幽霊巫女の噂
7
涼佑達とは反対方向へ進んで来た真奈美達は、暫く道なりに歩いて行く。こちらももし、村人がいたら話を聞きたいと思っていると、前方から歩いて来る人影に思わず、足を止めた。警戒し、真奈美達より一歩前に出て、いつでも抜けるよう刀を掴む巫女さん。薄らと霧がかっている中、畦道を後ろに手を組んだままゆっくりと歩いて来たのは、一人の老婆だった。野良仕事をしていたのか、野良着姿でやや俯いている。その無害そうな気配から、敵意は無いと判断した巫女さんは刀を抜くことは無かったが、道幅が狭いせいでどうしてもあの老婆と近い距離ですれ違わなければならない。老婆とはまだいくらか距離があるうちに、彼女は小声で真奈美達に警告した。
「みんな。あれとすれ違う時、絶対に反応するな。見えていない振りをしろ」
「どうして? 巫女さん。ただのおばあさんじゃない」
「ここが夢の世界である以上、どこに何が仕掛けられているか分からない。――嫌なものを見る可能性だって充分あるんだ」
暗に人が死ぬところを見るかもしれないと、それとなく口調と表情で示唆する巫女さんに、疑問を口にした絢は少し気圧され、「わ、分かった」と素直に従おうと頷いた。手を繋いでいるみくにも、怖がらせないように絢が彼女と目線を合わせて、人差し指を唇の前で立てた。みくがそれを真似て理解したところで、一同は何事も無かったかのように近付いて来る老婆とすれ違おうとした。なるべく、皆老婆の方を見ないようにしていたが、掛けられた声に一同は思わず、振り向きそうになった。
「あら、みくちゃんじゃないの。こんにちは」
びくんっ、と真奈美達の肩が驚きで震える。普通に挨拶をされただけなら、振り向く気にはならなかっただろうが、この老婆はみくのことを知っている。何故、夢の中の登場人物でしかない老婆が現実の人間であるみくを知っているのか。全く分からないが、巫女さんに言われた通りに反応してはならないと、真奈美と友香里はそのまま進もうとするが、絢と手を繋いでいるみくは違った。名指しされたこともあって、つい老婆の方へ振り向こうと首を回すが、寸でのところで絢に手を引かれ、振り向くことは無かった。
「今日はお姉ちゃん達とお散歩? 良いわねえ。今日はお散歩日和だものねえ。そうしたら、帰りにおばちゃん家へ寄って行かないかい? 美味しいお菓子があるんだよ」
『お菓子』という子供のみくにとっては魅惑的な単語に、またもや彼女は振り向こうとしたが、今度は絢に振り向こうとした頭の動きを優しく止められる。思わず、絢の顔を見上げるみくに絢は無言で首を振った。その真剣な表情が少し怖く、みくは『お菓子』の誘惑を『怒られるかもしれない』という不安で振り払った。
それでも反応しない一同は、老婆から離れて行く。やがて、老婆は足を滑らせたか何かした音をさせて「あっ……」という声を最後に地面にどう、と倒れたようだった。倒れる、ということはと考えそうになった絢は、慌ててぶんぶんと頭を左右に振る。考えちゃダメだと自分に言い聞かせる。考えてしまえば、それは見たも同然だからだ。代わりに彼女は、最近発売されたコンビニスイーツのことを考えようとしたが、この作戦は上手く行かなかった。前を歩く真奈美と友香里、巫女さん。その後ろ姿から彼女達の表情は見えない。そんな単純なことが今の絢には少々不安に思えた。本当に彼女達は自分の知っている彼女達なのか、と。
老婆からだいぶ離れたところまで来ると、真奈美が巫女さんに尋ねた。
「ねぇ、巫女さん。私達、村の人から話を聞きたいんだけど、どうしてさっきはダメだったの?」
真奈美の質問に巫女さんは最初、答えようかどうしようかと少し難色を示していたが、みくに聞こえないよう真奈美達の方へ振り返って小声で話す。
「どうして、って。さっきはみくがいたからだろ。お前達、さっきの婆さんみたいな現象を子供に見せたいか?」
「え? 夢の中で人が死ぬくらい、普通じゃないの?」
きょとんと、いつも通り不思議そうな真奈美に、聞いていた友香里と巫女さんは互いに顔を見合わせ、二人共同時に真奈美に注目して思わず零した。
「え、こわ」
「真奈美。何か悩み事あったら、話聞くよ?」と努めて優しい笑顔を浮かべる友香里に、真奈美は「何故……?」と不本意極まりない顔をしている。夢占いにも少し手を出している真奈美だからこそ、そんな夢を見るのは普通だと思っているが、生憎、巫女さんも友香里もそちらの方面には詳しくない。その知識の差でこの場においては真奈美だけが少々浮いてしまうという悲しい結果を招いたのだった。そんな彼女を弁護するように、絢が二人に説明する。
「別に夢占いでは、真奈美の夢は普通だよ。むしろ、良い暗示の夢なんだよ」
「ん? そうなのか?」
「ええ? だって、人が死んじゃうんだよ? 良い夢、なの?」
意外そうに驚く二人に絢は頷き、もう少しだけ詳しく付け加える。
「普通に見る夢の中では、自分や家族、友達でも他人でも。誰かが死ぬ夢はそれまでの自分や周りの環境を捨てて生まれ変わる――所謂、再生とか新しい兆しを意味してるの」
「夢は直接的な表現を嫌うから」と解説してくれた絢に、巫女さんと友香里は「へぇ~」と感心の声を上げた。その様子に今度は絢が驚き、更に言わずにはいられない。
「いや、友香里はともかく、巫女さんはこういう話にも詳しいんじゃないの?」
「すまん。占いは霊的なものではなく、統計学だから、私は専門外でな」
「巫女なのに!? いや、夢占いは心理学です」
「じゃあ、益々知らん」
「んもぉーっ!」とやり場の無い感情を発する絢と「しょうがないだろ? 私だって万能じゃないんだから」と何故か開き直る巫女さん。そんな二人のやり取りを見て笑う友香里に「何笑ってんのよ!」と絢が突っかかる。三人が纏う気の抜けた空気にいくらか緊張が解けたみくが、近くにいた真奈美に「夢占いってなぁに?」と訊く。あまり子供慣れしてない様子の真奈美は「え」と戸惑ってどう説明しようか考えに考えた末、「う~ん……その、夢の内容を占う占いのこと……かな」と却ってよく分からなくなる説明をしていた。案の定、みくは不思議そうに首を傾げている。そんな二人を置いて、巫女さんは話を続けた。
「みくが近くにいるうちは村人から情報収集するのは控えてくれ。場合によっては私一人で情報収集した方がお前達の心を守れる」
「ここではなるべく自分の身と心を守ることを優先しろ」と言う巫女さんに、皆は少し戸惑うように顔を見合わせる。彼女の口振りは、まるで以前にもこういった、人が死ぬような状況に陥ったことがあるかのようなもので、どこか手慣れた響きを持っている。そんな雰囲気から彼女の過去を少しだけ知りたいと真奈美達は好奇心が働く。そこで彼女達の好奇心代表として、おずおずと絢が挙手して質問した。
「あの、巫女さん。巫女さんは今までああいう光景を……その、見てきた、ってこと……?」
気を遣って言葉を濁しつつ、彼女の反応と過去の片鱗を感じようとしている絢達に、巫女さんは感情の読めない無表情で、ただぽつりと言った。
「――そう多くは無いがな」
「多くは無いが、決して無い訳でも無い」そうとも取れる発言とごく真剣な眼差しに、興味本位で訊いた真奈美達はそれ以上、踏み込むことは許されないのだと感じていた。三人が踏み止まったと判断した巫女さんは、纏う空気をいくらか柔らかくして「ほら、行くぞ」と村の奥へと皆を導くのだった。
「みんな。あれとすれ違う時、絶対に反応するな。見えていない振りをしろ」
「どうして? 巫女さん。ただのおばあさんじゃない」
「ここが夢の世界である以上、どこに何が仕掛けられているか分からない。――嫌なものを見る可能性だって充分あるんだ」
暗に人が死ぬところを見るかもしれないと、それとなく口調と表情で示唆する巫女さんに、疑問を口にした絢は少し気圧され、「わ、分かった」と素直に従おうと頷いた。手を繋いでいるみくにも、怖がらせないように絢が彼女と目線を合わせて、人差し指を唇の前で立てた。みくがそれを真似て理解したところで、一同は何事も無かったかのように近付いて来る老婆とすれ違おうとした。なるべく、皆老婆の方を見ないようにしていたが、掛けられた声に一同は思わず、振り向きそうになった。
「あら、みくちゃんじゃないの。こんにちは」
びくんっ、と真奈美達の肩が驚きで震える。普通に挨拶をされただけなら、振り向く気にはならなかっただろうが、この老婆はみくのことを知っている。何故、夢の中の登場人物でしかない老婆が現実の人間であるみくを知っているのか。全く分からないが、巫女さんに言われた通りに反応してはならないと、真奈美と友香里はそのまま進もうとするが、絢と手を繋いでいるみくは違った。名指しされたこともあって、つい老婆の方へ振り向こうと首を回すが、寸でのところで絢に手を引かれ、振り向くことは無かった。
「今日はお姉ちゃん達とお散歩? 良いわねえ。今日はお散歩日和だものねえ。そうしたら、帰りにおばちゃん家へ寄って行かないかい? 美味しいお菓子があるんだよ」
『お菓子』という子供のみくにとっては魅惑的な単語に、またもや彼女は振り向こうとしたが、今度は絢に振り向こうとした頭の動きを優しく止められる。思わず、絢の顔を見上げるみくに絢は無言で首を振った。その真剣な表情が少し怖く、みくは『お菓子』の誘惑を『怒られるかもしれない』という不安で振り払った。
それでも反応しない一同は、老婆から離れて行く。やがて、老婆は足を滑らせたか何かした音をさせて「あっ……」という声を最後に地面にどう、と倒れたようだった。倒れる、ということはと考えそうになった絢は、慌ててぶんぶんと頭を左右に振る。考えちゃダメだと自分に言い聞かせる。考えてしまえば、それは見たも同然だからだ。代わりに彼女は、最近発売されたコンビニスイーツのことを考えようとしたが、この作戦は上手く行かなかった。前を歩く真奈美と友香里、巫女さん。その後ろ姿から彼女達の表情は見えない。そんな単純なことが今の絢には少々不安に思えた。本当に彼女達は自分の知っている彼女達なのか、と。
老婆からだいぶ離れたところまで来ると、真奈美が巫女さんに尋ねた。
「ねぇ、巫女さん。私達、村の人から話を聞きたいんだけど、どうしてさっきはダメだったの?」
真奈美の質問に巫女さんは最初、答えようかどうしようかと少し難色を示していたが、みくに聞こえないよう真奈美達の方へ振り返って小声で話す。
「どうして、って。さっきはみくがいたからだろ。お前達、さっきの婆さんみたいな現象を子供に見せたいか?」
「え? 夢の中で人が死ぬくらい、普通じゃないの?」
きょとんと、いつも通り不思議そうな真奈美に、聞いていた友香里と巫女さんは互いに顔を見合わせ、二人共同時に真奈美に注目して思わず零した。
「え、こわ」
「真奈美。何か悩み事あったら、話聞くよ?」と努めて優しい笑顔を浮かべる友香里に、真奈美は「何故……?」と不本意極まりない顔をしている。夢占いにも少し手を出している真奈美だからこそ、そんな夢を見るのは普通だと思っているが、生憎、巫女さんも友香里もそちらの方面には詳しくない。その知識の差でこの場においては真奈美だけが少々浮いてしまうという悲しい結果を招いたのだった。そんな彼女を弁護するように、絢が二人に説明する。
「別に夢占いでは、真奈美の夢は普通だよ。むしろ、良い暗示の夢なんだよ」
「ん? そうなのか?」
「ええ? だって、人が死んじゃうんだよ? 良い夢、なの?」
意外そうに驚く二人に絢は頷き、もう少しだけ詳しく付け加える。
「普通に見る夢の中では、自分や家族、友達でも他人でも。誰かが死ぬ夢はそれまでの自分や周りの環境を捨てて生まれ変わる――所謂、再生とか新しい兆しを意味してるの」
「夢は直接的な表現を嫌うから」と解説してくれた絢に、巫女さんと友香里は「へぇ~」と感心の声を上げた。その様子に今度は絢が驚き、更に言わずにはいられない。
「いや、友香里はともかく、巫女さんはこういう話にも詳しいんじゃないの?」
「すまん。占いは霊的なものではなく、統計学だから、私は専門外でな」
「巫女なのに!? いや、夢占いは心理学です」
「じゃあ、益々知らん」
「んもぉーっ!」とやり場の無い感情を発する絢と「しょうがないだろ? 私だって万能じゃないんだから」と何故か開き直る巫女さん。そんな二人のやり取りを見て笑う友香里に「何笑ってんのよ!」と絢が突っかかる。三人が纏う気の抜けた空気にいくらか緊張が解けたみくが、近くにいた真奈美に「夢占いってなぁに?」と訊く。あまり子供慣れしてない様子の真奈美は「え」と戸惑ってどう説明しようか考えに考えた末、「う~ん……その、夢の内容を占う占いのこと……かな」と却ってよく分からなくなる説明をしていた。案の定、みくは不思議そうに首を傾げている。そんな二人を置いて、巫女さんは話を続けた。
「みくが近くにいるうちは村人から情報収集するのは控えてくれ。場合によっては私一人で情報収集した方がお前達の心を守れる」
「ここではなるべく自分の身と心を守ることを優先しろ」と言う巫女さんに、皆は少し戸惑うように顔を見合わせる。彼女の口振りは、まるで以前にもこういった、人が死ぬような状況に陥ったことがあるかのようなもので、どこか手慣れた響きを持っている。そんな雰囲気から彼女の過去を少しだけ知りたいと真奈美達は好奇心が働く。そこで彼女達の好奇心代表として、おずおずと絢が挙手して質問した。
「あの、巫女さん。巫女さんは今までああいう光景を……その、見てきた、ってこと……?」
気を遣って言葉を濁しつつ、彼女の反応と過去の片鱗を感じようとしている絢達に、巫女さんは感情の読めない無表情で、ただぽつりと言った。
「――そう多くは無いがな」
「多くは無いが、決して無い訳でも無い」そうとも取れる発言とごく真剣な眼差しに、興味本位で訊いた真奈美達はそれ以上、踏み込むことは許されないのだと感じていた。三人が踏み止まったと判断した巫女さんは、纏う空気をいくらか柔らかくして「ほら、行くぞ」と村の奥へと皆を導くのだった。