キレイナキモチ
西日の差しこむ図書室から外を眺めている。
この窓から見えるのは2年生の教室棟の裏側で特に面白いものがあるわけではない。図書委員の本木徹は頼まれていた委員会の仕事も終わりぼんやりと外を眺めていた。
初めのころは真面目に顔を出していた他の図書委員たちもすっかり仕事を徹に押し付けてしまっている。今日だって他校へ貸し出すためのリクエスト本を徹1人が見繕ってBOXに詰めた。早々と断ってしまえばいいのだが元来の気の弱さがそうさせてくれなかった。それに徹は図書室の空気が好きだった。この学校には他にそう言った生徒はいないようでテスト前以外は基本的に貸し切りだった。
窓からの優しい風。今日なんかは特に図書室日和だった。窓にもたれ掛かりながらほっと息をつく。
一組の男女が教室棟の裏の端っこに来たのが見える。それとほとんど同じタイミングでもう一組の男女が別の端っこに位置取った。どちらも徹の存在に気がついてはいないようだ。
徹は少しだけうんざりする。あの男女は恐らくどちらかがこれから告白を行う。そんな雰囲気だ。あの校舎裏は告白スポットとして有名らしい。その手の話題とは縁遠い徹はこの図書室を拠点にしてから初めて知った。ここから下手に動いてばれるのも気まずかったので徹は気配を殺して空気になることに決めた。
徹はどちらも男の方には見覚えがあるのに気が付く。2人とも学校有数のモテ男だ。
柔らかな雰囲気でいつもニコニコとしていて人当たりのいいのが、宝田蒼汰。定期テストのトップ常連の秀才だ。コミュ力の塊と言った感じで徹ですら話しかけられたことがある。
ガタイがよく鋭い目つきには冷たさを覚えるほどの雰囲気を纏ったのが、宝田紅一。運動神経バツグンで色んな部活の助っ人として活躍している。
苗字が同じなのは彼らが双子だからだ。雰囲気が全く違うのでわからないが、よく見れば構成されている秀麗なパーツのそれぞれは全く同じだ。彼らの顔の造形は完璧と言ってもよかった。神様が綺麗なものを別の方向性で造ったようだ。そんな彼らをもちろん女子が放っておくはずがなく校内のみならず他校からの人気も双子で分け合っていた。そんなモテモテの彼らだが、あの双子は彼女をつくらないことで有名だった。
「かわいそうに、フラれちゃうんだろうな」
徹は柄にもなく独り言をつぶやいた。徹が思った通り、どちらの組もずっと喋っていた女の子は1人でどこかへ立ち去って行った。フッても怒鳴られたり殴られたりしないあたりは2人の人徳の為せる技なのだろうか。蒼汰は髪をかき上げて少し困ったように笑った。紅一の顔はいつもと変わらないように見えた。双子と言ってもここまで違うものなのだと思っていると、蒼汰と目が合う。蒼汰はにこっと笑った。
「なに?盗み見は趣味悪いんじゃなーい?」
蒼汰はからかうようにそう言った。紅一は徹に一瞥をくれるとそこから立ち去ってしまった。
「あ、いや、これは」
徹がうまいこと喋れずにいると蒼汰は手をひらひらと振りながら立ち去った。
「最悪」
徹は窓から離れて壁際にへたりこんだ。
駅への道を1人歩く。学校から駅は歩いて10分。電車で30分のところに徹は住んでいた。関東の田舎で駅までの道に特に面白いものはない。田んぼとか畑とか山とか、そういった感じだ。1人歩く徹はせっかくのいい気分を台無しにされてしまったのに苛立ちを感じていた。せっかくの図書室日和だったのに盗み見するのが趣味の奴のように思われてしまった。先にいたのは僕の方だぞと思いながらあの双子の顔を思い浮かべて悪態をつく。そうこうしているうちに最寄りの無人駅につく。ICカードをタッチするだけの機械が置いてあって駅員はいないし、申し訳程度の屋根とベンチが置いてあるだけだ。徹が通う我翼高校は電車通学している生徒は少なく駅が混雑することはほとんどなかった。
ベンチに近づいたところで徹はゲッっと思う。ベンチには蒼汰が涼しい顔をして小説を読んでいた。こんなときでも何の本を読んでいるのか気になるのは本好きの悲しい性だ。電車に乗らないと帰れないので仕方なくベンチの横に立つ。
人との関わりに疎い徹がどうして双子のことを知っていたのかというと彼らも電車通学だったからだ。行きは2人と同じ電車に乗ることも多いが、帰りは被ることはなかったので油断していた。
気が付かれないように下を向いて空気になるように努めた。
蒼汰の横顔は驚くほど綺麗だった。今まで意識していなかったのが嘘みたいだ。肌は滑らかで長いまつげが夕日をきらきらと反射させている。自然まで彼を引き立てているようだった。そこでもうすぐ日が暮れるなと思ったのがよくなかった。こちらを見た蒼汰と目が合う。油断した。蒼汰は本を閉じてにこっと笑う。
「また盗み見かい?」
自分の顔が赤くなっていくのがわかる。
「いや、あの、そんなんじゃなくて」
蒼汰はおかしそうに笑った。
「ごめんごめん。ちょっとからかっただけ」
蒼汰は自分の隣のベンチをポンポンと叩く。
「座りなよ」
断るのも変だったので徹は言われるがままに蒼汰の隣へと座った。
「あの、本当にさっきも今も」
「大丈夫!気にしてないよ。俺らがあんなところで告られてるのがいけないんだから。紅一もいるとは思ってなかったけどさ」
「フッちゃったんですか」
「何、盗み聞きまでしてたの」
「いや、雰囲気で」
「うん、フった。告られないように頑張ってたんだけどな」
「そういうこと考えてるんですね」
「フるのも結構しんどいよ、泣かせちゃうし」
「僕にはわからない世界です」
「そう?かわいい顔してると思うけど」
「そうやってチャラチャラしてるからですよ」
「あはは、意外と言うねぇ。はいはい僕が悪いですよー」
「けど、なんというか」
蒼汰がこちらを見てくる。
「今日の子は、自分のことばっかり喋ってた気がします」
「やっぱり盗み聞きじゃん」
「本当に見てただけです。女の子の口しか動いてなかったから。一方的に告白してるなって思いました。相手は全然見えてない」
「相手が見えていない?」
「そうです。2人で話していたら蒼汰さんの口ももっと動いてるはずです」
「それで一方的ってこと?」
「そうです」
あーと蒼汰は言って髪をかき上げた。
「その考えいいかもね。俺のこの嫌な感じ、まんまそれかも」
「ごめんなさい。喋りすぎました」
「いやいや、言語化してもらえてすっきりした」
「そう言ってもらえると助かります」
「敬語やめない?同い年でしょ?」
「わかり、わかった」
蒼汰は面白そうに笑った。
「俺は宝田蒼汰」
「本木徹です」
「徹ちゃんね。よろしく」
そこから電車がくるまでの時間、徹は終始蒼汰のコミュ力に圧倒されていた。ただ、蒼汰からは他の人から感じられる嫌な感じは全くなかった。図書室の風とも変わらないくらい心地のよい時間だった。
ライトをつけた2両編成の電車が入ってくる。ガラガラなので簡単に座れる。蒼汰と徹は隣り合って座る。同じ車両に乗っていた学生の視線を蒼汰が集める。我翼高校の宝はすごいな。居るだけで注目を集める。徹は隣にいるだけで何でそこにお前がいるんだというような目で見られているような気がしてきた。蒼汰はというと気にしていないのか気が付いていないのかなんてことはないような顔で話を続けている。コミュ力の塊だけあって話の引き出しも多い。ただおしゃべりなだけではなく無言の瞬間さえも心地よくさせる本物のコミュニケーションの力があった。
話によると蒼汰は徹よりも2駅先に住んでいた。
電車の外はすっかり暗くなって徹の最寄りに着く。徹が立ち上がると蒼汰は見上げた。
「じゃあね。徹ちゃん」
「うん。また」
徹が慣れない仕草で手を挙げる。蒼汰は笑ってひらひらと手を振った。
電車は蒼汰を乗せてすぐにホームから離れていった。学校から人と話しながら帰ったのは久しぶりのことだった。超弩級の美少年なのでもっと嫌なやつかと思っていたがそんなことはなかった。気さくで話しやすくて気が回るいい奴だった。告白して自分のものにしようとした女の子の気持ちはわからないでもなかった。それと同時に相手が気の回る人物であった場合、自分勝手な人間が告白したとしても受け入れてはもらないだろうなとも思った。返しやすいところに会話のパスを出してくれているのだから、こちらが蹴りやすいのは当たり前だ。そこをただ気が合うと思われては蒼汰もたまらないだろう。そこまで考えてから、徹は自身も気を付けようと思った。
翌日の行きの電車もまたガラガラだった。徹はガラガラの電車に乗れるように少しだけ早めに家を出るようにしている。学校に着くのはいつも大抵1番目くらいだ。そのくらい早い電車なので普段なら他の生徒と電車で鉢合わせることはない。いつものように下を向きながら着いた車両に乗り込む。
顔をあげた先にはガタイのいいイケメンが立っていた。それが宝田紅一であることに気が付いて徹は固まる。ガラガラなのに紅一は座らずに座席横の銀色のポールに寄り掛かっている。動揺した徹も座らずにすぐ反対側のポールに寄り掛かった。扉が閉まって電車が発進する。蒼汰の誤解は昨日解けたが、紅一はまだ徹のことを盗み見する下世話で趣味の悪い男だと思っているはずだった。紅一は両腕を組んで下を向いて目をつむっていた。寝ているのだろうかと思ったがしゃんと立っているのでそういう風には思えなかった。
綺麗な顔だな。そう思ってから、これじゃあ本当に盗み見野郎じゃないかと徹は自分が嫌になる。それでも朝日が縁取る紅一は神がかり的的な美しさがあった。紅一は蒼汰よりも髪を短く刈り込んでいて、健康的に日に焼けている。体つきも筋肉質だ。徹が自分がまた紅一をじろじろと見ていることに気が付いて目を逸らそうとしたところで、紅一の大きな瞳と目が合う。しまったと思うがも遅い。
「……なに」
紅一が不機嫌そうな低い声でそう言った。
「いや、あの、その、昨日はすみません」
「……昨日?」
紅一は本当にぴんと来ていないようだった。少しお互いに沈黙が流れたタイミングで徹が説明する。
「昨日、校舎裏で告白されているの見ちゃって」
「ああ、それね。なんで君が謝るの」
「いや、見られて気持ちのいいもんじゃないだろうし」
「あんなところで告白されてるのが悪い」
徹は蒼汰も同じことを言っていたのを思い出しておかしくなる。笑っている徹をみて紅一は不思議そうな顔をしたが、特に何も聞き返さなかった。少し気が大きくなった徹は紅一に蒼汰と同じ質問した。
「フッちゃったんですか?」
その瞬間、紅一の表情が一気に曇った。よほど嫌なものを見たときにしかしない顔になる。まずったと思うが、もう遅い。紅一はその質問には一切答えずに、また下を向いて目を閉じてしまった。徹はその原因が何かわからなかったが、それを直接本人に聞く勇気もなかった。気まずい時間は永遠のように感じられる中、電車は定刻通りに高校の最寄り駅に到着した。
降りる時も紅一はまるで徹がそこにいないかのように降りて行った。徹はもう今にも泣きだしそうな気持になった。調子に乗った罰があったんだと徹は自分自身を呪った。
徹はその1日授業にも身が入らなかった。こういう日に限って委員会の仕事もないし、帰宅部の徹には時間をつぶす術もなかった。友人でもいれば話して気を紛らわせたりすることもできたのだろうが、そんな友人は存在しなかった。仕事がなかろうが図書室に行ってもよかったがやることがないと結局同じことをずっと考えてしまいそうで気が引けた。結局、1日中うだうだと考えている間にもっともシンプルな考えに思い至った。ひとまず謝ろうと思った。事情はどうであれ、不躾な質問をして相手を傷つけてしまったのが徹なのは間違いなかった。クラスは違うのであれから顔を見ることはなかった。どこにいるか見当もつかなかったが、徹は紅一を探すことにした。
放課後になった。徹は紅一が何組なのかもわからなかったので同じ学年のクラスを全て1つずつ覗き込んで確認した。聞けば早いのかもしれなかったが徹にはどうしてもハードルが高かった。結局、どの教室にも紅一はいなかった。回って紅一がいないのを見てからようやく部活に行っている可能性に思い至る。何部なのかは知らなかったが色々な部活に助っ人として参加しているらしいことは知っていた。ひとまず体育館に向かってから外を観に行くことにした。体育館に抜かう途中で外には出なくてよさそうだと思った。というのも、体育館にはすでに人だかりができていたからだ。その人混みのほとんどが女子だった。中に入るのは難しそうだ。覗いただけで二階まで人がいる。徹はなんとかして人が切れているところを見つけて体育館を見渡す。
体育館ではバスケ部が活動していた。試合形式なのはバスケに疎い徹でもわかった。部内で紅白戦をしているようであった。紅一は赤いビブスをしてスリーポイントシュートを決めたところだった。ボールがゴールを揺らした途端に黄色い声援が響きわたる。紅白戦なのにえらい盛り上がりだ。これは声をかけるどころじゃないなと徹が途方にくれていると、背後から声を掛けられた。
「やだやだ、汗だくになっちゃって。ボール追いかけることの何が楽しいのかねぇ」
振り返ると、そこに蒼汰が立っていた。
「それって球技全般否定してるような」
「そうだけど?徹ちゃんどうしたの。また盗み見?」
調子のいいことをいいながらまたからかってくる。周りの紅一派のはずの女子たちも蒼汰の登場に色めき立っている。
「えっと、あの」
「帰りながら聞くよ。行こうぜ」
周りの視線がうざったくなったのかそこから連れ出そうとする。ただ蒼汰の顔は笑顔だ。ちょっと知っただけなのに笑顔の蒼汰がうざったいと思っているのだろうなと知れているのが少しおかしい。
「わかった」
そこから立ち去ろうとしたときに視界の隅で紅一がこちらを見ていたような気がしたが、そんなはずはないので徹はそのまま蒼汰についていった。
蒼汰の隣を歩いているとちらちらと視線を感じるような気がする。さすがの我翼の宝。蒼汰は慣れたもので気にせず話続ける。
「それで紅一に謝りたいというわけね。あいついっつも無口だし気にすることないのに」
「そういうわけにもいかないです」
「律儀だねえ。今まで接点があるわけでもないだろうに」
「傷つけちゃったなら謝りたいです」
「そんなに言うならうちで待ってる?」
「うち?」
そこまで聞いてから双子なので同じ家に住んでいることに気が付く。
「そう!待ってればいいじゃん。今日は親もいないし」
「いきなり家にいて謝られるなんて怖くないですか」
「そんなこと気にしてたら一生謝れないよん」
「別にそんなことないと思いますけど」
「暇なんでしょ?待ってればいいじゃん」
「暇は暇ですけど」
「なら決定だ」
そう言って蒼汰はずんずん歩いていった。徹は仕方ないのでその後をついていった。
蒼汰の家は駅から5分ほどのところにあった。洋風な一軒家で家主のこだわりが感じられた。庭も英国式で自然との調和が大切にされていた。お金持ちなのだろうなという印象を徹は抱いた。家だけでもかなり綺麗だったがそこに住んでいるのがこの双子たちだとするとかなり絵になるなと徹は思った。蒼汰は慣れた様子で(自宅なのだから当たり前ではあるが)家に入っていった。徹もその後に続く。
「おじゃまします」
「楽にしてくれたまえ」
蒼汰が大袈裟に言いながら二階に上がる。室内も掃除が行き届いていて綺麗だ。家具も見るからに歴史を感じさせて高そうだ。
蒼汰の部屋はベッドに机とシンプルな構成だった。ただ大量の本が本棚にみっちりと詰められていた。徹は目を輝かせて見入る。
「これ!すごい!夢、みたいな部屋だ」
蒼汰はベッドに鞄を放り投げて徹のほうを向く。
「なにが?」
「本!すごい量だ!」
「古いのばっかりだけど」
蒼汰の言う通り本棚にあるのは古い児童文学や海外文学だ。ところどころ洋書も混ざっている。
「これなんかめっちゃ面白いよね」
徹が指さした先には古くから親しまれているファンタジーがあった。
「それはマジでおもろい」
「これは?気になってたんだ」
「それもいい。ロンドンの空気を一緒に吸っているみたいな気持ちになる」
「いいなぁ。こんなところに住みたい」
「お気に召していただけたようで。本、好きなの?」
「うん!とっても!」
徹は本棚の一部の毛色が違うことに気が付く。そこだけ専門書が並んでいる。
「ここだけ新しいね」
「それは完全に俺の趣味だね」
徹は一冊を取って表紙を読む。
「植物学?」
「そう。ほら俺って理系だけど生物選択だろ」
「それは知らなかったけど。これって、大学レベルなんじゃ?」
「そう」
「こっち系に進むの?」
「趣味だね」
「こんなに勉強してるのに」
「儲かんないからな。金になる仕事につくよ」
「ちゃんと考えてるんだね」
「そんないいもんじゃない。ほら、返せよ」
蒼汰が徹の持っている本を取ろうとする。徹が少し抵抗したので蒼汰がバランスを崩す。蒼汰が徹に覆いかぶさるような形で倒れこんだ。
「いてて」
徹が目をあけると、蒼汰の顔がすぐ目の前にあった。綺麗なまつげ。鼻筋もとおっていて綺麗だ。息が顔にかかる。いい匂いがした。柔らかそうな唇に自分の唇が触れてしまいそうだった。蒼汰も目をあけて目と目が合う。徹がどきどきしていると、扉が開く音が聞こえる。
「……何してんの」
徹が声のする方を見ると、扉を開けた紅一が立っていた。
「いや、あの、これは違くて」
徹は慌てて弁明した。
「おかえり~」
「呑気に挨拶してないでどいてくださいよ」
徹は上に覆いかぶさったままの蒼汰を押しのける。そのまま徹は紅一に向いて座り直した。
「おじゃましてます」
徹が頭をさげると紅一もぺこりと頭をさげた。
「部屋に入るときはノックしろって言ったろ」
「……誰かいるみたいだったから」
「そうだ!話があるみたいよ」
蒼汰が雑に徹に話を振る。紅一も蒼汰の視線も徹に集まる。
「あの、今日の電車は本当にすいませんでした」
紅一は少し考えるような顔をして口を開く。
「……ああ、君には関係ないから」
紅一はそう言って部屋から出て行こうとする。それを見た蒼汰が呆れたように声を掛ける。
「おいおい、もっとちゃんと説明してやれよ」
紅一は立ち止まって振り返る。
「……本当に関係ないから」
「謝るためだけにわざわざ来たんだぞ」
「……そうか」
紅一はまっすぐに徹のことを見た。あんまりまっすぐに見てくるので徹は少しだけどぎまぎしてしまう。
「本当にごめんなさい」
「……本当に関係ないから」
「それってどういう」
「……俺の問題だから」
「本当にお前の話し方ってイライラするな。はっきり言えよ」
蒼汰が露骨にイライラする。
「……俺があの子に嫌な思いをさせたから。それを思い出して」
「だからって徹ちゃんのこと無視することないだろ」
「……そんなつもりはなかった」
「相手がどう受け取るからって考えろって言ってるだろ」
紅一は徹のことをまた真っすぐみた。
「……ごめん」
徹も慌てて立ち上がる。
「いやいや、僕のほうこそごめんなさい。デリカシーがなさすぎました」
「……本当に君のせいじゃないから。気にしないで」
「はい。すみません。謝罪を受けてもらっちゃって」
「……謝罪を受ける?」
「この会話ですっきりしてるの僕だけなんで」
「……変なの」
紅一が少しだけ微笑む。
「……ゆっくりしていってね」
紅一はそう言って部屋から出て行った。
徹は紅一の思いがけない笑顔をみたことで心臓がどきどきしていた。
「なにぼーっとしてんの」
徹は慌てて蒼汰に話す。
「いやいや何でもないです。ありがとうございました。何から何まで協力してもらっちゃって」
「徹ちゃんのためだからね」
「また大袈裟なこと言ってる。本当にありがとうございました」
「もう帰るの?」
「はい。謝ることはできたんで」
「ゆっくりしていけばいいのに」
「おじゃましちゃいましたし。もう遅いので」
「つまんないやつ」
そういう蒼汰の顔は笑っている。
「助かりました。ありがとうございます」
「いいっていいって」
お礼を言うと、徹は蒼汰の部屋を後にした。
徹は一日の始まりの憂鬱がはれてすっきりした心で家に帰った。
翌日の朝は夏だというのに涼しかった。猛暑続きであったので珍しいことだと思いながら徹は駅への道を歩く。朝の陽ざしも柔らかくて昨日まで差すようだったのが嘘のようだ。今日はいつもの早い電車よりも1本遅いものに乗るので時間がゆっくりある。田舎なので1時間に1本の頻度でしか来ないので今日は早いのに乗るのは諦めた。というのも昨日の夜に読み始めた小説が思いのほか面白く夜更かしをしてしまったからだ。上巻を読み終えたところで続きを読みたい心を押し殺して何とか眠りについた。寝てしまうと起きれないものでいつもの電車には乗れなかった。徹はここまで涼しいなら悪くないなと歩きながら思った。
同じ駅から乗る生徒は徹以外にはいなかった。乗る予定の電車がちょうど風を切ってホームに入ってくる。徹の髪をふわっと揺らして止まった。朝の清々しい気持ちで車両に乗り込むと見覚えのある顔が2つ既に電車に乗っていた。蒼汰と紅一が席横のポールにそれぞれ左右に分かれてもたれかかっていた。蒼汰の方が先に徹に気が付く。
「徹ちゃんおはよ!」
笑顔でひらひらと手を振っている。
「おはようございます」
徹は蒼汰と紅一のそれぞれに頭をさげる。
「……おはよう」
紅一もヘッドフォンを外して挨拶をしてくれる。
2人の位置的に自然と徹は蒼汰と紅一の間に収まった。気のせいだろうか周囲の女子の視線が痛い。
「2人で登校してるんですね」
「たまたまね。電車少なすぎ」
紅一も無言で頷いている。お互いにこの状況は不本意らしい。本数も車両も少ないとなると仕方ないのかもしれない。
「……テスト前で朝練ないから」
「なるほど!」
部活に参加していない徹には知りえない情報だった。それよりも普通に紅一が話かけてくれていることがうれしい。
「そうだ!連絡先交換しようぜ!」
そう言って蒼汰が端末を取り出す。
「は、はい」
徹もそのテンションに合わせてポケットから端末を取り出した。
「いきなりですね」
「だって俺が徹ちゃんの連絡先知らないのおかしくない?」
「そうですか?」
「いいからいいからっと。完了」
「ありがとうございます」
蒼汰と連絡先の交換を終えたところで、紅一が端末をこちらに差し出していることに気が付く。
「え、ええっと?」
徹が戸惑う。
「……俺も」
「あ、連絡先?」
「……ダメ?」
「全然ダメじゃないです!」
徹が慌てて連絡先を交換する。
「できました!」
徹がそう言うと紅一はそっぽを向いてしまった。心なしか耳が赤くなっているような気がする。それを見た隣の蒼汰は肩を揺らして笑っている。何が何だかわからない徹はとなりの蒼汰に小声で尋ねる。
「また怒らせちゃいましたかね」
「そうかもね」
「それは困ります。せっかく仲直りしたのに」
「大丈夫だよ。きっと」
「なんですか。無責任な」
「ほらほら着いたぞ」
蒼汰が徹の肩に腕を回してぐいぐいと引っ張って降りていく。徹が紅一の方をみると紅一もこちらについてきている。それを見た徹は嫌われたわけじゃないらしいことに安堵する。
「あの、連絡待ってますから」
「……わかった」
紅一の顔がみるみる赤くなる。徹はそれを見て、今日は涼しいはずなのにと不思議に思った。
テスト前の授業は味気が無くて嫌いだった。テストのために勉強している感じが嫌いだった。だからと言って何のために勉強しているのかと言われると徹にはわからなかった。結論としてはテストが嫌い、それだけのことなのだろう。あけ放った窓からは涼しい風が吹き込んでいる。涼しい日だったが教室に詰め込まれた生徒たちの暑さで息が詰まりそうだった。徹は授業が終わって放課後の教室の自席で一息ついていた。今日も図書委員の仕事はない。テスト前の平日なので自習室のみの解放になっている。そのため図書の貸し出し業務はない。何をしようかと暇を持て余していた。勉強をすればいいのはわかっているのだが、どうも手がつかない。ぼけっとしてると端末に通知が来る。
蒼汰(猫のアイコン)“うちで勉強しない?”
蒼汰から勉強の誘いがくる。突然のことで驚くが返信しないといけないので端末に入力を始める。
徹(革表紙の本のアイコン)“お邪魔じゃないですか)
息をつく間もないくらいのスピードで返信がくる。
蒼汰“固いな!こっちから誘ってんの!いいに決まってんじゃん”
思いのほか強く誘われているのでやることもないので行くことにする。
徹“なら行きます”
蒼汰“おっけ~ 先に帰っちゃったから待ってる!”
徹“わかりました”
蒼汰“はやくこいよ!”
徹は端末をしまって席を立とうとすると、席の周りを女子に囲まれた。何だと思って見渡すとクラスの女子ではないが同じ学年にいたような気がする。3人組だ。
「ちょっといい?」
駄目とは言わせないような雰囲気でリーダー格の女子が言った。
「はい」
そのまま女子たちは何も言わずに立っている。徹としてはどうしていいかわからないので困ってしまう。隣の別の女子が口を開く。
「最近、宝田兄弟と仲良くない?」
やっぱりその話題か。
「仲いいというかなんというか」
「今日も一緒に登校してたよね」
「はい。田舎で電車少ないんでたまたま一緒になりました」
徹はうんざりしてしまって早く帰りたくなる。
「この子たち、宝田兄弟にフラれたの」
徹はこの間の?と聞きそうになるのを必死に抑え込んだ。
「すみません。話がみえないんですけど」
「協力してもらないかなって」
「協力?」
「そう」
「好きにさせるってことですか?」
「簡単に言えばそうかな」
「そんなこと簡単にできるわけないじゃないですか」
「あなたは仲良くなってるでしょ?」
「そう言われるとそうかも?」
「次はいつ会うの?」
「このあと勉強会ですけど」
徹は言った後にどうしてこんなこと教えないといけないのだとイライラしてくる。女子たちはたちまち色めき立つ。
「じゃあさ、それに私たちも行かせてよ」
「それは、駄目ですよ。彼の家だし」
「聞いてみるくらいいいじゃない」
徹はもう我慢ができなくなって立ち上がる。
「僕、もう行きますから」
「冷たい人」
「それくらいいいじゃない」
徹は早く立ち去ってしまいたくなるのを我慢してその場に残る。
「宝田君たちを好きなのは自由ですけど、陰でこそこそしてるのはセコいです。はっきり堂々とした方がいいですよ」
「ひどい。なんでそこまで言われないといけないのよ」
自分の欲望のままに動いて下心ばっかりでキモチガワルイと言いたくなるのを必死にこらえる。そんなことをぶちまけたら彼女たちと同じになってしまう。
「本当に仲良くなりたりと思ってるなら、そうするべきだと思ったからです。もっと相手のことも考えた方がいいです。本当に好きだっていうのなら」
徹は早口になってそこまで言い切った。徹の剣幕がすごかったのか女子たちは何も言い返さなくなる。
「ちょっと言い過ぎたかもしれません。すみません。もう行きます」
徹は足早に教室を後にした。徹は泣きたい気持ちでいっぱいだった。人とかかわるとろくなことがないと思った。徹はどうしようもなく1人になりたかったが、蒼汰との約束があったので彼の家へと足を向けた。
徹の足取りはどうしようもないほどに重かった。人と関わりあいになるとこういう気苦労が増える。それもあの宝田兄弟となればなおさらだ。わかりきっていたことなのに、今まで少し仲良くしてもらったからと言って浮かれていた自分が嫌になる。約束なんてほっぽりだして帰ってもよかったが、徹の元来の性格がそうさせなかった。
田舎道の人通りの少なさが一層徹の気持ちを惨めにさせた。普段なら気にならない蛙の鳴き声に蝉の鳴き声すらも徹の愚かさを笑っているように聞こえた。駅の灯りが見えて徹は少しだけ救われたような心持になる。なんで徹は自分が落ち込まなくてはいけないのだと腹立たしい気持ちになった。そうなるとあんなにうじうじしていことがバカらしく思えてきた。何もないところを真っすぐに1両の電車が走ってくる。この駅で降りる人は誰もいなかった。静かに控えに扉が開くので徹も静かに電車に乗った。
電車に揺られている時間を徹は気に入っていた。自分は動かずとも目的地まで自分を運んでくれる。そのエネルギー的な余裕が原因なのではないだろうが、徹の気持ちにも余裕を与えてくれていた。規則的にコトンコトンと音を立てるのもよかった。市内まで遊びに行く際に気が付いたことだが、徹の家から高校と、高校から市内までの間の線路は音が違う。徹が普段使っているのはコトンコトンだ。線路の形が違うのか市内の方はガタンゴトンと派手な音がなる。控えめな線路の音すらもお気に入りだった。今日も電車の音は徹に精神的な余裕を与えてくれていた。そうなるといつもより長く電車に乗っていられる蒼汰の家に向かうのは徹にとっても好都合なことになっていた。
徹の家の最寄りから先の路線、蒼汰の最寄りに向かう間は、蒼汰のことを考えていた。徹は考えれば考えるほどどうして自分が誘われているのかわからなかった。きっと今日声を掛けてきた女子たちも同じことを考えていたのだろうと思う。蒼汰くらいの人気者になれば友だちなんて選び放題だろうに。徹はそれが不思議でたまらなかった。一緒に勉強したいやつなんてそこら中にごろごろいるだろう。徹自身は卑屈なわけではなかったが、そんな奴らよりも頭1つ抜けているものが自分にあるとはどうしても思えなかった。一方で蒼汰という男は友人にそういう価値のようなものを求めるタイプでもないような気もしていた。もっと直感的にフランクに人間関係をしているような気がした。こうやって考えている徹とは全く違うのだ。打算とかそういう事とは無縁に人と付き合っているのだ。きっと徹とは違って気苦労などとは思わないのだろう。そう思うと本当に自分とは違って、持っていないものをたくさん持っているのだろうと思った。
そんなことを思案していると、もう駅についた。駅から蒼汰の家まではすぐだった。なんと挨拶して入ろうかとか、今日あったことは話した方がいいのだろうかと考えているうちについた。
インターホンを鳴らす。反応がないのでもう一度鳴らす。
「開いてるから勝手に入って~!」
二階の方から大声で聞こえる。
「不用心だな」
徹は半ば呆れたように入っていく。いくら田舎だからと言ってこういうことは少なくなっている。徹の祖父母の代までの習慣だと思った。以前来たことがあるので蒼汰の部屋の場所はわかっていた。
「おじゃまします」
蒼汰の部屋のドアを開ける。
「遅かったじゃん」
蒼汰がからかうような口調でそう言った。
「……遅い」
隣にはなぜか紅一も座っていた。
この窓から見えるのは2年生の教室棟の裏側で特に面白いものがあるわけではない。図書委員の本木徹は頼まれていた委員会の仕事も終わりぼんやりと外を眺めていた。
初めのころは真面目に顔を出していた他の図書委員たちもすっかり仕事を徹に押し付けてしまっている。今日だって他校へ貸し出すためのリクエスト本を徹1人が見繕ってBOXに詰めた。早々と断ってしまえばいいのだが元来の気の弱さがそうさせてくれなかった。それに徹は図書室の空気が好きだった。この学校には他にそう言った生徒はいないようでテスト前以外は基本的に貸し切りだった。
窓からの優しい風。今日なんかは特に図書室日和だった。窓にもたれ掛かりながらほっと息をつく。
一組の男女が教室棟の裏の端っこに来たのが見える。それとほとんど同じタイミングでもう一組の男女が別の端っこに位置取った。どちらも徹の存在に気がついてはいないようだ。
徹は少しだけうんざりする。あの男女は恐らくどちらかがこれから告白を行う。そんな雰囲気だ。あの校舎裏は告白スポットとして有名らしい。その手の話題とは縁遠い徹はこの図書室を拠点にしてから初めて知った。ここから下手に動いてばれるのも気まずかったので徹は気配を殺して空気になることに決めた。
徹はどちらも男の方には見覚えがあるのに気が付く。2人とも学校有数のモテ男だ。
柔らかな雰囲気でいつもニコニコとしていて人当たりのいいのが、宝田蒼汰。定期テストのトップ常連の秀才だ。コミュ力の塊と言った感じで徹ですら話しかけられたことがある。
ガタイがよく鋭い目つきには冷たさを覚えるほどの雰囲気を纏ったのが、宝田紅一。運動神経バツグンで色んな部活の助っ人として活躍している。
苗字が同じなのは彼らが双子だからだ。雰囲気が全く違うのでわからないが、よく見れば構成されている秀麗なパーツのそれぞれは全く同じだ。彼らの顔の造形は完璧と言ってもよかった。神様が綺麗なものを別の方向性で造ったようだ。そんな彼らをもちろん女子が放っておくはずがなく校内のみならず他校からの人気も双子で分け合っていた。そんなモテモテの彼らだが、あの双子は彼女をつくらないことで有名だった。
「かわいそうに、フラれちゃうんだろうな」
徹は柄にもなく独り言をつぶやいた。徹が思った通り、どちらの組もずっと喋っていた女の子は1人でどこかへ立ち去って行った。フッても怒鳴られたり殴られたりしないあたりは2人の人徳の為せる技なのだろうか。蒼汰は髪をかき上げて少し困ったように笑った。紅一の顔はいつもと変わらないように見えた。双子と言ってもここまで違うものなのだと思っていると、蒼汰と目が合う。蒼汰はにこっと笑った。
「なに?盗み見は趣味悪いんじゃなーい?」
蒼汰はからかうようにそう言った。紅一は徹に一瞥をくれるとそこから立ち去ってしまった。
「あ、いや、これは」
徹がうまいこと喋れずにいると蒼汰は手をひらひらと振りながら立ち去った。
「最悪」
徹は窓から離れて壁際にへたりこんだ。
駅への道を1人歩く。学校から駅は歩いて10分。電車で30分のところに徹は住んでいた。関東の田舎で駅までの道に特に面白いものはない。田んぼとか畑とか山とか、そういった感じだ。1人歩く徹はせっかくのいい気分を台無しにされてしまったのに苛立ちを感じていた。せっかくの図書室日和だったのに盗み見するのが趣味の奴のように思われてしまった。先にいたのは僕の方だぞと思いながらあの双子の顔を思い浮かべて悪態をつく。そうこうしているうちに最寄りの無人駅につく。ICカードをタッチするだけの機械が置いてあって駅員はいないし、申し訳程度の屋根とベンチが置いてあるだけだ。徹が通う我翼高校は電車通学している生徒は少なく駅が混雑することはほとんどなかった。
ベンチに近づいたところで徹はゲッっと思う。ベンチには蒼汰が涼しい顔をして小説を読んでいた。こんなときでも何の本を読んでいるのか気になるのは本好きの悲しい性だ。電車に乗らないと帰れないので仕方なくベンチの横に立つ。
人との関わりに疎い徹がどうして双子のことを知っていたのかというと彼らも電車通学だったからだ。行きは2人と同じ電車に乗ることも多いが、帰りは被ることはなかったので油断していた。
気が付かれないように下を向いて空気になるように努めた。
蒼汰の横顔は驚くほど綺麗だった。今まで意識していなかったのが嘘みたいだ。肌は滑らかで長いまつげが夕日をきらきらと反射させている。自然まで彼を引き立てているようだった。そこでもうすぐ日が暮れるなと思ったのがよくなかった。こちらを見た蒼汰と目が合う。油断した。蒼汰は本を閉じてにこっと笑う。
「また盗み見かい?」
自分の顔が赤くなっていくのがわかる。
「いや、あの、そんなんじゃなくて」
蒼汰はおかしそうに笑った。
「ごめんごめん。ちょっとからかっただけ」
蒼汰は自分の隣のベンチをポンポンと叩く。
「座りなよ」
断るのも変だったので徹は言われるがままに蒼汰の隣へと座った。
「あの、本当にさっきも今も」
「大丈夫!気にしてないよ。俺らがあんなところで告られてるのがいけないんだから。紅一もいるとは思ってなかったけどさ」
「フッちゃったんですか」
「何、盗み聞きまでしてたの」
「いや、雰囲気で」
「うん、フった。告られないように頑張ってたんだけどな」
「そういうこと考えてるんですね」
「フるのも結構しんどいよ、泣かせちゃうし」
「僕にはわからない世界です」
「そう?かわいい顔してると思うけど」
「そうやってチャラチャラしてるからですよ」
「あはは、意外と言うねぇ。はいはい僕が悪いですよー」
「けど、なんというか」
蒼汰がこちらを見てくる。
「今日の子は、自分のことばっかり喋ってた気がします」
「やっぱり盗み聞きじゃん」
「本当に見てただけです。女の子の口しか動いてなかったから。一方的に告白してるなって思いました。相手は全然見えてない」
「相手が見えていない?」
「そうです。2人で話していたら蒼汰さんの口ももっと動いてるはずです」
「それで一方的ってこと?」
「そうです」
あーと蒼汰は言って髪をかき上げた。
「その考えいいかもね。俺のこの嫌な感じ、まんまそれかも」
「ごめんなさい。喋りすぎました」
「いやいや、言語化してもらえてすっきりした」
「そう言ってもらえると助かります」
「敬語やめない?同い年でしょ?」
「わかり、わかった」
蒼汰は面白そうに笑った。
「俺は宝田蒼汰」
「本木徹です」
「徹ちゃんね。よろしく」
そこから電車がくるまでの時間、徹は終始蒼汰のコミュ力に圧倒されていた。ただ、蒼汰からは他の人から感じられる嫌な感じは全くなかった。図書室の風とも変わらないくらい心地のよい時間だった。
ライトをつけた2両編成の電車が入ってくる。ガラガラなので簡単に座れる。蒼汰と徹は隣り合って座る。同じ車両に乗っていた学生の視線を蒼汰が集める。我翼高校の宝はすごいな。居るだけで注目を集める。徹は隣にいるだけで何でそこにお前がいるんだというような目で見られているような気がしてきた。蒼汰はというと気にしていないのか気が付いていないのかなんてことはないような顔で話を続けている。コミュ力の塊だけあって話の引き出しも多い。ただおしゃべりなだけではなく無言の瞬間さえも心地よくさせる本物のコミュニケーションの力があった。
話によると蒼汰は徹よりも2駅先に住んでいた。
電車の外はすっかり暗くなって徹の最寄りに着く。徹が立ち上がると蒼汰は見上げた。
「じゃあね。徹ちゃん」
「うん。また」
徹が慣れない仕草で手を挙げる。蒼汰は笑ってひらひらと手を振った。
電車は蒼汰を乗せてすぐにホームから離れていった。学校から人と話しながら帰ったのは久しぶりのことだった。超弩級の美少年なのでもっと嫌なやつかと思っていたがそんなことはなかった。気さくで話しやすくて気が回るいい奴だった。告白して自分のものにしようとした女の子の気持ちはわからないでもなかった。それと同時に相手が気の回る人物であった場合、自分勝手な人間が告白したとしても受け入れてはもらないだろうなとも思った。返しやすいところに会話のパスを出してくれているのだから、こちらが蹴りやすいのは当たり前だ。そこをただ気が合うと思われては蒼汰もたまらないだろう。そこまで考えてから、徹は自身も気を付けようと思った。
翌日の行きの電車もまたガラガラだった。徹はガラガラの電車に乗れるように少しだけ早めに家を出るようにしている。学校に着くのはいつも大抵1番目くらいだ。そのくらい早い電車なので普段なら他の生徒と電車で鉢合わせることはない。いつものように下を向きながら着いた車両に乗り込む。
顔をあげた先にはガタイのいいイケメンが立っていた。それが宝田紅一であることに気が付いて徹は固まる。ガラガラなのに紅一は座らずに座席横の銀色のポールに寄り掛かっている。動揺した徹も座らずにすぐ反対側のポールに寄り掛かった。扉が閉まって電車が発進する。蒼汰の誤解は昨日解けたが、紅一はまだ徹のことを盗み見する下世話で趣味の悪い男だと思っているはずだった。紅一は両腕を組んで下を向いて目をつむっていた。寝ているのだろうかと思ったがしゃんと立っているのでそういう風には思えなかった。
綺麗な顔だな。そう思ってから、これじゃあ本当に盗み見野郎じゃないかと徹は自分が嫌になる。それでも朝日が縁取る紅一は神がかり的的な美しさがあった。紅一は蒼汰よりも髪を短く刈り込んでいて、健康的に日に焼けている。体つきも筋肉質だ。徹が自分がまた紅一をじろじろと見ていることに気が付いて目を逸らそうとしたところで、紅一の大きな瞳と目が合う。しまったと思うがも遅い。
「……なに」
紅一が不機嫌そうな低い声でそう言った。
「いや、あの、その、昨日はすみません」
「……昨日?」
紅一は本当にぴんと来ていないようだった。少しお互いに沈黙が流れたタイミングで徹が説明する。
「昨日、校舎裏で告白されているの見ちゃって」
「ああ、それね。なんで君が謝るの」
「いや、見られて気持ちのいいもんじゃないだろうし」
「あんなところで告白されてるのが悪い」
徹は蒼汰も同じことを言っていたのを思い出しておかしくなる。笑っている徹をみて紅一は不思議そうな顔をしたが、特に何も聞き返さなかった。少し気が大きくなった徹は紅一に蒼汰と同じ質問した。
「フッちゃったんですか?」
その瞬間、紅一の表情が一気に曇った。よほど嫌なものを見たときにしかしない顔になる。まずったと思うが、もう遅い。紅一はその質問には一切答えずに、また下を向いて目を閉じてしまった。徹はその原因が何かわからなかったが、それを直接本人に聞く勇気もなかった。気まずい時間は永遠のように感じられる中、電車は定刻通りに高校の最寄り駅に到着した。
降りる時も紅一はまるで徹がそこにいないかのように降りて行った。徹はもう今にも泣きだしそうな気持になった。調子に乗った罰があったんだと徹は自分自身を呪った。
徹はその1日授業にも身が入らなかった。こういう日に限って委員会の仕事もないし、帰宅部の徹には時間をつぶす術もなかった。友人でもいれば話して気を紛らわせたりすることもできたのだろうが、そんな友人は存在しなかった。仕事がなかろうが図書室に行ってもよかったがやることがないと結局同じことをずっと考えてしまいそうで気が引けた。結局、1日中うだうだと考えている間にもっともシンプルな考えに思い至った。ひとまず謝ろうと思った。事情はどうであれ、不躾な質問をして相手を傷つけてしまったのが徹なのは間違いなかった。クラスは違うのであれから顔を見ることはなかった。どこにいるか見当もつかなかったが、徹は紅一を探すことにした。
放課後になった。徹は紅一が何組なのかもわからなかったので同じ学年のクラスを全て1つずつ覗き込んで確認した。聞けば早いのかもしれなかったが徹にはどうしてもハードルが高かった。結局、どの教室にも紅一はいなかった。回って紅一がいないのを見てからようやく部活に行っている可能性に思い至る。何部なのかは知らなかったが色々な部活に助っ人として参加しているらしいことは知っていた。ひとまず体育館に向かってから外を観に行くことにした。体育館に抜かう途中で外には出なくてよさそうだと思った。というのも、体育館にはすでに人だかりができていたからだ。その人混みのほとんどが女子だった。中に入るのは難しそうだ。覗いただけで二階まで人がいる。徹はなんとかして人が切れているところを見つけて体育館を見渡す。
体育館ではバスケ部が活動していた。試合形式なのはバスケに疎い徹でもわかった。部内で紅白戦をしているようであった。紅一は赤いビブスをしてスリーポイントシュートを決めたところだった。ボールがゴールを揺らした途端に黄色い声援が響きわたる。紅白戦なのにえらい盛り上がりだ。これは声をかけるどころじゃないなと徹が途方にくれていると、背後から声を掛けられた。
「やだやだ、汗だくになっちゃって。ボール追いかけることの何が楽しいのかねぇ」
振り返ると、そこに蒼汰が立っていた。
「それって球技全般否定してるような」
「そうだけど?徹ちゃんどうしたの。また盗み見?」
調子のいいことをいいながらまたからかってくる。周りの紅一派のはずの女子たちも蒼汰の登場に色めき立っている。
「えっと、あの」
「帰りながら聞くよ。行こうぜ」
周りの視線がうざったくなったのかそこから連れ出そうとする。ただ蒼汰の顔は笑顔だ。ちょっと知っただけなのに笑顔の蒼汰がうざったいと思っているのだろうなと知れているのが少しおかしい。
「わかった」
そこから立ち去ろうとしたときに視界の隅で紅一がこちらを見ていたような気がしたが、そんなはずはないので徹はそのまま蒼汰についていった。
蒼汰の隣を歩いているとちらちらと視線を感じるような気がする。さすがの我翼の宝。蒼汰は慣れたもので気にせず話続ける。
「それで紅一に謝りたいというわけね。あいついっつも無口だし気にすることないのに」
「そういうわけにもいかないです」
「律儀だねえ。今まで接点があるわけでもないだろうに」
「傷つけちゃったなら謝りたいです」
「そんなに言うならうちで待ってる?」
「うち?」
そこまで聞いてから双子なので同じ家に住んでいることに気が付く。
「そう!待ってればいいじゃん。今日は親もいないし」
「いきなり家にいて謝られるなんて怖くないですか」
「そんなこと気にしてたら一生謝れないよん」
「別にそんなことないと思いますけど」
「暇なんでしょ?待ってればいいじゃん」
「暇は暇ですけど」
「なら決定だ」
そう言って蒼汰はずんずん歩いていった。徹は仕方ないのでその後をついていった。
蒼汰の家は駅から5分ほどのところにあった。洋風な一軒家で家主のこだわりが感じられた。庭も英国式で自然との調和が大切にされていた。お金持ちなのだろうなという印象を徹は抱いた。家だけでもかなり綺麗だったがそこに住んでいるのがこの双子たちだとするとかなり絵になるなと徹は思った。蒼汰は慣れた様子で(自宅なのだから当たり前ではあるが)家に入っていった。徹もその後に続く。
「おじゃまします」
「楽にしてくれたまえ」
蒼汰が大袈裟に言いながら二階に上がる。室内も掃除が行き届いていて綺麗だ。家具も見るからに歴史を感じさせて高そうだ。
蒼汰の部屋はベッドに机とシンプルな構成だった。ただ大量の本が本棚にみっちりと詰められていた。徹は目を輝かせて見入る。
「これ!すごい!夢、みたいな部屋だ」
蒼汰はベッドに鞄を放り投げて徹のほうを向く。
「なにが?」
「本!すごい量だ!」
「古いのばっかりだけど」
蒼汰の言う通り本棚にあるのは古い児童文学や海外文学だ。ところどころ洋書も混ざっている。
「これなんかめっちゃ面白いよね」
徹が指さした先には古くから親しまれているファンタジーがあった。
「それはマジでおもろい」
「これは?気になってたんだ」
「それもいい。ロンドンの空気を一緒に吸っているみたいな気持ちになる」
「いいなぁ。こんなところに住みたい」
「お気に召していただけたようで。本、好きなの?」
「うん!とっても!」
徹は本棚の一部の毛色が違うことに気が付く。そこだけ専門書が並んでいる。
「ここだけ新しいね」
「それは完全に俺の趣味だね」
徹は一冊を取って表紙を読む。
「植物学?」
「そう。ほら俺って理系だけど生物選択だろ」
「それは知らなかったけど。これって、大学レベルなんじゃ?」
「そう」
「こっち系に進むの?」
「趣味だね」
「こんなに勉強してるのに」
「儲かんないからな。金になる仕事につくよ」
「ちゃんと考えてるんだね」
「そんないいもんじゃない。ほら、返せよ」
蒼汰が徹の持っている本を取ろうとする。徹が少し抵抗したので蒼汰がバランスを崩す。蒼汰が徹に覆いかぶさるような形で倒れこんだ。
「いてて」
徹が目をあけると、蒼汰の顔がすぐ目の前にあった。綺麗なまつげ。鼻筋もとおっていて綺麗だ。息が顔にかかる。いい匂いがした。柔らかそうな唇に自分の唇が触れてしまいそうだった。蒼汰も目をあけて目と目が合う。徹がどきどきしていると、扉が開く音が聞こえる。
「……何してんの」
徹が声のする方を見ると、扉を開けた紅一が立っていた。
「いや、あの、これは違くて」
徹は慌てて弁明した。
「おかえり~」
「呑気に挨拶してないでどいてくださいよ」
徹は上に覆いかぶさったままの蒼汰を押しのける。そのまま徹は紅一に向いて座り直した。
「おじゃましてます」
徹が頭をさげると紅一もぺこりと頭をさげた。
「部屋に入るときはノックしろって言ったろ」
「……誰かいるみたいだったから」
「そうだ!話があるみたいよ」
蒼汰が雑に徹に話を振る。紅一も蒼汰の視線も徹に集まる。
「あの、今日の電車は本当にすいませんでした」
紅一は少し考えるような顔をして口を開く。
「……ああ、君には関係ないから」
紅一はそう言って部屋から出て行こうとする。それを見た蒼汰が呆れたように声を掛ける。
「おいおい、もっとちゃんと説明してやれよ」
紅一は立ち止まって振り返る。
「……本当に関係ないから」
「謝るためだけにわざわざ来たんだぞ」
「……そうか」
紅一はまっすぐに徹のことを見た。あんまりまっすぐに見てくるので徹は少しだけどぎまぎしてしまう。
「本当にごめんなさい」
「……本当に関係ないから」
「それってどういう」
「……俺の問題だから」
「本当にお前の話し方ってイライラするな。はっきり言えよ」
蒼汰が露骨にイライラする。
「……俺があの子に嫌な思いをさせたから。それを思い出して」
「だからって徹ちゃんのこと無視することないだろ」
「……そんなつもりはなかった」
「相手がどう受け取るからって考えろって言ってるだろ」
紅一は徹のことをまた真っすぐみた。
「……ごめん」
徹も慌てて立ち上がる。
「いやいや、僕のほうこそごめんなさい。デリカシーがなさすぎました」
「……本当に君のせいじゃないから。気にしないで」
「はい。すみません。謝罪を受けてもらっちゃって」
「……謝罪を受ける?」
「この会話ですっきりしてるの僕だけなんで」
「……変なの」
紅一が少しだけ微笑む。
「……ゆっくりしていってね」
紅一はそう言って部屋から出て行った。
徹は紅一の思いがけない笑顔をみたことで心臓がどきどきしていた。
「なにぼーっとしてんの」
徹は慌てて蒼汰に話す。
「いやいや何でもないです。ありがとうございました。何から何まで協力してもらっちゃって」
「徹ちゃんのためだからね」
「また大袈裟なこと言ってる。本当にありがとうございました」
「もう帰るの?」
「はい。謝ることはできたんで」
「ゆっくりしていけばいいのに」
「おじゃましちゃいましたし。もう遅いので」
「つまんないやつ」
そういう蒼汰の顔は笑っている。
「助かりました。ありがとうございます」
「いいっていいって」
お礼を言うと、徹は蒼汰の部屋を後にした。
徹は一日の始まりの憂鬱がはれてすっきりした心で家に帰った。
翌日の朝は夏だというのに涼しかった。猛暑続きであったので珍しいことだと思いながら徹は駅への道を歩く。朝の陽ざしも柔らかくて昨日まで差すようだったのが嘘のようだ。今日はいつもの早い電車よりも1本遅いものに乗るので時間がゆっくりある。田舎なので1時間に1本の頻度でしか来ないので今日は早いのに乗るのは諦めた。というのも昨日の夜に読み始めた小説が思いのほか面白く夜更かしをしてしまったからだ。上巻を読み終えたところで続きを読みたい心を押し殺して何とか眠りについた。寝てしまうと起きれないものでいつもの電車には乗れなかった。徹はここまで涼しいなら悪くないなと歩きながら思った。
同じ駅から乗る生徒は徹以外にはいなかった。乗る予定の電車がちょうど風を切ってホームに入ってくる。徹の髪をふわっと揺らして止まった。朝の清々しい気持ちで車両に乗り込むと見覚えのある顔が2つ既に電車に乗っていた。蒼汰と紅一が席横のポールにそれぞれ左右に分かれてもたれかかっていた。蒼汰の方が先に徹に気が付く。
「徹ちゃんおはよ!」
笑顔でひらひらと手を振っている。
「おはようございます」
徹は蒼汰と紅一のそれぞれに頭をさげる。
「……おはよう」
紅一もヘッドフォンを外して挨拶をしてくれる。
2人の位置的に自然と徹は蒼汰と紅一の間に収まった。気のせいだろうか周囲の女子の視線が痛い。
「2人で登校してるんですね」
「たまたまね。電車少なすぎ」
紅一も無言で頷いている。お互いにこの状況は不本意らしい。本数も車両も少ないとなると仕方ないのかもしれない。
「……テスト前で朝練ないから」
「なるほど!」
部活に参加していない徹には知りえない情報だった。それよりも普通に紅一が話かけてくれていることがうれしい。
「そうだ!連絡先交換しようぜ!」
そう言って蒼汰が端末を取り出す。
「は、はい」
徹もそのテンションに合わせてポケットから端末を取り出した。
「いきなりですね」
「だって俺が徹ちゃんの連絡先知らないのおかしくない?」
「そうですか?」
「いいからいいからっと。完了」
「ありがとうございます」
蒼汰と連絡先の交換を終えたところで、紅一が端末をこちらに差し出していることに気が付く。
「え、ええっと?」
徹が戸惑う。
「……俺も」
「あ、連絡先?」
「……ダメ?」
「全然ダメじゃないです!」
徹が慌てて連絡先を交換する。
「できました!」
徹がそう言うと紅一はそっぽを向いてしまった。心なしか耳が赤くなっているような気がする。それを見た隣の蒼汰は肩を揺らして笑っている。何が何だかわからない徹はとなりの蒼汰に小声で尋ねる。
「また怒らせちゃいましたかね」
「そうかもね」
「それは困ります。せっかく仲直りしたのに」
「大丈夫だよ。きっと」
「なんですか。無責任な」
「ほらほら着いたぞ」
蒼汰が徹の肩に腕を回してぐいぐいと引っ張って降りていく。徹が紅一の方をみると紅一もこちらについてきている。それを見た徹は嫌われたわけじゃないらしいことに安堵する。
「あの、連絡待ってますから」
「……わかった」
紅一の顔がみるみる赤くなる。徹はそれを見て、今日は涼しいはずなのにと不思議に思った。
テスト前の授業は味気が無くて嫌いだった。テストのために勉強している感じが嫌いだった。だからと言って何のために勉強しているのかと言われると徹にはわからなかった。結論としてはテストが嫌い、それだけのことなのだろう。あけ放った窓からは涼しい風が吹き込んでいる。涼しい日だったが教室に詰め込まれた生徒たちの暑さで息が詰まりそうだった。徹は授業が終わって放課後の教室の自席で一息ついていた。今日も図書委員の仕事はない。テスト前の平日なので自習室のみの解放になっている。そのため図書の貸し出し業務はない。何をしようかと暇を持て余していた。勉強をすればいいのはわかっているのだが、どうも手がつかない。ぼけっとしてると端末に通知が来る。
蒼汰(猫のアイコン)“うちで勉強しない?”
蒼汰から勉強の誘いがくる。突然のことで驚くが返信しないといけないので端末に入力を始める。
徹(革表紙の本のアイコン)“お邪魔じゃないですか)
息をつく間もないくらいのスピードで返信がくる。
蒼汰“固いな!こっちから誘ってんの!いいに決まってんじゃん”
思いのほか強く誘われているのでやることもないので行くことにする。
徹“なら行きます”
蒼汰“おっけ~ 先に帰っちゃったから待ってる!”
徹“わかりました”
蒼汰“はやくこいよ!”
徹は端末をしまって席を立とうとすると、席の周りを女子に囲まれた。何だと思って見渡すとクラスの女子ではないが同じ学年にいたような気がする。3人組だ。
「ちょっといい?」
駄目とは言わせないような雰囲気でリーダー格の女子が言った。
「はい」
そのまま女子たちは何も言わずに立っている。徹としてはどうしていいかわからないので困ってしまう。隣の別の女子が口を開く。
「最近、宝田兄弟と仲良くない?」
やっぱりその話題か。
「仲いいというかなんというか」
「今日も一緒に登校してたよね」
「はい。田舎で電車少ないんでたまたま一緒になりました」
徹はうんざりしてしまって早く帰りたくなる。
「この子たち、宝田兄弟にフラれたの」
徹はこの間の?と聞きそうになるのを必死に抑え込んだ。
「すみません。話がみえないんですけど」
「協力してもらないかなって」
「協力?」
「そう」
「好きにさせるってことですか?」
「簡単に言えばそうかな」
「そんなこと簡単にできるわけないじゃないですか」
「あなたは仲良くなってるでしょ?」
「そう言われるとそうかも?」
「次はいつ会うの?」
「このあと勉強会ですけど」
徹は言った後にどうしてこんなこと教えないといけないのだとイライラしてくる。女子たちはたちまち色めき立つ。
「じゃあさ、それに私たちも行かせてよ」
「それは、駄目ですよ。彼の家だし」
「聞いてみるくらいいいじゃない」
徹はもう我慢ができなくなって立ち上がる。
「僕、もう行きますから」
「冷たい人」
「それくらいいいじゃない」
徹は早く立ち去ってしまいたくなるのを我慢してその場に残る。
「宝田君たちを好きなのは自由ですけど、陰でこそこそしてるのはセコいです。はっきり堂々とした方がいいですよ」
「ひどい。なんでそこまで言われないといけないのよ」
自分の欲望のままに動いて下心ばっかりでキモチガワルイと言いたくなるのを必死にこらえる。そんなことをぶちまけたら彼女たちと同じになってしまう。
「本当に仲良くなりたりと思ってるなら、そうするべきだと思ったからです。もっと相手のことも考えた方がいいです。本当に好きだっていうのなら」
徹は早口になってそこまで言い切った。徹の剣幕がすごかったのか女子たちは何も言い返さなくなる。
「ちょっと言い過ぎたかもしれません。すみません。もう行きます」
徹は足早に教室を後にした。徹は泣きたい気持ちでいっぱいだった。人とかかわるとろくなことがないと思った。徹はどうしようもなく1人になりたかったが、蒼汰との約束があったので彼の家へと足を向けた。
徹の足取りはどうしようもないほどに重かった。人と関わりあいになるとこういう気苦労が増える。それもあの宝田兄弟となればなおさらだ。わかりきっていたことなのに、今まで少し仲良くしてもらったからと言って浮かれていた自分が嫌になる。約束なんてほっぽりだして帰ってもよかったが、徹の元来の性格がそうさせなかった。
田舎道の人通りの少なさが一層徹の気持ちを惨めにさせた。普段なら気にならない蛙の鳴き声に蝉の鳴き声すらも徹の愚かさを笑っているように聞こえた。駅の灯りが見えて徹は少しだけ救われたような心持になる。なんで徹は自分が落ち込まなくてはいけないのだと腹立たしい気持ちになった。そうなるとあんなにうじうじしていことがバカらしく思えてきた。何もないところを真っすぐに1両の電車が走ってくる。この駅で降りる人は誰もいなかった。静かに控えに扉が開くので徹も静かに電車に乗った。
電車に揺られている時間を徹は気に入っていた。自分は動かずとも目的地まで自分を運んでくれる。そのエネルギー的な余裕が原因なのではないだろうが、徹の気持ちにも余裕を与えてくれていた。規則的にコトンコトンと音を立てるのもよかった。市内まで遊びに行く際に気が付いたことだが、徹の家から高校と、高校から市内までの間の線路は音が違う。徹が普段使っているのはコトンコトンだ。線路の形が違うのか市内の方はガタンゴトンと派手な音がなる。控えめな線路の音すらもお気に入りだった。今日も電車の音は徹に精神的な余裕を与えてくれていた。そうなるといつもより長く電車に乗っていられる蒼汰の家に向かうのは徹にとっても好都合なことになっていた。
徹の家の最寄りから先の路線、蒼汰の最寄りに向かう間は、蒼汰のことを考えていた。徹は考えれば考えるほどどうして自分が誘われているのかわからなかった。きっと今日声を掛けてきた女子たちも同じことを考えていたのだろうと思う。蒼汰くらいの人気者になれば友だちなんて選び放題だろうに。徹はそれが不思議でたまらなかった。一緒に勉強したいやつなんてそこら中にごろごろいるだろう。徹自身は卑屈なわけではなかったが、そんな奴らよりも頭1つ抜けているものが自分にあるとはどうしても思えなかった。一方で蒼汰という男は友人にそういう価値のようなものを求めるタイプでもないような気もしていた。もっと直感的にフランクに人間関係をしているような気がした。こうやって考えている徹とは全く違うのだ。打算とかそういう事とは無縁に人と付き合っているのだ。きっと徹とは違って気苦労などとは思わないのだろう。そう思うと本当に自分とは違って、持っていないものをたくさん持っているのだろうと思った。
そんなことを思案していると、もう駅についた。駅から蒼汰の家まではすぐだった。なんと挨拶して入ろうかとか、今日あったことは話した方がいいのだろうかと考えているうちについた。
インターホンを鳴らす。反応がないのでもう一度鳴らす。
「開いてるから勝手に入って~!」
二階の方から大声で聞こえる。
「不用心だな」
徹は半ば呆れたように入っていく。いくら田舎だからと言ってこういうことは少なくなっている。徹の祖父母の代までの習慣だと思った。以前来たことがあるので蒼汰の部屋の場所はわかっていた。
「おじゃまします」
蒼汰の部屋のドアを開ける。
「遅かったじゃん」
蒼汰がからかうような口調でそう言った。
「……遅い」
隣にはなぜか紅一も座っていた。
< 1 / 2 >