故かみきが撮ろうと言い出して、病室で撮った最後の一枚だ。幸せだった、んだよなと心の中で問うてみる。だが、もう何も答えてはくれなかった。
順番に焼香を上げて、最後に担任教師の松井が焼香を上げ終わり、こちらに近付いてくる。涼佑は直樹と一緒に松井へぺこりと頭を下げた。すぐ近くで祖母の友人達と話していた母も早々に話を切り上げて「今日はありがとうございました」と互いに頭を下げた。
「この度はご愁傷様です」
「いえ、わざわざご足労頂き、ありがとうございます。先生」
「新條。まぁ、そう気を落とさずに、これからまた忙しくなると思うが、何かあったらいつでも相談に乗るぞ」
「……はい。ありがとうございます、先生」
実際、祖母の死は納得のいくことだったので、そんなに精神的には重荷に感じていなかった涼佑だが、あまりそういったことを言って母や松井を困らせたくはなかったので、言いたいことは全て飲み込んだ。『相談』という単語に、そういえばと昼食の時に見た少女のことを思い出した涼佑は、松井に訊いてみようと口を開いた。
「あ、そういえば、先生」
「なんだ?」
「先生達よりずっと早く来た子がいたんですけど、名前分かりますか? うちの制服着てた女子なんですけど、髪が顎くらいまでしか無くて、背が小さくてちょっと内気……っていうか、挙動不審な感じの子なんですけど」
「俺達より早く来てた子? う~ん……ちょっと思い付かないな」
「可愛かった?」
「お前なぁ……」
透かさず顔の造作を訊いてくる辺り、直樹は抜け目ない。特に女子のこととなると尚更だった。注意しても引き下がらない直樹に、涼佑は呆れながらも「まぁ、可愛かったんじゃないか? よく分からないけど」と返す。暫し考えた後、直樹は思い出したように「あ」と声を上げる。
「その子だったら、あれだ。隣のクラスの樺倉望。大人しくてあんまり喋る方じゃないけど、顔は結構可愛いから覚えてる」
まさかこんなところで直樹のスケベ心が役に立つなんて思っていなかった涼佑だったが、隣のクラスの子だったのかと納得できた。なら、自分が知らないのも無理は無いなと思うと同時に、何故隣のクラスの、それも面識も無い子が? と思わずにはいられなかった。
祖母の葬式当日、親族席から彼女のために集まった人々を見て、孫である新條涼佑はそんなことを考えていた。普通、人が死んだら悲しむべきなのだろう。しかし、彼の祖母は夫である祖父には先立たれていたが、娘、息子、孫達に恵まれ、最期は病院のベッドの中で皆に囲まれて逝くことができた。丁度、九十歳の卒寿まで生きられたのは幸せだったろうと、涼佑の母が言っていた。
母の言ったことに涼佑は言葉にはしなかったが、同意していた。だからだろうか、やって来るお客が涙を浮かべているのを見るのは、何だか少し変な気分がしていた。身内は祖母の人生を思って納得しているのに、この人達は違うのだろうかと考えてしまう。どうせ送るなら、泣き顔じゃなくて笑顔で送った方が良いと思うんだけどな、とどこか不思議な、他人事のような心地だった。
焼香を上げるお客の中には、よく知っている制服の少女がいた。涼佑が通っている学校、八野坂第一高校の制服を着ている女子生徒だ。顔に見覚えは無いので、おそらくクラスメートではない。こういった時に引率を務める教師の姿が見えないことから、あの子一人で来たのかなと思い、涼佑は何気なく見つめていた。他の客と同じように焼香を上げる少し前、親族席に礼をする時、涼佑はなんとなくその少女と目が合ったような気がした。
「え?」
直感で何かを訴えているようにも見え、何かを決意したようにも見えた。その目に何か引っかかるものを感じた涼佑はあの子と何かあったっけ? と記憶を探ってみたが、特に思い当たることは無く、よく分からなかった。一体何だろうと彼が考えている間にも少女は普通に焼香を上げる。しかし、戻る時にも視線は変わらず涼佑をじっと見ていて、彼は落ち着かなかった。
「お兄ちゃん、あの人、絶対お兄ちゃんに気があるよ」
昼食の時間になり、葬祭場から振る舞われた洋食のビュッフェを食べていると、涼佑の隣席にいる妹のみきがちょっとにやにやしながらそんなことを言ってきた。訝しげに眉を寄せる涼佑とそれを聞き逃さなかった姉の怜子が、背後から彼の頭へ肘鉄してきた。地味に痛い。
「なんだよ、涼ちゃんてばぁ。スミに置けない奴めぇ~」
最近、ボクシングジムで体を鍛えるのにハマり出した社会人の肘は、年々力強くなっているような気がする。拳じゃないだけまだ彼女の良心を感じるが、横から米神と同じところを正確にぐりぐりするのは止めて欲しいと涼佑は訴えた。そろそろ本当に痛くなってきたというのもある。
「やめてよ」
「はは、ごめんごめん」
口では謝っているが、絶対悪いと思っていない。弟をからかうのに満足すると、怜子は二回目の分をよそいに、いそいそと背後にあるテーブルに向かった。野菜尽くしの次は肉尽くしにするのだろうなと、姉の行動は読めている。
「で、お兄ちゃん。どうすんの?」
突然、みきがよく分からないことを言ってきた。正確には質問の意図がよく分からない。
「は? なに、どうするって」
「だからぁ、さっきの子が告白してきたら」
「なんでわざわざ葬式ある日に告白してくんだよ。よく知らないし、無いわ」
「えー? 無いのぉ? 付き合っちゃえばいいのに」
そんな自販機でジュース選ぶノリで付き合えるか、と涼佑は心の中で突っ込む。初めて付き合うなら、大事にしたいし、本当にお互いに大事にできる人が良いとは思う彼だが、まず本当に付き合えるのかは自信が無い。幼い頃から涼佑には不思議とそういった興味が殆ど無かった。性別に拘わらず、友情は感じても愛情を感じたことは無い。家族にも言っていない。言ったところで、ただ悲しませるだけだからだ。
みきは不満そうに唇を尖らせて食事を再開する。自分なんかより、みきの方が恋愛においては将来有望だ。よし、新条家の未来はこいつに任せよう。そんなことを考えながら、涼佑も皿に残った硬い肉の切れ端を箸で摘んで口へ運ぼうとした。
ふと、刺さるような視線を感じた。そちらを見ると、出入口のドアが開け放たれていて、通路が見える。丁度出入口の真ん中辺りに立って、さっきの少女がこっちを見つめていた。目が合っても別に近寄って来る訳でもなく、愛想笑いを浮かべるでもなく、どこか沈んだ表情でただじっと見つめてくる姿は、はっきり言って気味が悪かった。失礼だとは思った涼佑だが、その姿はまるで幽霊みたいだ。みきも彼女に気が付くと、彼女はさっさとその場から立ち去ってしまった。
「何か用あったのかな?」
首を傾げるみきの呑気な問いに涼佑は「さあ」としか答えようが無かった。
昼休憩の後にも式は粛々と行われ、夕方頃にクラスメイト達と担任の先生も来てくれた。その中には幼馴染の岡島直樹の姿もある。いつもなら、軽いノリでお互いに挨拶するけど、今日はそうもいかない。ここで「学校休めて勝ち組かよ」なんて言われた日には大顰蹙を買うことになる。そもそも直樹はそんな非常識なことを言うタイプではないが。彼は焼香を上げ終わると、どこか神妙な顔つきで涼佑に近付いて立ち話をする体勢に入る。
「なんか、その、あれだな。こういう時はあれだっけ。ご愁傷サマって言うんだっけ?」
「うん。でも、うちのばあちゃんに限ってはそんなに悲しい最期でもなかったから、ちょっと変な感じ」
「何言ってんだよ。人が死んだら、悲しいだろ。誰でもさ」
涼佑の祖母の遺影を見つめる直樹の目には薄ら涙が滲んでいた。彼のこういった感情を素直に表すところに涼佑は好感を抱いていたが、実際に祖母を亡くした涼佑より涙ぐまれるとそれはそれで少々複雑な気分になる。それとも、自分が冷たいのかなと涼佑は直樹を見て思った。
ちょっと自分の情緒に自信を失くしながらも、涼佑も祖母の遺影を見つめた。満面の笑顔。亡くなる前日に何故かみきが撮ろうと言い出して、病室で撮った最後の一枚だ。幸せだった、んだよなと心の中で問うてみる。だが、もう何も答えてはくれなかった。
順番に焼香を上げて、最後に担任教師の松井が焼香を上げ終わり、こちらに近付いてくる。涼佑は直樹と一緒に松井へぺこりと頭を下げた。すぐ近くで祖母の友人達と話していた母も早々に話を切り上げて「今日はありがとうございました」と互いに頭を下げた。
「この度はご愁傷様です」
「いえ、わざわざご足労頂き、ありがとうございます。先生」
「新條。まぁ、そう気を落とさずに、これからまた忙しくなると思うが、何かあったらいつでも相談に乗るぞ」
「……はい。ありがとうございます、先生」
実際、祖母の死は納得のいくことだったので、そんなに精神的には重荷に感じていなかった涼佑だが、あまりそういったことを言って母や松井を困らせたくはなかったので、言いたいことは全て飲み込んだ。『相談』という単語に、そういえばと昼食の時に見た少女のことを思い出した涼佑は、松井に訊いてみようと口を開いた。
「あ、そういえば、先生」
「なんだ?」
「先生達よりずっと早く来た子がいたんですけど、名前分かりますか? うちの制服着てた女子なんですけど、髪が顎くらいまでしか無くて、背が小さくてちょっと内気……っていうか、挙動不審な感じの子なんですけど」
「俺達より早く来てた子? う~ん……ちょっと思い付かないな」
「可愛かった?」
「お前なぁ……」
透かさず顔の造作を訊いてくる辺り、直樹は抜け目ない。特に女子のこととなると尚更だった。注意しても引き下がらない直樹に、涼佑は呆れながらも「まぁ、可愛かったんじゃないか? よく分からないけど」と返す。暫し考えた後、直樹は思い出したように「あ」と声を上げる。
「その子だったら、あれだ。隣のクラスの樺倉望。大人しくてあんまり喋る方じゃないけど、顔は結構可愛いから覚えてる」
まさかこんなところで直樹のスケベ心が役に立つなんて思っていなかった涼佑だったが、隣のクラスの子だったのかと納得できた。なら、自分が知らないのも無理は無いなと思うと同時に、何故隣のクラスの、それも面識も無い子が? と思わずにはいられなかった。
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