幽霊巫女の噂

5

 梅の木が見えてくると、真奈美達は近くの道で待つことになり、ここからは涼佑と巫女さんだけで梅の木に近付く。「じゃあ、また後で」と言い合って涼佑は一人でゆっくり梅の木に向かって歩き出した。
 相変わらず桃色に色付いた花びらが舞う光景は、美しくもどこか怪しげで不気味だ。……桃色? はっと気が付いた涼佑は立ち止まった。こうして近付くと、昨日見た時より更に花びらの色が濃くなっていると分かる。そこで彼はまさかと思った。

「あの被害者の数とこの花びらの色……何か関係があるのか?」

 もし、被害者達が皆、直樹のように記憶を失ったから欠席しているのだとしたら? それがこの花びらの色が濃くなっていくことと関係しているとしたら? 一度そう考え始めると、舞う花びらはもう美しいものでも何でも無く、ただただ恐ろしいものに見えてきてしまう。しかし、そんなことをして一体、何になるのか。何か他に目的があるのかと考えながら、涼佑は止めた足を再び動かした。
 歩きながら巫女さんと体を交換し、現世に現れると同時に彼女は走り出した。梅の木に触れるか触れないかくらいの位置まで来ると、腰に提げている刀を抜き去り、幹を斬り抜こうとした。しかし、手応えが無い。

「なに……!?」

 確かに立ち位置と間合いから考えても斬った筈。なのに、空を斬った時と遜色ない感触しか返って来ない。もう一度、今度は目視しながら何度も幹を斬り付けようとしたが、どうしても刀身がすり抜けてしまう。

「どういうことだっ!? 私の刀で斬れないなんて……」

 こんなことは今までに無かったのにと思うと同時に、もう一度振り抜くが、やはり傷一つ付けられない。それを見て彼女はあることに思い当たり、心配とやるせなさを顔に出した。

「涼佑……!」



 いつもと同じ浮遊感に身を任せ、気が付くと、涼佑は赤い床に倒れていた。これがあの梅の木の心象風景かと思いながら、ゆっくりと起き上がる。辺りは夜のように暗く、そのせいで赤い床がまるで血のように見える。自分の想像にぞっとして、涼佑は忌避するように立ち上がった。涼佑の手や足が床に付くと、波紋のように白く細い円状の光が広がる。今までに無い床の効果に少々驚いたが、すぐに慣れた涼佑はこれも何かを表しているんだろうくらいにしか思わなかった。
 いつものように周囲を見回そうと顔を上げた彼の目の前には、既に次の空間へ繋ぐ扉があった。否、それは扉ではなく襖だ。薄らと茶色く汚れた梅の花が描かれている襖は、枠ごとそこに佇んでいた。襖に鍵は付けられない。この心の主は部外者を拒むつもりは無いのだろうと思った涼佑は、一応襖の表面に何か文字のようなものは無いか確認してから、すっと襖を開いた。
 次の空間は真っ黒な空間で、いつか見た狸の空間を思い出す。原因は分からないが、やはりこの怪異も死者の魂が関わっていると分かった涼佑は、その正体を確かめようと、襖の陰から空間全体を見た。
 すぐ近くに誰かがいた。襖から少し離れた位置で俯いている白装束を着た細身の女性だ。長い髪も真っ白な大人の女性の存在に、些か虚を突かれて入ろうかどうしようか悩んだ涼佑だったが、落ち込んでいる様子の女性を放って置くのもどうかと思い、そっと足を踏み入れた。女性は涼佑の気配に気付いた素振りは無く、また泣いている様子も無い。ただ俯いて座っているだけだ。少しだけなら、話し掛けても良いかもしれないと思った涼佑は、女性を驚かせないようにそっと近付いて声を掛けた。

「あの……」

 涼佑が恐る恐る声を掛けると、女性はすぐに反応し、ゆっくりと顔を上げる。一瞬、グロテスクな想像をしかけた涼佑だったが、意外にも女性の顔は綺麗なものだった。髪や着ている服と同じように肌は真っ白だったが、傷一つ無く、普通の女性の顔をしている。見た目は三十代後半か四十代くらいだろうか。少し疲れているような陰を落としている女性だった。

「あの、大丈夫……ですか?」

 襲って来るような気配も無い女性を無害だと判断した涼佑は、その顔を覗き込んでもう一度、声を掛ける。そこで漸く涼佑の声に反応した女性は、涼佑の姿を認めると、その薄い唇を小さく震わせた。何か言っている。声が小さくてよく聞こえないので、涼佑は更に女性に近付いて何を言っているのか理解しようとした。
 その時、女性の腕が動き、涼佑を抱き締めて引き寄せられる。一瞬、首を絞められるのかと思った彼だったが、そうではなかった。女性は涼佑を大事そうに抱え、ぎゅっと愛おしそうに抱き締めてくるだけだ。戸惑う涼佑の耳にか細い女性の呟きが聞こえてきた。

「寒い…………寂しい…………」
「……寒いんですか?」
「寒いの……寂しいの……」

 女性は涼佑が何を言っても、何を訊いても「寒い」や「寂しい」しか言わない。しかし、女性の言う通り、彼女の体はひどく冷えており、涼佑の手が触れている場所は次第に温かくなっていくようだ。危険は無さそうだが、これはこれで参ったなと思いつつ、彼は話し掛け続ける。「大丈夫ですよ」「すぐ温かくなりますから」「ここにはあなた一人なんですか?」様々に話し掛けてみるも、女性はずっと同じことを繰り返している。まるで涼佑に甘えているように、ひしと抱き締めているばかりだ。
 ふと、そこで涼佑はある想像をした。もしかしたら、この女性は梅の木の化身か何かなのではないだろうかと。あんな川縁にたった一本立っている梅の木を思い浮かべ、美しくも寂しさを感じさせる佇まいを思い出した。だから、この人は寂しくて、寒い思いをしているのかなと彼は考えた。哀れに思った涼佑はこれで彼女の気が済むのならと思い、そっと抱き締め返す。涼佑が触れている女性の背中がじんわり温かくなってくる感覚に眠気を覚えた涼佑は、特に疑問に思うことも無く、その眠気に身を任せてしまった。

「大丈夫……です、から。あたたかく……なって…………」

 すう、すうと眠る涼佑を優しく抱き締める女性。そんな二人の周囲には梅の枝が伸び、見事な紅梅を咲かせるのだった。



 白刃が煌めくも、斬撃は何の意味も成さない。涼佑も戻って来る気配が無い。巫女さんはらしくなく、焦っていた。いくら梅の木を攻撃しても、原因となっている怪異は姿を現さない。堪らず、結界を叩き込もうと注連縄を取り出した時、梅の木誰かが座っている姿が見えた。
 白装束を着た細身の女性だった。その華奢な腕には眠っている涼佑が抱えられており、巫女さんは堪らず「涼佑ぇっ!!」と叫ぶも、聞こえていないようだ。二人共その姿は透けており、背後に咲き乱れる梅の花が見える。霊体のまま、涼佑を奪おうとしていると分かった巫女さんは怒りのままに女性へ刀を振り抜こうとしたが、それより速く女性が叫んだ。

「息子に触らないでっ!!!!」

 叫んだと同時に物凄い突風が吹き、巫女さんの体を強制的に梅の木から遠く離してしまう。土手に投げ出され、持っていた刀が手からすっぽ抜けて空を舞い、巫女さんの顔の横に突き刺さった。慌てて立ち上がるも、梅の木はどこにも無く、姿形すら無い。隠されてしまったと理解した巫女さんは、抑えようの無い悔しさに身を任せて刀を持ち直し、梅の木があった空間に突き立てようとしたが、何の反応も手応えも無い。それでも涼佑を捜そうと、巫女さんは周囲に向かって叫んだ。

「涼佑っ! 涼佑ぇっ!! どこだっ!? 返事しろぉっ!!!!」
「どうしたの!? 巫女さん!」

 取り乱した巫女さんの絶叫に驚いた真奈美達が慌てて駆けつけて来る。真奈美達が来たと分かると、巫女さんは納刀し、その場に蹲って泣き出してしまった。

「涼佑が……! 私のせいで、涼佑が、攫われた……!」
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