幽霊巫女の噂
3
直樹の家は涼佑の家と近く、学校から橋を渡って、真っ直ぐの通りにある。実際に彼の家を見た涼佑以外の全員は、普段の直樹からはあまりイメージできない古風な日本家屋にただただ驚いていた。最初に驚愕の声を上げたのは、やはり絢だった。
「…………えっ!? なに? あいつこんな家に住んでたの!?」
「あいつって……」
驚きでつい素が出た絢だが、すぐ隣に夏神がいることに気付いて、慌てて取り繕う。もう遅い気もするが、夏神は何も気付かない振りをしてくれた。
「直樹ん家は親父さんがちょっと変わった人で、この家も元は旅館だった建物を直樹の親父さんが気に入って、そのまま使ってるんだよ」
言いながらインターホンを押す涼佑の説明に、女子三人と夏神は「へぇ?」と割と平坦な声を発した。やがて、すぐにインターホンのマイクが入るブツっという音が鳴り、中年女性の声が応える。直樹の母だ。
いつものように涼佑が名乗ると、直樹の母は「あ、涼佑くん!?」と少々慌てた様子で「入って入って」と逆に急かされた。家人の許しが出たので、涼佑達はそのまま門扉を開けて中へ入って行った。
庭、というより和風庭園と言った方が良い庭を突っ切り、真っ直ぐ涼佑は玄関へ向かう。既に直樹の母が開けてくれており、彼女は涼佑達の姿が見えると、「さあ、入って」と手招きした。
「お邪魔します」
「お、お邪魔します……」
迷いの無い涼佑や夏神に比べて、未だに直樹の家の衝撃が抜け切っていない女子達は恐る恐るといった様子で靴を脱ぐ。緊張している彼女達に気付いた直樹の母は「あらやだ」とおかしそうに笑った。
「そんなに緊張するような家じゃないのよ。自分ちだと思って楽にして」
「あ、えっ……はい」
そうは言っても、実際に家や庭は立派なものなので、三人娘の緊張は解れない。それを見てとった直樹の母は、この家が如何にして我が家になったのか。その経緯を説明した。
この家は直樹の父が気に入って買った中古物件で、元々日曜大工が好きだった彼が毎日少しずつ手を加えていったらしい。
「今はちゃんとした家に見えるけど、最初は……なかなかのもんよ」
最初の状態を思い出したのか、おかしそうにくすくす笑う直樹の母。そこで初めて緊張が解れた三人娘は、何だか少しほっとした。一度居間に通され、お茶とお菓子を出される。入る際、天井に張っている立派な梁に「ほわぁ……」と真奈美が妙な声を上げたが、思わず上げた声らしく、すぐに手で自らの口を塞いでいた。人数分の座布団に座り、直樹の母と向かい合わせの形で涼佑達は彼の様子はと訊いた。
「直樹ね……。……あの子、家の位置や自分の名前は覚えてるみたいなんだけど、何ていうか……」
何とも言葉に表しにくいようで、直樹の母は言葉を選びながら、ぽつぽつと語る。
「昨日の夜、帰って来た時……あの子、家族のことだけ忘れてるみたいで、帰って早々『なんだ、あんた達は!?』って言い出して、危うくうちの人と掴み合いのケンカになりそうになっちゃって……。これはおかしいってことで、慌てて病院に連れて行ったんだけど、記憶以外は異常なしって言われてね」
「全く、どうしちゃったのか……」と戸惑い、疲れている様子の彼女に、涼佑達は互いに顔を見合わせ、頷いた。互いに言いたいことはだいたい分かっているので、一同を代表して涼佑が申し出る。
「あの、直樹に直接会うことって、できますか?」
直樹の母に案内されて、涼佑達は直樹の部屋の前に来た。直樹の母がノックし、友達が来たと声を掛けると、そっと引き戸が少しだけ開けられた。隙間からタオルケットを頭から被った直樹が顔を覗かせ、弱々しく「あ、りがとう、ございます……」ととても肉親に対する態度では無い、よそよそしい礼を言った。その態度に叱る訳にもいかない直樹の母は、仕方ないと言うように肩をすくめて、「じゃあ、何かあったら、言うんだよ」とだけ言い残して、階下へ降りて行った。
怯えた目で自分の母を見送った直樹に涼佑が「入っても良いか?」と訊くと、直樹は少し考えた後「……はい」と了承した。あまり彼を刺激しないようにゆっくりと涼佑達は入る。涼佑も彼の部屋に入るのは初めてではないが、以前と比べてあまりの惨状に却って何も言えなかった。
家具は流石に倒れたりはしていなかったが、壁紙は所々無理矢理剥がされたり、漫画本やゲーム機は床に散乱しており、その中には故意に壊された物もある。他にも学校関連の物が棚から落とされたそのままで、その中にもいくつか壊された物があった。直樹はタオルケットを被ったままの姿ですごすごとベッドの上に座り、「あの人から聞きました」と畏まった口調で言った。
「あなた方は、おれの、と、友達だと……」
恐る恐るといった様子で紡がれた言葉に、涼佑達は頷いて肯定する。少しは記憶を取り戻してくれたのかと思った涼佑達だったが、そうではなかった。直樹は不安げな顔をして一同を見渡したが、やはり見覚えが無いような顔をしてぶつぶつと言い募る。
「おれ……おれ…………何も、なんにも覚えてなくて……友達のことも、家族のことも、ほんとにおれの家族なのかな、って思って……! そんなようも気がするけど、そうじゃない気もして……。怖いんです……! 自分が、自分がどこにいるのか分からないんです……っ! だから……」
「『外に出るのも怖い』?」
涼佑の問いにこくこくと直樹は首肯する。窓の外を見る目は怯え切っていた。
「知らない筈の町なのに、でも、この家はおれの家とは覚えている……。なのに、そこに住んでいる人達のことは全然分からなくて……! おれ、どうしたらいいんですか……?」
頭を抱え、恐怖で呼吸が荒くなっていく直樹の背中を涼佑が「落ち着け」と摩るも、落ち着くどころか、直樹はびくっと全身を震わせて「さっ、触らないでください……っ!!」と涼佑を強く拒絶した。いつもの直樹からは考えられない悲痛な声だった為、涼佑はそれ以上、触れることはできずに手を離した。尚も呼吸は乱れ、遂に直樹は不安と恐怖で押し潰されそうになり、「うわぁあああああああああっ!!」と叫び出した。悲鳴でも上げていないとどうにかなってしまいそうなのだろう。声を上げながら時折、周囲にある物を投げ、蹴り、「何なんだよぉっ!」と錯乱している。彼の部屋がこんな惨状なのは、これが原因かと涼佑達は合点がいった。
錯乱した直樹に怯え、早々に引き戸を開けて廊下に避難した真奈美達を見て、涼佑と夏神は取り敢えず、直樹を落ち着かせようと引き戸を閉めた。床に散らかっていた教科書を壁に向かって叩き付けようとしたその手を掴み、涼佑は「大丈夫だ、大丈夫だよ。直樹」と呼び掛ける。
「何が大丈夫なんだよっ!? おれは……おれはこんなに不安で、怖くて堪らないのに……!!」
「お前が!」
「ひっ……!?」
「お前が今怖いのは、記憶が無いからだろ? なら、それを取り戻せればもう怖くなくなる。オレが必ず、お前の記憶を取り戻す! 必ずだっ!」
がしっと直樹の両肩を掴んで涼佑がそう言い聞かせると、ひっくひっくと幼い子供のように嗚咽を漏らしていた直樹はその勢いに圧倒され、涙は止まったようだ。根拠は無いが、涼佑の言葉に勇気づけられた直樹は暫し呆然と目の前の涼佑を見つめていたが、「必ず記憶を取り戻す」という言葉がじん、と彼の中に染み込んでいった。力なく「うん」と頷いて、少し落ち着きを取り戻した直樹に安心して両肩を解放する涼佑。そんな彼を夏神はやや冷ややかな目で見つめていた。
「…………えっ!? なに? あいつこんな家に住んでたの!?」
「あいつって……」
驚きでつい素が出た絢だが、すぐ隣に夏神がいることに気付いて、慌てて取り繕う。もう遅い気もするが、夏神は何も気付かない振りをしてくれた。
「直樹ん家は親父さんがちょっと変わった人で、この家も元は旅館だった建物を直樹の親父さんが気に入って、そのまま使ってるんだよ」
言いながらインターホンを押す涼佑の説明に、女子三人と夏神は「へぇ?」と割と平坦な声を発した。やがて、すぐにインターホンのマイクが入るブツっという音が鳴り、中年女性の声が応える。直樹の母だ。
いつものように涼佑が名乗ると、直樹の母は「あ、涼佑くん!?」と少々慌てた様子で「入って入って」と逆に急かされた。家人の許しが出たので、涼佑達はそのまま門扉を開けて中へ入って行った。
庭、というより和風庭園と言った方が良い庭を突っ切り、真っ直ぐ涼佑は玄関へ向かう。既に直樹の母が開けてくれており、彼女は涼佑達の姿が見えると、「さあ、入って」と手招きした。
「お邪魔します」
「お、お邪魔します……」
迷いの無い涼佑や夏神に比べて、未だに直樹の家の衝撃が抜け切っていない女子達は恐る恐るといった様子で靴を脱ぐ。緊張している彼女達に気付いた直樹の母は「あらやだ」とおかしそうに笑った。
「そんなに緊張するような家じゃないのよ。自分ちだと思って楽にして」
「あ、えっ……はい」
そうは言っても、実際に家や庭は立派なものなので、三人娘の緊張は解れない。それを見てとった直樹の母は、この家が如何にして我が家になったのか。その経緯を説明した。
この家は直樹の父が気に入って買った中古物件で、元々日曜大工が好きだった彼が毎日少しずつ手を加えていったらしい。
「今はちゃんとした家に見えるけど、最初は……なかなかのもんよ」
最初の状態を思い出したのか、おかしそうにくすくす笑う直樹の母。そこで初めて緊張が解れた三人娘は、何だか少しほっとした。一度居間に通され、お茶とお菓子を出される。入る際、天井に張っている立派な梁に「ほわぁ……」と真奈美が妙な声を上げたが、思わず上げた声らしく、すぐに手で自らの口を塞いでいた。人数分の座布団に座り、直樹の母と向かい合わせの形で涼佑達は彼の様子はと訊いた。
「直樹ね……。……あの子、家の位置や自分の名前は覚えてるみたいなんだけど、何ていうか……」
何とも言葉に表しにくいようで、直樹の母は言葉を選びながら、ぽつぽつと語る。
「昨日の夜、帰って来た時……あの子、家族のことだけ忘れてるみたいで、帰って早々『なんだ、あんた達は!?』って言い出して、危うくうちの人と掴み合いのケンカになりそうになっちゃって……。これはおかしいってことで、慌てて病院に連れて行ったんだけど、記憶以外は異常なしって言われてね」
「全く、どうしちゃったのか……」と戸惑い、疲れている様子の彼女に、涼佑達は互いに顔を見合わせ、頷いた。互いに言いたいことはだいたい分かっているので、一同を代表して涼佑が申し出る。
「あの、直樹に直接会うことって、できますか?」
直樹の母に案内されて、涼佑達は直樹の部屋の前に来た。直樹の母がノックし、友達が来たと声を掛けると、そっと引き戸が少しだけ開けられた。隙間からタオルケットを頭から被った直樹が顔を覗かせ、弱々しく「あ、りがとう、ございます……」ととても肉親に対する態度では無い、よそよそしい礼を言った。その態度に叱る訳にもいかない直樹の母は、仕方ないと言うように肩をすくめて、「じゃあ、何かあったら、言うんだよ」とだけ言い残して、階下へ降りて行った。
怯えた目で自分の母を見送った直樹に涼佑が「入っても良いか?」と訊くと、直樹は少し考えた後「……はい」と了承した。あまり彼を刺激しないようにゆっくりと涼佑達は入る。涼佑も彼の部屋に入るのは初めてではないが、以前と比べてあまりの惨状に却って何も言えなかった。
家具は流石に倒れたりはしていなかったが、壁紙は所々無理矢理剥がされたり、漫画本やゲーム機は床に散乱しており、その中には故意に壊された物もある。他にも学校関連の物が棚から落とされたそのままで、その中にもいくつか壊された物があった。直樹はタオルケットを被ったままの姿ですごすごとベッドの上に座り、「あの人から聞きました」と畏まった口調で言った。
「あなた方は、おれの、と、友達だと……」
恐る恐るといった様子で紡がれた言葉に、涼佑達は頷いて肯定する。少しは記憶を取り戻してくれたのかと思った涼佑達だったが、そうではなかった。直樹は不安げな顔をして一同を見渡したが、やはり見覚えが無いような顔をしてぶつぶつと言い募る。
「おれ……おれ…………何も、なんにも覚えてなくて……友達のことも、家族のことも、ほんとにおれの家族なのかな、って思って……! そんなようも気がするけど、そうじゃない気もして……。怖いんです……! 自分が、自分がどこにいるのか分からないんです……っ! だから……」
「『外に出るのも怖い』?」
涼佑の問いにこくこくと直樹は首肯する。窓の外を見る目は怯え切っていた。
「知らない筈の町なのに、でも、この家はおれの家とは覚えている……。なのに、そこに住んでいる人達のことは全然分からなくて……! おれ、どうしたらいいんですか……?」
頭を抱え、恐怖で呼吸が荒くなっていく直樹の背中を涼佑が「落ち着け」と摩るも、落ち着くどころか、直樹はびくっと全身を震わせて「さっ、触らないでください……っ!!」と涼佑を強く拒絶した。いつもの直樹からは考えられない悲痛な声だった為、涼佑はそれ以上、触れることはできずに手を離した。尚も呼吸は乱れ、遂に直樹は不安と恐怖で押し潰されそうになり、「うわぁあああああああああっ!!」と叫び出した。悲鳴でも上げていないとどうにかなってしまいそうなのだろう。声を上げながら時折、周囲にある物を投げ、蹴り、「何なんだよぉっ!」と錯乱している。彼の部屋がこんな惨状なのは、これが原因かと涼佑達は合点がいった。
錯乱した直樹に怯え、早々に引き戸を開けて廊下に避難した真奈美達を見て、涼佑と夏神は取り敢えず、直樹を落ち着かせようと引き戸を閉めた。床に散らかっていた教科書を壁に向かって叩き付けようとしたその手を掴み、涼佑は「大丈夫だ、大丈夫だよ。直樹」と呼び掛ける。
「何が大丈夫なんだよっ!? おれは……おれはこんなに不安で、怖くて堪らないのに……!!」
「お前が!」
「ひっ……!?」
「お前が今怖いのは、記憶が無いからだろ? なら、それを取り戻せればもう怖くなくなる。オレが必ず、お前の記憶を取り戻す! 必ずだっ!」
がしっと直樹の両肩を掴んで涼佑がそう言い聞かせると、ひっくひっくと幼い子供のように嗚咽を漏らしていた直樹はその勢いに圧倒され、涙は止まったようだ。根拠は無いが、涼佑の言葉に勇気づけられた直樹は暫し呆然と目の前の涼佑を見つめていたが、「必ず記憶を取り戻す」という言葉がじん、と彼の中に染み込んでいった。力なく「うん」と頷いて、少し落ち着きを取り戻した直樹に安心して両肩を解放する涼佑。そんな彼を夏神はやや冷ややかな目で見つめていた。