幽霊巫女の噂
9
カーテンが開けられると同時に窓ガラスにどんっ、とまた何かがぶつかった。正体を確かめておこうと真奈美はじっと窓の向こうを凝視する。流石に窓を開けるようなことはしないと心に誓っている彼女だが、興味は大いにある。
何かがぶつかった後にはほんの少しだが、血の跡のような物が付着している。それにぞっと背筋を凍らせながらも、真奈美は夜闇の向こうまで見通そうと窓に近付いた。外からは月光が差し込み、反射しているせいで窓ガラスには真奈美の顔が映っており、その向こうはよく見えない。部屋の電気を消した方がまだもう少し見えるかもしれないと、彼女は咄嗟に部屋の電気を消す。月の光だけが差し込む薄闇の中、窓を見つめる彼女の目の前にどんっ、と白い塊がぶつかって来た。べちゃり、と窓ガラスに大きな範囲で血が付く。
それはやはり、真奈美の思っていた通りの姿でベランダに転がっていた。四肢も首も無い、真っ赤な切断面や青白い体をまるで八つ当たりのようにぶつけてくる。その様と間近で大きな打音が鳴ったことにより「わっ」とあまり驚いていない声を上げ、真奈美は思わず身を引いた。咄嗟にスマホで写真を撮り、しげしげと眺める。そこで彼女はあることに気が付いた。
「あれ? 手と足、付いてない……」
そうなのだ。夕方に遭遇した時とは打って変わって、今、彼女の部屋に来ている『鹿島さん』にはあの歪な右腕と左足が付いていない。何故だろうと考えてみるも、流石に彼女でも分からない。この現象は彼女の知識上ではなく、何だか『鹿島さん』の感情が元になっているような気がした。
「何か意味を考えるとしたら、『警告』、かなぁ」
「必ずお前の首を取りに行くぞ」今までの『鹿島さん』に関する噂話から鑑みると、真奈美にはそういった警告とも取れるのだ。証拠としてもう一枚写真を撮り、自分が思ったことと感じたことをスマホのメモ帳に打ち込んでから、真奈美はカーテンを閉め、盛り塩の状態を確認する。盛った時と変わりなく、真っ白なとんがり帽子のままだ。ベランダの窓では未だにどんどんと『鹿島さん』がぶつかって来ているが、気にしなければ大丈夫そうだと思った真奈美は、そのまま部屋の電気を消してから寝ることにした。窓にぶつかる音だけが煩いが、スマホに繋いだイヤフォンを耳に付けて安眠用の動画を流せばあまり気にならない。ガタンガタンと耳元に届く夜行列車の走行音に聞き入っているうちに、いつの間にか真奈美は眠っていた。
翌日、いつもより早く起きた真奈美は、制服に着替える前に早速部屋の四隅に置いておいた盛り塩の様子を見てみる。素人が作った即席の結界だが、一晩は保ったらしい。昨日の夜と変わらないとんがり帽子が小皿の上にちょこんと載っていた。あまり続けてもただのちょうはつになると思い、真奈美は家族が起きてこないうちに塩と小皿を洗い、自室へ戻った。
いつものように制服に着替え、通学鞄の中に今日の分の教材と筆記用具、宿題を入れて放課後の作戦への気合いを入れる為、お気に入りの靴下を出してくる。ギリギリ校則に引っかからない程度に猫のワンポイント刺繍がしてある紺色のハイソックスだ。まだ一年生だった頃、絢と友香里の三人でお揃いで買ったものだ。真奈美はサバトラ、絢はハチワレ、友香里は三毛猫の刺繍が入っている物を選んだのだ。真奈美達の通う八野坂第一高校は、あまり目立たない刺繍なら、お目こぼしを頂ける良い意味で緩い学校だから他の女子達も助かっている面がある。サバトラハイソックスを履き、階下へ下りて鞄を自分の席に置いた真奈美はそのまま洗面所へ向かう。歯磨きと身だしなみを整える為だ。
歯磨きと洗顔を済ませ、一通りのスキンケアをした後はブラシで長い髪を梳いて、少し邪魔な前髪を青い蝶々ピンで留める。最近、もちもちな肌触りになってきたので、それを確かめるように真奈美は自分の頬を両手でもちもちと揉んだり持ち上げたりして感触を楽しんだ。これが案外と楽しい。そうして、いくらかもちもちして満足した彼女は、何食わぬ顔でリビングへ戻った。
リビングに戻ると既に朝食が出来ており、真奈美はいつもながら早業だなと感心する。台所では起きてきたばかりの母の姿があり、ボサボサの髪をそのままにパジャマ姿でコーヒーを飲んでいた。
「おはよ、真奈美」
「おはよう、お母さん。ご飯、ありがと」
「ん。ちゃまオレ飲む?」
「飲みたい」
青谷家では真奈美用に砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを母が茶化して「ちゃまオレ」と呼ぶ。彼女曰く「こんなんカフェオレじゃなくて、ちゃまオレだわ」と言える程、コーヒーというものが入っていない。未成年にあまりコーヒーを飲ませる訳にはいかないという理由もあるにはあるが、真奈美が苦いものが苦手ということもある。母からちゃまオレを受け取り、真奈美は自分の席に用意されている朝食に手を付ける。
彼女は朝はあまり食べられないので、トーストとハムエッグにちゃまオレくらいしか食べない。絢は毎朝ご飯に味噌汁にほうれん草のおひたしや焼き鮭等のおかずを三品食べてくるというから、それに比べたら少ない方だろう。以前、「毎朝お母さん、大変じゃない?」と訊いたら、「うん。だから、自分で食べる分は自分で作ってる」と返ってきた時は素直に「偉いなぁ」と感心した真奈美だった。彼女は料理は好きだが、まだ絢のように自分で毎朝作るというところまでには達していない。どうしても、朝は頭も手足も鈍くて上手く動かせる自信が無いのだ。せいぜい朝の自分にできることといえば、皿洗いくらいなので、真奈美は食べ終わるといそいそと流しに食器を持って行って洗いに掛かった。
「続いて、次のニュースです」
テレビから朝のニュース番組の声が聞こえてくる。一瞬聞こえた『八野坂町』という単語に、真奈美は反射的にテレビへ視線を投げる。丁度、八野坂町で起きた殺人事件のニュースを女性キャスターが読み上げており、その現場を見て彼女は思わず、声を上げた。
「四件目だ……」
「え? なに?」
「な、何でも無いっ……」
母に独り言を拾われかけた真奈美は、咄嗟に首を振って否定する。親にはなるべく心配を掛けたくないと思った為だ。母には少々不審そうな目を向けられたが、何とか誤魔化せたと彼女は内心で安堵する。
テレビでは左腕を失った女性が救急搬送されたという内容が放送されていた。
その日の昼休み、晴れているのでまた中庭で昼食を摂っていた一同は、皆真奈美のスマホに入っている証拠写真に感心の声を上げる。直樹なんかは窓に付いた血の跡に顔を青くしていたが、今更そんなことに構う者はこの場にはいない。真奈美は昨日の夜に見たものを説明し、自分の考えもまとめて皆に話すと、巫女さんは納得したようだった。
「『警告』か……あるいは『予告』か」
「予告?」
訊き返す涼佑に巫女さんは丁寧に説明する。
「昨日の夕方、こいつは真奈美の首を取り逃がしたからな。「必ず取りに行くぞ」という『警告』にも見えるし、「近いうちに取りに行く」という『予告』にも見える。何にせよ、かなりの執着心を向けていることは事実だな」
「嫌なこと言うなよ、巫女さん」
「可能性の話をしてるだけだろ、私は」
「っていうか、また起こったよな。殺人事件」
直樹がおにぎりを頬張りつつ、スマホ画面を片手でフリックしながら言う。残念ながら朝のニュースを見ていなかった涼佑は、不思議そうに訊き返す。そんな彼に「ほら、これ。今朝のニュースでやってたっぽい」と直樹が全員に見えるようにスマホ画面を見せた。
何かがぶつかった後にはほんの少しだが、血の跡のような物が付着している。それにぞっと背筋を凍らせながらも、真奈美は夜闇の向こうまで見通そうと窓に近付いた。外からは月光が差し込み、反射しているせいで窓ガラスには真奈美の顔が映っており、その向こうはよく見えない。部屋の電気を消した方がまだもう少し見えるかもしれないと、彼女は咄嗟に部屋の電気を消す。月の光だけが差し込む薄闇の中、窓を見つめる彼女の目の前にどんっ、と白い塊がぶつかって来た。べちゃり、と窓ガラスに大きな範囲で血が付く。
それはやはり、真奈美の思っていた通りの姿でベランダに転がっていた。四肢も首も無い、真っ赤な切断面や青白い体をまるで八つ当たりのようにぶつけてくる。その様と間近で大きな打音が鳴ったことにより「わっ」とあまり驚いていない声を上げ、真奈美は思わず身を引いた。咄嗟にスマホで写真を撮り、しげしげと眺める。そこで彼女はあることに気が付いた。
「あれ? 手と足、付いてない……」
そうなのだ。夕方に遭遇した時とは打って変わって、今、彼女の部屋に来ている『鹿島さん』にはあの歪な右腕と左足が付いていない。何故だろうと考えてみるも、流石に彼女でも分からない。この現象は彼女の知識上ではなく、何だか『鹿島さん』の感情が元になっているような気がした。
「何か意味を考えるとしたら、『警告』、かなぁ」
「必ずお前の首を取りに行くぞ」今までの『鹿島さん』に関する噂話から鑑みると、真奈美にはそういった警告とも取れるのだ。証拠としてもう一枚写真を撮り、自分が思ったことと感じたことをスマホのメモ帳に打ち込んでから、真奈美はカーテンを閉め、盛り塩の状態を確認する。盛った時と変わりなく、真っ白なとんがり帽子のままだ。ベランダの窓では未だにどんどんと『鹿島さん』がぶつかって来ているが、気にしなければ大丈夫そうだと思った真奈美は、そのまま部屋の電気を消してから寝ることにした。窓にぶつかる音だけが煩いが、スマホに繋いだイヤフォンを耳に付けて安眠用の動画を流せばあまり気にならない。ガタンガタンと耳元に届く夜行列車の走行音に聞き入っているうちに、いつの間にか真奈美は眠っていた。
翌日、いつもより早く起きた真奈美は、制服に着替える前に早速部屋の四隅に置いておいた盛り塩の様子を見てみる。素人が作った即席の結界だが、一晩は保ったらしい。昨日の夜と変わらないとんがり帽子が小皿の上にちょこんと載っていた。あまり続けてもただのちょうはつになると思い、真奈美は家族が起きてこないうちに塩と小皿を洗い、自室へ戻った。
いつものように制服に着替え、通学鞄の中に今日の分の教材と筆記用具、宿題を入れて放課後の作戦への気合いを入れる為、お気に入りの靴下を出してくる。ギリギリ校則に引っかからない程度に猫のワンポイント刺繍がしてある紺色のハイソックスだ。まだ一年生だった頃、絢と友香里の三人でお揃いで買ったものだ。真奈美はサバトラ、絢はハチワレ、友香里は三毛猫の刺繍が入っている物を選んだのだ。真奈美達の通う八野坂第一高校は、あまり目立たない刺繍なら、お目こぼしを頂ける良い意味で緩い学校だから他の女子達も助かっている面がある。サバトラハイソックスを履き、階下へ下りて鞄を自分の席に置いた真奈美はそのまま洗面所へ向かう。歯磨きと身だしなみを整える為だ。
歯磨きと洗顔を済ませ、一通りのスキンケアをした後はブラシで長い髪を梳いて、少し邪魔な前髪を青い蝶々ピンで留める。最近、もちもちな肌触りになってきたので、それを確かめるように真奈美は自分の頬を両手でもちもちと揉んだり持ち上げたりして感触を楽しんだ。これが案外と楽しい。そうして、いくらかもちもちして満足した彼女は、何食わぬ顔でリビングへ戻った。
リビングに戻ると既に朝食が出来ており、真奈美はいつもながら早業だなと感心する。台所では起きてきたばかりの母の姿があり、ボサボサの髪をそのままにパジャマ姿でコーヒーを飲んでいた。
「おはよ、真奈美」
「おはよう、お母さん。ご飯、ありがと」
「ん。ちゃまオレ飲む?」
「飲みたい」
青谷家では真奈美用に砂糖とミルクたっぷりのコーヒーを母が茶化して「ちゃまオレ」と呼ぶ。彼女曰く「こんなんカフェオレじゃなくて、ちゃまオレだわ」と言える程、コーヒーというものが入っていない。未成年にあまりコーヒーを飲ませる訳にはいかないという理由もあるにはあるが、真奈美が苦いものが苦手ということもある。母からちゃまオレを受け取り、真奈美は自分の席に用意されている朝食に手を付ける。
彼女は朝はあまり食べられないので、トーストとハムエッグにちゃまオレくらいしか食べない。絢は毎朝ご飯に味噌汁にほうれん草のおひたしや焼き鮭等のおかずを三品食べてくるというから、それに比べたら少ない方だろう。以前、「毎朝お母さん、大変じゃない?」と訊いたら、「うん。だから、自分で食べる分は自分で作ってる」と返ってきた時は素直に「偉いなぁ」と感心した真奈美だった。彼女は料理は好きだが、まだ絢のように自分で毎朝作るというところまでには達していない。どうしても、朝は頭も手足も鈍くて上手く動かせる自信が無いのだ。せいぜい朝の自分にできることといえば、皿洗いくらいなので、真奈美は食べ終わるといそいそと流しに食器を持って行って洗いに掛かった。
「続いて、次のニュースです」
テレビから朝のニュース番組の声が聞こえてくる。一瞬聞こえた『八野坂町』という単語に、真奈美は反射的にテレビへ視線を投げる。丁度、八野坂町で起きた殺人事件のニュースを女性キャスターが読み上げており、その現場を見て彼女は思わず、声を上げた。
「四件目だ……」
「え? なに?」
「な、何でも無いっ……」
母に独り言を拾われかけた真奈美は、咄嗟に首を振って否定する。親にはなるべく心配を掛けたくないと思った為だ。母には少々不審そうな目を向けられたが、何とか誤魔化せたと彼女は内心で安堵する。
テレビでは左腕を失った女性が救急搬送されたという内容が放送されていた。
その日の昼休み、晴れているのでまた中庭で昼食を摂っていた一同は、皆真奈美のスマホに入っている証拠写真に感心の声を上げる。直樹なんかは窓に付いた血の跡に顔を青くしていたが、今更そんなことに構う者はこの場にはいない。真奈美は昨日の夜に見たものを説明し、自分の考えもまとめて皆に話すと、巫女さんは納得したようだった。
「『警告』か……あるいは『予告』か」
「予告?」
訊き返す涼佑に巫女さんは丁寧に説明する。
「昨日の夕方、こいつは真奈美の首を取り逃がしたからな。「必ず取りに行くぞ」という『警告』にも見えるし、「近いうちに取りに行く」という『予告』にも見える。何にせよ、かなりの執着心を向けていることは事実だな」
「嫌なこと言うなよ、巫女さん」
「可能性の話をしてるだけだろ、私は」
「っていうか、また起こったよな。殺人事件」
直樹がおにぎりを頬張りつつ、スマホ画面を片手でフリックしながら言う。残念ながら朝のニュースを見ていなかった涼佑は、不思議そうに訊き返す。そんな彼に「ほら、これ。今朝のニュースでやってたっぽい」と直樹が全員に見えるようにスマホ画面を見せた。